子供たちと森の主㉖
森に入って1時間ほど経った頃。馬を降りて歩くことになった一行。
ヨハンはあまりの異常さに、汗を拭う事も忘れていた。
体中にじっとりと噴き出している汗によって、衣服が肌に吸い付き不快感を感じる。
傍らを見やると、シモンも同じ状況の様だった。
せわしなく左右に視線を動かすその顔に、汗で髪が頬に張り付いているのが見える。
対して、ちらりと後ろの様子を見ると、ベズィー達は特に何事もない様子だ。
歩いているので多少の疲労はあるだろうが、そこまでの緊張感はなく涼しげとも言えた。
(多分……みんなにはわからないんだろうな)
胸中で苦笑いと共に独り言ちたヨハンだが、その分析は正しいように思えた。
この森に入ってから感じる異常なまでの魔力の気配。それは一所から発生しているのではなく、森全体のどこと言わず各所から感じるのである。
優秀な人材だとはいえ、ベズィー達は村人に過ぎない。魔力を感知したり、意識する訓練などは行っていないだろう。
いや、もしかすると、そもそも父以外はそこまで魔力の存在を意識する訓練は行っていないのかもしれないとすらヨハンは思っていた。
だからこそ生まれる温度差。ベズィー達にとっては普通の森の光景なのだろうが、ヨハンとシモンにとっては、綱渡りの中、撤退の判断をすべきかという判断を常に続ける必要があり、精神的に追い詰められていた。
ふと、ヨハンの左手をシモンが掴んだ。
「お兄様ごめん。完全に囲まれた」
「……そうか」
先ほどからシモンが視線を向けると、その場所でガサガサと物音がしていた。
森の存在はシモンには警戒しているらしく、近づいてこなかったのだが。
突然立ち止まった二人に、コギルが眉根を寄せる。
「どうしたんだ? なんかあったのか?」
トーアーサもその質問に続く。
「森に入ってからヨハンとシモンがおかしい。何に怯えている? 何かあった? 教えて欲しい」
トーアーサは二人の様子に気付いていたようだが、その理由を掴めていない様子だ。
刹那、何かに気付いたシモンが声を上げる。
「抜刀! 戦闘準備!」
その言葉にヨハンは素早く反応し剣を構える。
ベズィー達もやや遅れたが、武器を手にする。
一時の静寂が訪れた。
むしろ、不自然なくらいの静寂である。風の音もなく、どこからも音が聞こえてこない。
まるで森全体が音を立てずに潜んでいるかのように。
その異様な緊張感に耐えられなかったのか、コギルが声をあげた。
「お、おい……」
「黙って!!」
必死な剣幕のシモンの声にコギルは黙り込む。
呼吸の音すら消えてしまったかのような、時間の感覚すらも狂わすような、そんな静寂が場に横たえる。
永遠に続きそうな静寂、だが、それを破ったのは姿なき声だった。
『フフフ』『ニンゲン? ニンゲンかな』『美味しい?』『すごい魔力を持ってるニンゲンがいる』『男と女?』『主の言っていたニンゲン』『何しに来た』『綺麗な目、貰っていい?』
どこから聞こえているのかわからない複数の声。
遠くから聞こえるような気もするし、耳元から聞こえるような気もする。
上なのか下なのか、近いのか遠いのかもわからないざわめき。
ヨハンは、空気に飲まれない様に一度深呼吸をしてから森に呼びかけた。
「勝手にお邪魔してしまって申し訳ありません。僕はヨハン・トリスメギストス。この森にある素材を少し分けてもらいたくてやってきました」
その声に、ざわめきは深くなる。
『トリスメギストス』『トリスメギストス?』『神の遊び?』『主に報告するべき?』『食べてみたい』『憎い』『綺麗な顔、壊したい』『幼い?』『主と同じ場所から来た存在』『でもまだ弱い』『後ろのニンゲンは食べていいよね?』『何者? 何者?』
どこから聞こえているのかわからぬ声に、コギルはヨハンに向かって口を開く。
「お、おい、なんなんだこれは」
その声が震えていたのは、不安からか恐怖からか。
ヨハンは答えることなく、突然現れた二つの存在と対峙するように目を向けていた。




