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子供たちと森の主㉓

 翌朝、僕とシモンは北の森に向かって駆けた。

 体に魔力を十分に漲らせると、ひと蹴りで進む距離が飛躍的に増えるのである。

 『早く疾走する』という言葉からイメージは二通り生まれると思う。

 足を交互に動かす前後運動の速度を速くするというイメージと、ひと蹴りひと蹴りが跳躍に近い推進力をもつというイメージだろう。

 前者は父から聞いた事があるニンジャという特殊な修練を積んだ情報収集のプロがそういう走り方をするらしいが、現実的には後者が技術的にも効率的にも即していると言えるだろう。

 だから、僕達の走法は後者だ。

 足を前後させる速さはそんなに早くないが、地面を蹴ってスピードと距離を出して、その速度を継続させるように反対の足で蹴る。それを続けていく事で、一定の速度で、かつ非常に高速で移動ができる。

 僕達は無理をしないように、お互いの体調を見ながら何度か休憩を挟みつつ北の森に到着した。

 太陽の位置を見ると、昼まではまだ時間がありそうだ。日が落ちた状態の森で特定の植物を探すなど至難の業であろうから、活動できる時間は6~8時間といったところか。

 僕は短剣を抜いて、先に森に入る。

 シモンも抜身の剣を彼女の利き腕である左手でしっかりと持ち、付いてきた。


 森の中というのは、独特な空間である。

 静かな様でいて騒がしく、騒がしい様でいて静かなのだ。

 まずは匂いである。常に水の匂いが薄く漂っており、水場が近づくと水の匂いが強くその匂いが一杯になるが、少し歩くとまた水の匂いが薄まる。

 では、その水以外の匂いは何かというと、それは様々だ。

 土が強くなったり、青臭い植物だったり、蜜だったり、岩にだって匂いがあるし、ガスの匂いなのか嗅いだことの無い匂いや、時には獣だったり。

 恐らく水という命の源であり混沌の源でもある物質が、全ての存在の匂いを助長しているのだと思う。

 草食の動物は水に浸かる事で匂いを消すというが、この消すというのは失くすのではなくて、より大きな匂いの中に紛れさせるという事ではないだろうか。

 そう思える程、森の匂いは騒がしい。

 一歩一歩ごとに匂いのバランスが変わり、そこに沢山の存在がひしめいている事を思わせるし、まるで物質としての形があるかのように濃淡がある。

 音もそうだ。

 風と共に木々がざわめく様に音をたてたかと思うと、遠くから何者かの鳴き声が突如響き、あるいは唐突に全てが静かになり、自分たちの足音しか聞こえなくなる。

 静かになればなるほど不穏さを感じるし、騒がしいとより恐怖が間近に迫っている気がしてしまう。

 決して暑い訳でもないのにじっとりとかいた汗に不快感を感じながら、僕とシモンは注意深く周りに視線を這わせて探索を続ける。


 そんな探索も一時間ほど続いただろうか、何かを感じたシモンが僕の左腕を掴んだ。


「お兄様、嫌な予感がする」


 言われて見回してみるが、僕にはその予感の元となるような異変は確認できない。

 

