1人と1体の生活
窓から朝日が差している。俺は久々に使った自分のベッドから立ち上がって、一つ伸びをした。
そのまま姿見の前まで歩く。以前使っていた姿見は恐らく俺自身が割ってしまった為、今あるのは過去に銀を磨き上げて作った物だ。
この世界の鏡は、水鏡か金属を磨き上げて作るシンプルなものでしかなく、俺が元居た世界の様に、ガラスに銀を定着させる事で高い品質にする技術はない。
割ってしまった姿見は銀鏡反応を用いて作ったものだ。日本では当たり前に存在していたガラスの鏡だが、少なくともこの王国内では俺しか作る者がいないのである。
また作ればよいと思いながら、鏡面加工された銀の姿見に視線を移す。
映っているのは中年の男だった。白髪で、無精ひげも白い。目は深い金色で左目の瞳孔は猫の目のようにスリット状である。
ペトロ・トリスメギストス。自分自身の名前を心で唱える。それは自分を保っている証明の様な気がして、幾ばくかの安心を自分にもたらした。
ふと、階下から足音が聞こえてきた。ゴツゴツと重い足音が響き、階段に差し掛かったのだろう、ゴツン、ゴツンとゆっくりとした足音がリズムよく耳に入ってくる。
その足音は、階段を上り終えるたのか、ゴッゴッゴッゴッと歩幅は小さそうだが、恐らく小走りに廊下を駆けてこちらの部屋に向かってくるのが分かる。
そして、丁度俺の部屋の扉の前で止まった。
彼女は決してノックをしない。その習慣を知らないのかもしれない。
スケルトンとしてこの家に来てもらってからは、基本的には菜園や地下に居てもらったので、そういった生活習慣を身に着ける機会が無かったのかもしれない。
といって、勝手に部屋に入ってくる事もなかった。
ではどうするのかというと、待っているのだ。
こちらが扉ごしに呼びかけるか扉を開けるまで、それこそ何時間でも待ち続けるのである。
扉を見やる。すると、恐らく扉の向こうに居るであろうリリィの輪郭が淡い赤色で見える。
これは、移植によって獲得した左目の能力だった。
魔力を持ったものが鮮明に見える能力。驚異的なのは、今の様に壁越しであっても輪郭が見えるという点だ。
ただし、魔力を持たないものは近づいても乱視になってしまっているようにぼやけて見える。
俺は幸い右目の視力が悪くないのでそこまで困らないが、ある程度慣れた今でも違和感は消えない。
そんな事を考えている間も、扉の先のリリィは微動だにしない。
もう少し待たせてみようか、などと意地悪な考えが頭を過ぎるが、そんな事をしてもなんの意味もない。
したがって──。
「おはようリリィ、入ってもいいぞ」
扉に向かってそう声をかけると、遠慮がちに扉を開けてリリィが入ってくる。
白色が強めの白銀が太陽光を反射して目に飛び込んでくる。
全身鎧、プレートアーマーを身に着けた彼女が入って来た。
家の中だから脱いでもいいだろうと普通なら思うだろうし、俺もそう思う。
けれど、彼女は頑なにその鎧を脱ぐことを嫌がった。
最初はフード付きポンチョも脱ぎたがらなくて大変だったが、色んな場所で引っかかったり汚れたりするぞと説得して、室内でポンチョは着ないようにしてくれたのだ。
そんな彼女は、部屋に入ってきて入口で立っている。
普通の生物と異なる彼女は、寧ろ物質に近い。だから僅かな揺れもなく立っている。
一見すると飾り物の西洋甲冑のようでもあるが、そのヘルムの奥では、意志ある骸骨がこちらに視線を向けているのだ。
物だけれど、その奥に意思がある存在感。それは防犯カメラに監視されているのに似た感覚である。
彼女は、このままだとずっとここから動かない。
なにせ、彼女はこちらに用があって入室したわけではないのだ。
恐らく何時間でも不動でここでこちらを見つめ続け、こちらが何か指示を出すまで、もしくは植物の世話などの別の用事が発生するまではただじっと立っているだろう。
監視されていると感じてもおかしくはない。事実、俺も昨日まではこの状態を監視だと思っていた。
だが、流石の俺でも、昨日の態度を見て分かった。
彼女は俺を恨んではいない。
どう思っているかまではわからないが、少なくともマイナスの感情がそうさせている訳ではないとわかったのだ。
だから、今もこうして目の前でじっと立ってこちらを凝視し続けているのも、監視ではない。単に何か役に立てる事があったら言って欲しいという事なのだと思う。
頑なにローブや、今でいうと鎧を脱がないのは、俺の暴力を警戒しているのではない。
昨日姿見の前でいつまでもひらひらと回転して自分の姿を見ていた彼女の姿は、まさに「喜んでいた」のである。
つまり、好きなものだからずっと身に着けていたい、という事なのだと思われた。
彼女は、創造主である俺に忠義を尽くそうとしているのかもしれなかった。
けれど、だからこそそれが憐れでならない。
主に好きなように利用されて、殴られて、それでも主の為に動く事しかできない。
それ以外の選択肢を用意されていないのだ。
それなのに彼女は、そんな人生を恨まず、前向きに生きようとしている。
なんと憐れで、悲しい存在を産みだしてしまったのだろう。
俺の胸中はざわざわと罪悪感が湧きあがっていき、その罪悪感の触れた箇所が痺れるように震えて痛む感覚で支配されていた。
なんとしても彼女を人間に戻し、俺から解放してこの世界で幸せになって欲しい。
俺は痛む胸中にその言葉を薬のように投入し、十分に染み渡ったところでリリィに声をかけた。
「外にでも行ってみるか?」
そう言うとリリィは素早く踵を返し、ゴッゴッゴッゴッと廊下を小走りに駆けてゆき、次いで階段をゴツン、ゴツンと降りていく。
階下に降りた後は玄関辺りまでゴッゴッゴッゴッと再び小走りに駆けてから、行った時とは逆の順序で足音が聞こえてくる。
そして、目の前に現れたリリィの両手には、赤いポンチョがあった。
それをこちらに差し出してくる。
「ああ、そうだな、外に行くからな」
俺はそう言って「後ろ向いて」と告げ、ポンチョを羽織らせる。
次いで「次は前を向いて」と告げると、素直にリリィはこちらを向くのでボタンを閉める作業を行う。
(まるで子供が一人増えたみたいだな)
俺はそう胸中で呟いて、人知れず苦笑した。




