誰にでも出来る魔法誰③
その笑みの意味する事がわからなくて反応できずにいるトーアーサだが、彼は構わず隣に腰を下ろす。
ヨハンとシモンの父親で、これから旅を共にする仲間達の指導を行う人物たる彼、ペトロ・トリスメギストスと二人で話すのはこれで二度目である。
一度目は面接の時であり、その時の事を思い出して気まずい空気が二人の間に流れる。
いや、面接の一件が無かったとしても、トーアーサにとってペトロはあまりいい印象のある人物ではない。
それに──。
「眠れないのか?」
不意に話しかけてきて、こちらを向く彼。
そんな彼の眉の下で輝く二つの金の光から、目が離せなくなる。
ざわざわと背中がかゆくなり、尻の辺りに力が入る。
けれど、足腰に力が入らず、どこかふわふわとした感覚がする。
今すぐにこの場から離れてしまいたいと思うのに、動く事すら敵わない恐怖。
この目だ。この目が堪らなく怖い。
いや、両目が怖いというわけではない、寧ろ彼の右目は優しささえ感じる程に暖かく、ちゃんと「こちらを人間として見ている」事がわかる。
けれど、左目は違う。
何を考えているかわからないというレベルではない気がするのだ。
こちらを見ているようで見ていないような、見ていたとしてもそれは物か何かを見る程度の認識なのではないかと思う様な、そんな冷たさと、捕食者が獲物を見るような、そこに何の感情もないと思わせる恐ろしい目なのだ。
同列の人間同士で交わす目線ではないと感じる。
全く異なる生物の目のように見える。それも、こちらを食べ物か何か程度にしか思っていないような、そんな視線。
蛇に睨まれた蛙というのは、正にこの目に見られた時の感覚の様なものなのだろうと思う。
だから、問われているのに答える事ができない。
その恐怖を包み隠し、何か回答しなくてはならないと思っても、頭が真っ白になり、顎に力が入ってしまって発声すらも難しい。
そんな様子に何を思うのか、彼は困ったように星を見上げ、口を開いた。
「あー。その、余計なお世話かもしれない事を言うんだが、許してほしい」
彼はそう言うと、こちらに向き直り、言葉を続けた。
「視界が狭いと感じたりしないか?」
きょとん、という音が聞こえる気がした。
思わず目を見開いて見つめ返してみたが、答えとなるものはどこにもなさそうだった。
だから、取り敢えず質問に正しく答える事にする。
「別に」
恐怖は去らないが、言葉は発する事ができた。
その事に僅かな安心を感じながら、彼の次の言葉を待つ。
「そうか、それならいいんだ。君の瞼なんだが、恐らく│眼瞼下垂という病気なんだと思う」
再びきょとんという音が自分の中から聞こえる気がした。
病気というと、体が重くなったり痛くなったりという時に出てくる単語だ。
なぜ、自分の目に対してそんなものが関わってくるのか全くわからなかった。
だから、その後も続きそうなペトロの言葉に耳を澄ました。
「瞼が黒目に少しかかっている。それは生まれつきか?」
「生まれつきかどうかは知らない。水鏡を初めて見たのは6歳くらいだったから。でも、ずっとこうだったと思う」
「そうか。その病気は瞼を上げる筋肉が弱かったり、その神経に何か異常がある可能性が高い。筋肉といっても、努力で直せる病気ではないし、神経をどうこうして治療するのは難しい」
何を言っているのか分からなかった。
けれど、多分自分の眠そうに見える目について語っているのだろうとは思う。
彼は自分のこの目の事を病気だと言った。
誰もがこちらの事を知ったような顔でやる気がないと言い放ち、眠そうだと評する原因となった目。
ふざけるなと言いたかった。親から貰ったこの体、自分が選んだものではない。
それでも折り合いをつけて、うまく付き合っていく方法を自分なりに見つけて生きてきた。
それを病気だと言われるのは正直に言って、いい気分ではなかった。
この目はコンプレックスであるが、同時に誇りでもある。切っても切り離せない自分自身なのだ。
そんなこちらの胸の内をどう捉えたのか、彼は言葉を続ける。
「治すとなると、繊細な外科手術が必要だ。今の俺には難しいんだけれど……いや、違うな、こんな話をしたかったんじゃない」
そんな事を言う彼は、昼間の圧倒的な強者の面影はなく、短くため息を付き、眉をハの字にし、次いで空を見上げて言った。
