帰省④
ペトロに続いて家に入ったヨハン達一行は、リビングに通された。
一年前と家具などはそのままだった事もあり、胸の内に広がる郷愁の念が、脳に過去の風景を映しだす。
皆ソファや鎧の魔物が用意した予備の椅子などに掛け、ペトロが手ずから淹れてくれたコーヒーの香りを味わっていた。
空気は警戒をする程硬くなく、かといって警戒を解いていいという程柔らかくなく、曖昧な雰囲気が包む、なんとも不自然な居心地である。
原因は、依然鎧の魔物の正体がわからない事と、ペトロの変貌の理由がわからないからである。
そんな中ヨハンは、ペトロの様子を注意深く見ていた。
左脚が少し長いのか、それともうまく動作しないのか、右足が地に着くときは必ず爪先からつんのめるようになっている。
また、コーヒーを淹れる時もカップを持つ手は殆ど右手を使っていない。
記憶の中の父は右利きで間違いなかった。やはり右腕に何らかの異常があるのだろう。
見ていると、恐らく細かい動作が難しい、という感じか。
そして興味深いのは、ペトロがテーブルに置いているカップに手を伸ばすとき、微妙に『確認するような動作』が入るのだ。
その動作が何なのかを考察しながら見ていると、恐らく距離感が掴めていないようにも思えた。
ヨハンが試しに片目を瞑ってコーヒーカップに手を伸ばした時、それは確信に変わる。
父、ペトロの失った筈の左目は、視力が万全ではない。もしかすると義眼なのかもしれなかった。
ペトロは、鎧の魔物に向かって口を開いた。
「リリィ、ヘルムを取って皆に素顔を見せてやってくれないか」
その声に、ヨハンは息を飲む。
身じろぎの音すらしない静かな部屋に、カシュッという空気が抜けるような音が響き、リリィと呼ばれたその存在はヘルムを脱いだ。
その顔は、骸骨だった。
確かにスケルトンである。
けれど、艶やかで真っ白な頭髪が伸びており、どこか意思ある生物を彷彿とさせるものがあった。
確かにこの家には一体のスケルトンが住んでいた。
しかし、自分達が記憶しているそれは、魔力量が低く、庭の手入れなどを行っていたスケルトンだ。
少なくとも、こんなにも異常な魔力量を備えて、戦闘に特化したような全身鎧を着た存在ではない筈だった。
誰もが息を飲んでリリィを見る中、一人の声がやけに大きく聞こえた。
「どこから頭髪が生えてるんだろう」
ベズィーだった。
彼女のその疑問は呟きでしかなかったが、静かな部屋で異様に大きな声に聞こえた。
ベズィーは抑えきれないように続ける。
「あの、近くで見ても?」
リリィに近づきながら言う彼女に、ペトロが応える。
「ああ、リリィが嫌がらなければな。それと、出来れば友達として接してくれると嬉しい」
「はい! 喜んで友達にさせてください! え? この鎧の下は勿論骨ですよね? 消化器官もないし、どうやってエネルギーを得て、どうやって動いてるんだろ」
「スケルトンは骨が本体に見えるが、それは依り代でしかないんだ。本体は骨全体に薄く粘膜のように覆っているモルスウィルスの集合体でな。このウィルスは個ではなく集団で一つの思考を形成する。つまり脳であり肉体でもある訳だ。エネルギーは、スケルトンとして寄生しているモルスウィルスに限っては、骨や岩などのカルシウムという栄養素を分解してエネルギーに変換するようになっている」
「へえ! すごい! 魔物ってほんとになんでもありなんですね! あ、私ベズィー! 友達になりましょ!」
そう言ってリリィに手を差し出すベズィー。
リリィは、何かを思い出すように少し頭を傾け、一瞬の間を置いたあとゆっくりとその手を握り返した。
その様子を見ていたピュズリが、焦れたように口を開いた。
「それで? その骨の子の生態に興味がないあたし達には、どんな話を聞かせてくれるんだい?」