「僕は何も感じないけど。魔力も感じないし」


「そういうんじゃない、とても嫌なものを感じる」


 僕の頭の中には、疑問符が次々と生まれていた。

 脅威という事なら、きっと魔物なのだろうと思う。けれど、僕達はある程度の魔力を気配として探知できるように訓練を受けているのだ。

 勿論技術ある人間であれば隠ぺいする事も可能で、事実、父の魔力の気配は常に感じにくい。

 ただ、魔物は基本的にそういった小細工はしてこないと父が言っていた。という事は現時点で魔力の気配がないという事は、魔物はいないという事になる。

 他にも危険があるのだろうか、と考えてみるのだが、その答えは未だ出てこない。

 そして、どんな危険があるとしても、足を止める事で解決できるとは思えない。

 僕はとりあえず先に進もうと声をかけようとして──。


「お兄様っ!」


「え?」


 妹の声が響き、掴まれていた腕が引っ張られたかと思った瞬間、世界が回っていた。

 最後には、青々とした緑に囲まれた、透き通った青の空が視界に広がる。

 恐らく、妹があまりに強く引っ張った結果、僕は数メートル後方に転がってしまったのだろう。

 そして、起き上がった時にシモンが腕を引いた意図、嫌な予感の正体が分かった。


 まるで鳥のような極端な前傾姿勢。大人の身長程の上背の頭部は、禍々しいほどに凶悪な顎を備えており、目は爬虫類を思わせる冷酷さで獲物を見ている。

 ユタラプトル。青い毛並みの下にある皮膚は、爬虫類のそれのように硬く強靭で、後ろ足は獲物を掴んだり地面に抑えつける為に強靭で且つしなやかに動く。

 その後ろ脚にシモンが踏みつけられ、指の隙間から逃れようともがいていた。

 そんなシモンの姿を、ユタラプトルは感情のわからない目で見ている。

 半開きの口からは尖った歯が並んでおり、その隙間から唾液が糸を引く。


「シモン!!」


 僕は呼びかけて短剣を構えた。その姿を見たユタラプトルの喉が、鳴るように音を出す。


「ォ……ォ……ォ、ォ、ォ……オウ! オウ! オウ!」


 まるで笑っているかのような鳴き声にどんな意味があるのか。

 僕はその意味に気付くのが遅れてしまった。ユタラプトルは、群れる動物なのだ。

 刹那。

 一斉に周囲から数頭のユタラプトルが飛び出し、一斉にシモンに食らいついたのだ。

 眼前のユタラプトル達は、野生動物が行う捕食の動作をしていた。

 頭を振り、獲物の体を食いちぎる動作。勢いよく噛みつく動作。

 シモンの姿は群れた獣達の中で見えなくなってしまっている。それがまた、恐怖を駆り立てた。

 その恐怖は一種異様だった。

 自分がそうなる事への恐怖じゃない。失う事の恐怖だ。

 気付けば、僕の目じりには涙が浮かんでいる。

 楽しそうに鳴くユタラプトル。一心不乱にシモンに噛り付くユタラプトル。輪に入れなくて、隙間を探してうろうろしているユタラプトル。

 ユタラプトルの感情はわからない。だけれど、分かる事がある。

 全員、愉しんでいる。喜んでいる。涎を流し、凶悪な牙を突き立てて、歓声を上げている。

 僕の足は震えた。

 気付けば、短剣を手にしていることも忘れて、目の前の光景をただただ見ていた。

 頭の中は真っ白で、心はざわざわとして、でも、体は動いてくれなくて。

 その時、一瞬頭に過ぎったのは、シモンと喧嘩して、仲直りしたときの記憶だった。

 様々なシモンの顔がまるで強烈な光のようにの中で浮かんでは消える。

 怒った顔、耐えている顔、笑った顔、泣いた顔。

 二人で笑いあった時の笑顔。

 僕の頭にはシモンとの思い出が燦然と輝く光の様に浮かんでいて、心にはどす黒い感情が溢れていた。

 そのどす黒い何かが、喉を通って口から絶叫となって飛び出した。


「全員!! ぶっ殺してやる!!」


 僕は涙の粒をその場に残し駆けだした。

 目の前のユタラプトルに袈裟切りに切りかかるが、それはあっさりと躱されてしまい、たたらを踏む。

 歯を食いしばって振り返ったそこには、5つの凶悪な口腔と、10の冷酷な目が嗤っていた。

