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世界が違えば最強だったかもしれない②

 俺の声に反応してだろう。トーアーサの足元はまるで小さな爆発を起こしたように破裂音を残し、その体がいつの間にか目の前に現れる。

 僅かにのけぞった俺の首元あたりを銀の光が硬い風の音と共に煌めいた。


(早い。いや、早いだけじゃない)


 胸中の感嘆をその場に残し、俺は彼女の斬撃を躱し続ける。

 彼女の刃は、全て急所を舐める様に通り過ぎていく。

 最初は回避した時に、刃の通る軌跡と肌の隙間が指一本分程だった。

 それが、今や数ミリ程度の隙間しかない。

 

 それは、脅威的な事だ。

 つまり彼女は、こちらの回避する動きを見切って、わざとギリギリの場所に刃を通らせるように調整しているという事に他ならない。

 恐らく、最初から当てるつもりが無いのだろう、急所に当たるすれすれを狙い、最悪でも掠る程度に抑えるつもりなのではないだろうか。

 いくら好意的ではないといって、知り合いの家族の急所を当てるつもりで狙うなど、中々できる事ではない。

 やはり、ベズィーは異常だったのだと思い知る。


(しかし、こうしていても、やはり美しいな)


 コギルは上半身の回転力と膨大な魔力で斧を振り回していた印象がある。

 ベズィーはもっと小手先の、肩から先の力を魔力で強引に斬撃としていたように感じた。

 だが、トーアーサは。


 膝を落とし、土を蹴ってその力を逃さない様にしながら、腰を回して肩に力を伝え、その力を逃がさないように腕をしならせてこちらの首筋に刃を打ち込んでくる。

 それが、リズムよく足首、脇、心臓、こちらの継戦能力を奪う急所に向けて、正確無比に、そして尋常ではない速さで打ち込まれてくる。

 

(惜しい、この才能は本当に、惜しい)


 俺は躱す動作をしているが、相手に当てる意思がないのだ。だから、ある意味余裕がある。

 もう一つ余裕が持てる理由があるのだが、それこそが俺の心に寂寥感のようなものを、まるで降り始めた雪のように降らせている。


 事実、彼女の動きは理にかなっている。

 右足を蹴る様にし、腰に伝わった力を回転させながら背中から肩に伝え、腕の先まで力を逃さず乗せる斬撃。その力の流れに沿うように、足元から滝を上る様に激しく腰、肩で膨張しながら腕に向かう魔力の流れ。

 その驚異的な才覚の片鱗は、こちらが試しに軽く攻撃を交えた際に際立った。


 彼女は斬撃を受けるのではなく躱す。しかしその躱し方が柔らかいのだ。

 躱すというと、速さで上回りきびきびと動くイメージがあるかもしれない。

 彼女のそれは、速さではなく柔らかさが目立つ。それは通常では回避できない角度でも対応してしまう。

 格闘技のそれを見ているよりも、まるで新体操の競技をみているような感覚になるほど、最低限の速度で、かつ柔軟に対応し、更にはしなやかに伸びてくる様な反撃がやってくる。

 彼女は可動域が広い。その広さを大きく使ってリズムよく動くからこそ、一見速く見えないのだろう。

 見れば見る程、美しく精度の高さを感じる。


 惜しむらくは、ベズィーやコギルに比べて魔力の絶対量が少ないという事だろうか。

 それでも通常よりは魔力があるので、魔力の少ない人間にはなしえないような動きや力の入れ方でもって攻撃を繰り出してくる。


 或いは、この中で一番魔力が低いからこそ、追いつくためには理にかなった動きをしなければならなかった、という事でもあるのかもしれない。 

 

 だからこそ惜しい。俺の心に積りつつある寂寥感は、まるで自分自身を押し潰すかのように胸を圧迫する。


 俺は模擬戦闘の次の段階として、彼女の刃を木剣で受けてみる事にした。

 打ち合いで弾き合うのは勿論彼女に不利だ。それを彼女もよく理解しているのだろう。

 インパクトの瞬間に魔力で押し切り、まるで木剣を切りつけるように刃を滑らせ、力で拮抗する事を避ける様に打ち合ってくる。


 確認する様に打ち合う事数合。

 俺は後ろに大きく飛び退き、彼女に声を掛ける。


「大体わかった。君も、十分に自分の弱点はわかっているんだろう」


「……」


 彼女がとった答えは沈黙。

 だが、それが答えだった。

 俺は構えを解き、腕をだらりと下げて言葉を続ける。


「なるほど、では、これで十分だ」


 言って、俺は立ち去ろうと思った。

 だが、それを彼女の小さな声が止める。


「……まだ、終わってない」 

 