そして、ペトロはこれまで起きた事をぽつりぽつりと話を始めたのだった。
それは驚愕の連続であった。
イショクシュジュツという父独自の術によって腕と目を再生させ、その副作用で目と髪の色が変わった事。
更には反動で一時的に自我を失い、狂暴化してしまった事。
それをリリィが介護し、その最中で何故か突然リリィの魔力が増加して髪が生えた事。
質問もあった。イショクシュジュツとは何か。そもそもリリィはどういう魔物なのか。
これに対して父は明確な回答を避けた。「独自」「偶然」という単語を多用し、詳しくはわからないがという前置きをしつこいくらいに繰り返した。
この様子に、ヨハンはシモンと目くばせして頷き合い、ケティルとピュズリは困った顔をしながら聞いていた。
話を聞けば聞くほど、悔しかった。
父はきっと、問い詰めても詳しく話してくれる気はないのだ。
それは信用されていないとか、そういう事ではない。
恐らく、守るためだと思われた。
自分達は弱い。自分たちなど父にとっては守られる対象でしかない事が浮き彫りになっていく。
ここまで頑なに詳細を話す事を拒むのは、恐らくそれを知ってしまうと危険だと判断している。
黒髪のテンセイシャのような存在に狙われるのかもしれない。
ゾンビ事件のテンセイシャの事を思い出す。
父一人なら、きっとなんとかなったのだろう。
けれど、父には自分達という足枷がある。
あの時の事を思い返すと、胸が握りつぶされるような思いになる。
父が左目を失ったのは何故か。
それはシモンを守ったからだ。
では右腕を失ったのは何故か。
それは──。
(僕が……僕が居たからだ……)
胸中では悔し涙を流す心地だった。
父が守ってくれた時、自分は何をしていたのか。ただ震えて、魔力の制御すらおぼつかなかったのではなかったか。
父が腕を失い、それでも戦う意思を失わず剣を渡してくれた時、自分はただ泣いていたのではなかったか。
悔しさで奥歯を砕いてしまいそうなほどに噛みしめていた。
自分達さえいなければ、きっと父はあんなテンセイシャなどに遅れはとらなかった。
誰よりも父の力になりたいと望んでいるのに、一番の足枷になってしまっている。
そしてリリィだ。
父は何故リリィがここまでの魔力を得たのかよくわからないと言っているが、そんなはずはなかった。
突然そんな事が起こる訳がないのだ。つまり、リリィに魔力を与えたのは父だと思われた。
それは何故か、理由は明白である。
父は片腕を失い、片目も失い、足も万全ではない。
だからこそ先のテンセイシャの刺客のような存在と相対した場合に、戦力が必要と考えたのだろう。
だから存在そのものを強化し、どう見ても戦闘用に見える鎧を常に装備させて傍に置いているのだとしか考えられない。
傍らのシモンを盗み見るように見やる。
彼女は、眉をハの字にして悲しそうな眼をしていた。
それはそうだ。彼女もまた、選ばれなかったのだ。
父は『リリィを選んだ』のだ。
懐かしい思い出達が、温度を感じない淡い青色に染まっていく。
自分達は、父にとって一体何なのか。ただの枷でしかないのか。ただ血がつながっているというだけで守られている、そんなものでしかないのだろうか。
この体たらくで、父の力になりたいなどと、隣に立ちたいなどと口が裂けても言える訳がない。
けれど、諦めきれなかった。父の力になりたいと、今まで人生の全てをかけて努力してきたのではなかったか。
握り締めた拳が、心に生まれた怒りに似た悲しみに、怯えるように震えていた。
だが、暗く沈むヨハン。悲しみに暮れるシモンとは対照的に、ペトロの視線はいっそ優しさを感じる目をしていた。
今のヨハンには、それすら悔しくて堪らなかった。




