帰省
〇〇〇
──ペトロが目覚めるよりも少し前──
踏み鳴らされた道を、騎乗した一行が歩いていた。
ヨハン、シモンを先頭に、ケティル、ピュズリ、ポルルのハルビャルナルソン一家。そしてその後ろにベズィー、コギル、トーアーサが続く。
彼、ヨハンはオーティウムの村のあたりに到着し、馬を降りた。
村のあたり、というのは、詳しくここからオーティウムの村だという明確な印が存在しないからである。
オーティウムは農村であり、村の殆どが広大な畑となっている。
家と家の間隔はとても広く、隣の家が数キロ先といういうのが当たり前、といった感じであった。
むろん、そんな村だから商店など存在しない。
たまに行商が訪れるが、売買は主に村長が代表して行うといった感じだ。
因みに、この村で売買に通貨のやり取りをすることは稀で、基本的に物々交換である。
領主への税は勿論通貨となるのだが、村長がまとめて領主に作物を販売し、その売り上げを税金としている。
通貨の流通が無い事は現時点で別に困ってはいないが、発展するためには取り入れていく必要があるとは思われた。
アブセンスは通貨が流通する程度には栄えているから、誰かに何かの仕事を依頼するのが簡単だ。だが、オーティウムでは通貨のやり取りが無いため、例えば肉の加工を依頼しようと思っても、相手が肉の分け前を欲しいと思っていなければ取引が成立しない。
彼、ヨハンの父であるペトロの言葉だが、行動や物質を定量化してやりとりできる通貨というシステムは、人類の発展には欠かせないとの事である。
アブセンスでの生活を経験した今のヨハンは、その意味を実際の経験として実感していた。
懐かしい思いで村を歩いていると、後方からケティルの声が聞こえてきた。
「そういえば、ここの村長はギヨーム殿だったな」
その言葉に、ヨハンとシモンの脳裏にギヨームの顔が浮かびあがる。
こちらが答える前にケティルは言葉を続けた。
「何度か会った事があるが、中々聡明な御仁だった。折角だから帰りにでもギヨーム殿の家を紹介してくれないか?」
言われて、不思議な顔をするシモン。勿論、ヨハンも同じ表情だった。
こちらの様子を見てケティルは変な顔をするが、しょうがなかった。
実際の印象と評判に乖離があるように感じるのだ。
けれど、よく考えてみると、村長としてのギヨームを見た事は無かった。
もしかすると、彼も村長としては仕事のできる人間なのかもしれない。
ただ、普段の頼りない彼からは想像する事が難しく、ヨハンとシモンは曖昧に笑いながら頷くよりほかなかった。
その様子を見るともなしに見ていたピュズリが会話に加わる。
「あたしは薬農家さんに会いたいねえ」
その声にはシモンが反応した。
「チェルシー姉に? なんで?」
「以前からオーティウムで変わった薬草を作ってるっていうのを聞いていてね。その話をペトロにした時に、珍しくあまりその製作者について話したくないって顔をしてたのさ。だからちょいと気になってね」
そう言って好奇の目を向けてくるピュズリに、シモンは不思議そうな顔をしながらも、最後は納得したような顔になって答える。
「すごく優しくていい人なんだけど、ちょっと個性的な部分もあるからね、チェルシー姉は」
ヨハンはそこに付け加える。
「あと、多分すごく強い人だと思います」
「へえ?」
試すような顔になったピュズリ。
チェルシーの「強さ」というのは、戦った時の強さとは別の意味なのだが、それを説明するのは難しいと思い、この場ではこれ以上言わなかった。
ヨハンは、ギヨームやチェルシーなど懐かしいオーティウムの村の面々の話題が出てきて、懐かしさや喜びで暖かい気持ちになっていた。
もうすぐ14歳で15歳の成人も間近だというのに、子供のように駆けまわって喜びを表現したいと思うほどである。
ヨハンとシモンは、当初の予定では14歳になってからオーティウムの村に帰ってくるはずだったが、どうしても誕生日をペトロと共に過ごしたくて一カ月早めに帰ってきているのである。
今ヨハン達の胸には様々な思いが渦巻いている。
早く父に会いたいという思いも大きい。片腕と片目を失った父の傍を離れるのが、どれだけ不安でならなかったか。
それを押し殺して、自分たちの出来る事を全力で行って今まで頑張ったのだ。
誕生日を一緒に過ごすくらいの我儘は許して欲しいと思っていた。
また、ベズィー達に自慢の父を紹介するのも楽しみだった。
どれだけ優しく、尊敬できる人格者か。どれだけ聡明で、常人ならざる先見の明をもっているか。どれだけ力強く、それでも驕らず研鑽を積んだ強者か。
語りだせば一夜だけでは足りないその思いを、実際に本人の凄さを見せつけながら語るのはどんなに楽しいだろうか。
傍らのシモンも同じ気持ちなのだろう。
その上機嫌さは、まるで子供のように無邪気に大手を振って歩く姿と、聞こえてくる彼女の鼻歌から容易に察する事ができた。
(もうすぐだ……! 父上は、僕たちの成長を褒めてくれるだろうか)
ヨハンはこぼれるような笑顔の胸中で、父との再会をまだかまだかと待つ思いだった。
