子供たちと森の主㉚
ヨハンは、顎に手を当てて考えながらクロヒョウに向かって言う。
「待って欲しい。残念な事だけど、僕達とあなた方にはまだ信用がない。だからどこに連れていかれるかわからないお誘いは避けたいと言ったはずですよね」
これに対し、クロヒョウは表情のわからない顔で返答を返した。
「それはその通り主にも伝わっていますわ。ですが、故あって主は森から出られぬ身。譲歩として森の入口までお越しいただいたので、そこでお話をされたいそうですわ」
「なるほど」
ヨハンは、ちらりとシモンに視線を送る。
彼女が肯定するように頷いたのを見て、ベズィー達に向かって口を開いた。
「僕はこれから森の入口まで行って、話しをしてこようと思う。みんなはシモンと一緒にここで待っていてくれないかな」
これに異を唱えたのは、意外な事にポルルだった。
「僕も行きます!」
あまり口数の多くない少年のその一言は、全員が静まり返るのに十分な程の意思を持っており、説得を試みようとするヨハンには、まるで頑として動かない巨石の様にも見えた。
だが、意思の強さ弱さで安全度は変わらない。なんとか説得しようと口を開こうとするが、ポルルの方が早かった。
「僕も魔力を感じる事ができます。だから、あの森の恐ろしさは分かります。でも、ここで『しょうがない』って待っている事を受け入れたら、この先もずっと何かあるたびに『しょうがない』で済ませてしまうと思うんです。我儘なのはわかってます! でも! 僕も連れて行ってください! いざという時は見捨てて貰って構いませんから!」
目尻に涙すら浮かべるその顔に、ヨハンは開きかけた口を閉じる思いだった。
口を開けたのは、コギルだった。
「俺もついていく。俺はポルルを守ってみせるよ。仲間だしな」
ベズィーと、トーアーサは頷く事で意思を示していた。
ここまで言われて、置いていくとは言えない。ヨハンは困った顔をやめ、笑って皆に言った。
「わかった。じゃあ、行こうか」
全員が、小さく了解の声を発したのだった。
森の入口に差し掛かり、前回と同じく、多数の気配と共にざわめく複数の声を耳にしながら進む。
『また来た』『ニンゲン』『主が招いた』『魔力の強いのが3人居る』『トリスメギストス』『愚かで賢しいニンゲン』『一度滅ぼした』『主が話す』『殺す許可くれるかな』『ニンゲンは信用できない』『皮を剥ぎたい、剥ぎたい』
明らかに好意的ではない周りの声に耳を傾けていると、クロヒョウが立ち止まった。
「着きましたわ」
行って、横にずれて伏せのポーズで目を閉じたクロヒョウ。
前方を見やると、思わず息を飲むような巨木が立っていた。
根はまるでタコの足の様に逞しく周囲に張り巡らされており、それを支える一本の太い幹も壮観だった。
だが、一番目を引くのは、高さは2メートルくらいの場所に、人間のようなものが張りつけられているのだ。
いや、張り付けられているのか、浮き出ているのか。
男の上半身が両手を広げているようだが、腕の先端や腰から先は幹に埋まっている。
そして、肌というか表面というか、そのようなものは幹と同じ材質だった。
顔は何かを天に向かって絶叫しているところを固められた、という様相であり、髪の様に見える枝が、絡みついて抑えている様に見える。
一種異様なその木に見入っていると、頭の中に声が響いた。
『ようこそ。憎きニンゲンの男女。まずは私から話しても?』
「……はい、構いません」
重々しい声や語りかと思ったが、想像よりも若い声。喋り方も堅苦しいかと思いきや、少し俗っぽい印象を与えるものだった。
『まずは問いたい。トリスメギストスと名乗るのは、誰だ?』
「僕です」
シモンの事は伏せる事にした。その意味がわからないからだ。
もしそれが彼らの因縁の相手で、怨恨があるというのであれば、ヨハン一人でその憎しみを受けるつもりだった。
或いは、可能性として低いがそうではなく、なんらかの有益なものを与えてくれるというのなら、シモンもそうなのだと打ち明けるつもりだった。
『という事は、お前テンセイシャか?』
「? ……申し訳ありません。僕にはその言葉の意味がわかりません。よければ教えていただけませんでしょうか」
『……違うということは、その血縁者? それとも偶然? いや、そんな偶然が起こるだろうか。確かにレーヴァテインを持つ者が居ると思ったのだが……』
巨木がぶつぶつと呟く様を見て、周りの姿なき声もざわつきを増す。
『レーヴァテイン』『神の愚かな行い』『魔王を滅ぼすつもりか?』『世界をどうするつもりだ』『この世界に堕とされた憐れな者』『主の味方? 敵?』
主という巨木との会話に集中しなくてはならないというのに、周りの声が気になって仕方がなかった。
ふと、ベズィー達の様子に目を向けると、言葉の意味に興味を持つというよりは、姿なき声に怯えているといった様子か。
シモンにも視線を向ける。
敵地の只中にいるというのに、彼女にしては珍しく何かを深く考えている表情だ。
ヨハンも、思考の渦に飲まれそうな心地だった。
以前からあった小さな点が、今新たに得た点と結びつき線になり、それらがどんどん広がって、何かの形を作ろうとしている。
それは星座を見つける行為と似ていて、恐らく注意して洞察しなければそれとは気づかない程曖昧な輪郭をしている。
だが、思考の渦に飲まれるのを、巨木の声が許さなかった。
『トリスメギストス』
「ヨハンとお呼びください」
『そうか、私の事は……木とでも呼んでくれ。ではヨハン。君の周りで、明らかに弱いはずなのに強い者。もしくは、どう考えても偉人ではないのに、偉業を達成する者はいないかな?』
この言葉にヨハンは考える。
少なくともそんな存在は居ない気がする。ヨハンの周りという意味では、シモンやチェルシーも見た目からは想像し難い強さとは思うが、明らかに弱いはずという表現が引っ掛かった。
だが、一つ変だと常々思っている事はある。
それが関係あるのかはわからないし、意図したものとは違うかもしれない。
けれど、何かの取っ掛かりにはなるかもしれないとヨハンは返事に乗せる事にした。
「そのような人物はわかりませんが……逆なら心当たりがあります」
『逆?』
「はい。明らかに強い筈なのに弱いとされている。そして偉業といえる事をして、尊敬される筈の考えを持つのに、不当に低く見られている者であれば心当たりがあります」
『……なるほど、それは怪しい。その者の名前は?』
「僕の父、ペトロ・トリスメギストスです」