「これは愚痴だから、聞き流してくれ。俺はな、本当にダメな人間なんだ。何をやっても上手くいかないし、能力だってない。これじゃあヨハンとシモンみたいなよく出来た子供たちに、いや、それだけじゃない。君や才能溢れる子供達に顔向けできないな」
聞き流してくれ、と言いながら聞かせる意味はなんだろう。トーアーサはそう思いながらも、つい言葉が口からこぼれる。
「でも、ヨハンもシモンも、あなたを尊敬してる」
その言葉を聞くと、彼は鼻で笑う様に笑った。
「俺はそんなに出来た人間じゃないんだ。本当は」
何を聞かされているのだろう。トーアーサは困惑した。
少なくとも、戦闘能力が無い訳ではない、というよりも、ペトロという男は普通に考えて強いと思われた。
それは膨大な魔力だとか、身体能力だとかそういうことではない。むしろ膨大な魔力を持つヨハンやシモンをして敵わないと称した人物である。
それに、ここ数日彼の動向を注視していたが、子供達を愛し、正しく導くいい大人という印象だ。
認めたくないが、一見するとペトロという男は、強者であり優しい人格者なのだと思われた。
そんな彼が、一度下を向き、呆っとその様子を見ているトーアーサに視線を向け、言葉を続けた。
「今だってそうだ。本当はなトーアーサ。何か深刻に悩んでる君の力になりたいと思ってるんだが、なんて声を掛ければいいかわからなくてな」
そういうペトロの左目を見ると、言葉とは裏腹に刃物の切っ先に触れている時の様な怖さ、緊張感がそこにある。
だから、なるべく反対側の目を見る様にした。そうすると恐怖は幾分かマシになった気がする。
意外だった。噂に聞く最弱の騎士、ペトロ・トリスメギストスはもっと厚顔無恥で、何も悩まない人間だと勝手に思っていた。
それに、彼は常に堂々とした態度をしていたため、いつしか同じ人間の枠で考えていなかった。
実際は、自分と同じで小さな事に悩み、小さな事で挫折し、小さな事を気にして、それでも折り合いを付けて生きているのだろうか。
どうも印象に合わないと感じるが、同時に、そういう部分が少し可愛いとさえ思えてしまうのである。
だから、そんな彼が可笑しくて、つい声に笑みが混じってしまう。
「意外と不器用なんですね」
こちらの声に笑みが混じっていたからか、彼は一瞬嬉しそうな顔をして、すぐに憮然とした顔になった。
「どちらかというと器用な方だぞ、俺は」
むきになるその姿に、また可笑しくなって、ついにとうとう含み笑いの様な「ふふふ」という笑い声が漏れてしまう。
きっと、今日の晩酌はアルコールが強かったのかもしれない。
だから彼はこんなにも子供のような態度になっているのかもしれなかった。
けれど、こうして弱さを他人に見せる事ができるのは、やはり器の大きい人間なのではないか、と思う。
それに、才能に溢れ完璧に見えるヨハンとシモン。その父で、勇者一行に加わった事もあり、悪評だとしても吟遊詩人に歌われるほどの人物で、かつ優しい親。
遠くで見ているとただキラキラと光っているだけのものなのに、近づいてみるとなんてことはない、自分達と同じ事で悩んで、苦しんでるのだと思った。
それだけで、万の言葉よりも肩の力が抜けた。
自分には旅を続けるだけの能力はないかもしれない。きっと隣で不機嫌そうにしているこの男も、同じ事で悩みながら勇者一行と旅をしたのだろう。
そして結局勇者一行を離れて、この男は果たしてそれで不幸になったのだろうか。
いや、ヨハンやシモンと触れ合うペトロ・トリスメギストスは、とても幸せそうではないだろうか。
それは負け組の考え方かもしれなかったが、トーアーサにとっては光だった。
いや、最後に笑ってさえいれば、負けたっていい。隣でいじける子供のような大人は、そう言っているような気がして、だから、感謝を伝えようと思った。
「ありがとう」
「? 俺はまだなにもしていないが?」
「その言葉は余計。黙って受け入れるべき」
「……わかった」
「素直でいい子、よしよし」
「……君、俺のことをものすごく馬鹿にしてないか?」
「してない。尊敬してる。わーすごーい」
「……」
少し調子に乗りすぎたのか、押し黙ってしまった彼に申し訳ない気もする。
だが、申し合わせたように二人は小さく噴き出し、笑った。
ひとしきり笑った後、トーアーサは、今なら何でも言える気がした。
「私、この目、本当は凄く嫌だったんだ」