その足はまるで重力を忘れたように軽かった。
ヨハン達の足が重力を思い出したのは、ペトロの家が視認できる距離まで近づいた時だった。
むしろ普段よりも足が重くなった気さえする。
ピュズリが呻くように呟く。
「……こいつはちょっとまずいね」
ケティルも同意見だったのか、頷いてからベズィー達をちらりと見る。
「ベズィー達は来ない方がいいかもしれねえな。いや、下手するとヨハンとシモンもまずいかもしれねえ」
その言葉に、シモンは強張った声で否定した。
「行く。あそこは私達とお父様の家だから」
シモンの意思が固いと分かり、複雑な表情で頭を掻くケティル。
いつぞやの森の時のように、ヨハン、シモン、ケティル、ピュズリ、ポルルと、ベズィー、コギル、トーアーサの様子がはっきりと違った。
前者5名は、冷や汗を流し、難しい表情をしている。
対して、後者3名は相変わらず笑顔で談笑していた。
だが、トーアーサはその様子に気付いてこちらに声をかけてくる。
「なにかあった? みんな急に雰囲気が重くなった」
その声に、シモンが答える。
「うん。お父様の家から、信じられないほどの魔力を感じるんだよね」
ベズィーも会話に混ざる。
「ペトロさんの魔力が凄いって事?」
その声に、ヨハンは首を振って答えた。
「人間は基本的に普段魔力を外部に放出しない。それを続けるのは疲れるし、摂取できるカロリーを考えても難しい。だから、常に外部に魔力の影響を放出するのは、魔族か、魔物だ」
ピュズリは呆れたようにため息をつき、ベズィー達に向かって言う。
「こいつは、下手すりゃ魔王に匹敵するんじゃないかい? ヨハンとシモンはまだいいけど、あんた達は下がってた方がいいかもしれないねぇ」
だが、コギルは食い下がった。
「そんな! 役には立てないかもしれないけど、それでも一緒に戦わせてくれ!」
「あんたねえ、これほどの魔力を常時出してる相手とあんた達じゃ、戦いにすらならないってもんさ。下がって大人しくしてな」
「それでも!」
「……はあ、子供ってのは面倒くさいねえ。ここで待ってろとは言わないよ。ただ、戦闘になりそうだったらすぐに後ろ向いて逃げな」
一緒に戦いたいという思いからだろう、コギルはこの言葉に答える事が出来ずに震えている。
だが、ピュズリは許さなかった。
「それが約束できないならここで待ってな。ベズィー、トーアーサ、あんた達もだよ、いいね」
しぶしぶといった体で頷く3人。ポルルは最初から異論がないのか、黙って成り行きを見ている。
コギル達にとっては悔しいかもしれないが、ピュズリの言は正しいと思われた。
今、ペトロの家から感じる魔力は尋常であるはずのものではなかった。
本気になった父ですら、ここまでの魔力の放出はできないかもしれない、そのくらい異常な魔力なのだ。
勿論、魔力の総量がイコール戦闘能力と考えてはいない。
事実、魔力の総量だけであれば自分やシモンもペトロを上回る事ができると思っているが、戦闘となると絶対に勝てないと確信していた。
とはいえ、魔力の総量が多いという事は即ち純粋に身体能力が高いという事が想定できる。
ヨハンやシモンだけでなく、勇者一行と共に魔王と戦った英雄達が厳しい顔をしているという事実が、コギル達の戦闘参加は難しいと語っていた。
ヨハンは、今すぐに家に駆け出したいという衝動を必死に抑えながらその一連のやり取りを見守り、一つ頷いてから、言った。
「危険かもしれませんが、父上の事が心配です。急ぎましょう」
その張り詰めた声に、全員が同じように張り詰めた顔で頷いたのだった。
玄関の扉の前まで到着した一行。
前に出ようとするシモンを手で制し、ヨハンが一歩前に出た。
シモンが何かを言おうと口を開いたが、それは飲み込まれる事になる。
足音が聞こえたのだ。
それは家の中から聞こえるものとは考えられない程重い足音だった。
まるで鉄の塊がフローリングを無造作に歩いているような、そんな音。
全身鎧を着た騎士でも中にいるのだろうかと思わせるが、その割には金属が擦れるガシャガシャという音は一切と言ってもいいほどに聞こえてこない。
その重い足音は、ゆっくりと玄関に向かって歩いてきている。
ヨハンはその足音に集中していた。
(やけにゆっくりと歩くな……いや、何かを迷っている? それはなんだ。もしかして僕達を警戒している?)
答えの出ない胸中での自問自答。ざわざわと背中の辺りがむずがゆい。
やがてその重厚な足音の主は玄関の扉の辺りで、足音を止め、がちゃりと扉を開いた。
ヨハン達の目に飛び込んできたのは。
全身を覆う白銀に輝く鉄の塊。
ヘルムの奥は不自然なほどに暗く、何を考えているのかもわからない隠された眼光。
ヘルムから延びる、真っ白でいっそ綺麗な髪。
そして、その身から放たれる、寒気すらする圧倒的な魔力。
後ろから掠れた声がする。恐らくケティルだ。
「この存在感……まさかマジで魔王並みか……」
その声に、驚愕で動きを止めていたシモンがハッとした表情になり、声を上げた。
「全員抜刀! 戦闘準備!」