 表情の読めない彼女の目の奥には一体何があるのだろうか。

 硬い矜持か、燃えるような情熱か、それとももっと別の何かなのか。

 しかし、その奥に何かがある事は確信できる、そんな目をしていた。

 そんな顔をした相手を無下にできない。その結果としてもっと傷つけるのだとしても、俺はそれを受け止めてやりたい。

 ここまでの技を見せられたんだ。勿論才能によるところが大きいのかもしれないが、才能は所詮種でしかない。持っているだけでは花咲かない。

 毎日毎日その才能に寄り添い、才能の様子を正しく把握して、才能を育て、枯らさずに努力を続けたからこそこうして形になっているのだ。

 

 俺には種が無かった。

 けれど、毎日水をやり、毎日観察して、いつ芽がでるだろうと待ち続けた。

 彼女は種を持っていた。

 きっとその花は彼女にとって特別な花だろう。しかし、有用な花とは限らない。社会が美しいと判断するかどうかはまた別だし、価値が認められるかどうかも別の話だ。

 全然違う境遇にも見えるのに、俺は彼女に自分の人生を重ねてしまう。

 彼女を見て感じるその虚しさ、辛さ。それはまるで不公平な積み木だ。

 皆は適度な大きさのブロックを簡単に積み上げていくのに、こちらは薄さ数ミリで、形も歪なものを慎重に積み上げていかなくてはならない。

 けれど、それは普通の事なのだ。公平さを求めるのは、所詮生きる事が普通になってしまった人類が勝手に作り出した傲慢な考え方でしかない。

 世界は不公平こそが正しい。ライオンに襲われた兎は、兎として生まれた時点でもはや公平ではないし、家畜として生まれた動物達も、作物として生まれた植物も、全ては搾取される側として生まれる不公平から始まり、不公平に終わっていく。

 公平さという考えは、つまりこの世界の理を真っ向から否定する考えなのだ。

 けれど、それでも、努力はどこかで報われて欲しいし、意思や行動次第でより良い結果が訪れると思いたい。

 俺の人生がそうならなかったとしても、せめて目の前で唇を咬んでこちらを見て悔しそうにしている彼女は、もっと報われていい筈だ。


 そんな思いが俺をこの場に留める。

 ただ、その結果訪れるのは、彼女にとって残酷な事実だと分かっているのに。


「君は俺に絶対に勝てない。その証左を見せてやろう。俺を殺すつもりで全力の一撃を打って来い」


 彼女の表情に一瞬の躊躇いが横切った。

 俺は構わず自分の首を指さし発破をかける。


「どうした! 首に打って来い! 出来ないか? 君のナイフはただの飾りか!」


 その言葉に心の奥の何かが呼び覚まされたのかもしれない。

 表情の見えない彼女が、一瞬怒ったように見えた。


「怪我しても! 知らないから!」


 一瞬。

 獲物にとびかかる猫のように低い姿勢から、とびかかる様に放たれた斬撃は、俺の首にゴツっという嫌な音が頭蓋に響いた。


 けれど、それだけだった。


 俺の首の刃を食い込ませたトーアーサは、その刃の先、傷一つ付いていない首をじっと見ていた。

 俺は、息のかかるほどに近づいた彼女に、囁くように言う。


「君では勝てないんだ。一定の魔力量を持つ人間に対して、今の君は無力だ」


 その言葉を受けた彼女が何を思うのか。胸元にかかる彼女の息が、少し荒くなったように感じるが、首筋から視線は動かない。

 そして、彼女は勢いよくこちらに背を向け、そのまま離れていく。

 その背はヨハン達の方に向かうでなく、誰も近寄って欲しくないという雰囲気を背負って適当な場所で不貞腐れたように座り込んだ。


 彼女は、まさに天才なのだ。それは間違いない。

 魔法が無い世界であれば、正に最高の暗殺者になれたかもしれないし、最高の闘士になれたかもしれない。

 もし世界が違えば。例えば前世の地球であれば、格闘技でも最強の一角になれたかもしれない。

 そうでなくても、その理に敵った身体操作は体を使う競技などでは無類の成績を打ち出しただろう。

 ヨハンやシモンも、結局は魔力に依存した才能であるし、精霊魔法を使うポルルは勿論の事、膨大な魔力量を精密に操作するベズィーや、膨大と言える程多い魔力をぶつけるコギル、結局はこの世界で通用する、魔力を前提とした才能だ。

 けれど、彼女は違う。

 勿論魔力も普通より多い、けれど、彼女の才能はそれ以外にある。

 卓越した運動神経による身体操作、体の柔軟さ、力の動きをイメージできる研ぎ澄まされた感覚。

 魔力で簡単にひっくり返ってしまう、脆弱な才能。

 俯いた様子のトーアーサを見ていると、どうしてこうも世界は残酷なんだと思わずにはいられない。


 降り積もった寂寥感が痛みを伴って凍り付いたような感覚が俺の胸を占める。

 その凍り付い虚しさには、彼女が振り返る間際、一瞬見えた横顔に流れていた涙が、まるで突き刺さる杭のようにヒビを伴いながら突き刺さった。

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