 僕は、恐怖を飲み込んで、かわりに怒気を吐き出して駆け出す。


「くっそおおおおおおおおお!!」


 だが、そこに意外な声が下から聞こえた。


「お兄様! 右お願い!」


「!?」


 頭から冷水をかけられたような衝撃も一瞬、僕は右から迫るユタラプトルの上あごにの短剣を突き立て、相手の勢いを殺し、引き抜きながら後ろに下がった。

 その僕の頭上をシモンが飛び越え、ユタラプトルの脳天を剣で貫いた。


「シモン! 大丈夫なのか!?」


「お兄様が来てくれるって信じて、全部の魔力を防御に回して待ってた! もう少し遅かったら死んじゃってたかも! 遅いよお兄様!」


「……ごめん!」


 言いながらもお互い動き回り、ユタラプトルを一体、また一体と倒していく。

 僕は相手の動きを読んで牽制したり、カウンターを狙って相手の攻撃を潰し隙を作り、その後ろからシモンが必殺の一撃でもって屠っていく。

 まるで長年行ってきた作業のように洗練した連携で、ユタラプトルの数を減らしていき、ついにとうとう最後の一体になった時、ユタラプトルは森の中に逃げていった。

 シモンは安堵の息をつく。


「はあ……助かったぁ」


「シモン! 安心するのは後だ! 走るぞ!」


 僕はそう言ってシモンの手を取り、駆け出した。


 全力疾走する事数分、僕達は息も絶え絶えになりながらどちらが先というでもなく、地面に倒れ込んだ。

 僕の視界には、またあの青々とした緑と透き通る青が見える。

 耳からはシモンの声が聞こえてきた。


「なんとかなったねお兄様」


 息が整っておらず、荒い息遣いと共に出される言葉。僕も変わらない荒い息もそのままに、返事を返す。


「ギリギリだった、ギヨーム村長の言う事は正しかったな。もっと素直に言う事を聞いて、油断しないようにしなきゃいけなかった」


「まあ、そうだね。でも今更しょうがないし、次がんばろ」


 僕は、シモンの方に顔を向ける。

 すると、清々しい顔で空を見るシモンの横顔が見えた。

 彼女は少し口を尖らせるようにして言葉を紡ぐ。


「でもお兄様、遅いよ。結構痛かったんだよ?」


「……ごめん。でもシモン、次から危ない感じがしたら下がって欲しい。心臓に悪いよ」


「アハハ、そうだね。役割が違ったね」


「役割……か」


 僕のその声に、シモンはこちらを向いた。


「ねえ、お兄様。難しい事考えるのやめようよ」


「難しい事?」


「そう、難しい事。私達がどういう役割を持って生まれてきたのかはわかんないし、自分達がどういう役割を望んでるのかもわかんない。でも、私はお兄様の前に立ちふさがる敵を絶対に切り倒す!」


 僕は、その言葉がおかしくて、少し笑ってしまう。


「ちょっと暴力的じゃない?」


「力強いって言ってよ。それでね、お兄様は絶対に」


 空を見ていたシモンの目が、こちらを向いた。


「絶対に、私を守ってよね!」


〇〇〇


 記憶のフラッシュバックは、現実では一瞬の事の様だった。

 彼、ヨハンの目の前ではゴブリンが斧を振りかぶって襲い掛かってくる。

 それを盾でいなして周りを見ると、トーアーサとコギルは残ったゴブリンの掃討にもう少しかかりそうだった。

 ベズィーとポルルはシモンの援護を行おうとゴブリン達を振り切るように走っているが、ゴブリン達も意外と足掻いており、うまくいっていない。

 見やると、こちらに向かっているシモンにゴブリンの騎兵達は今にも追いつきそうだ。


 ヨハンは、目の前のゴブリンを唐竹割りに切り割いて、皆に声をかけた。


「あとは頼んだ!」


 言って、ヨハンは体の魔力を急速に循環させる。体の周りからは、青白く発光した魔力が溢れて可視化されている程だった。

 その様子にコギルが何か言っているようだが、今のヨハンはそんなことに構っていられる精神状態ではないのである。

 十分に魔力の循環を終えた後、ヨハンの体がその場から掻き消えかと思えば、少し遅れて空気を叩くような破裂音が鳴り響いた。

 まるで雷のそれである。彼は生物の常識では測れない速さでシモンに向かって飛び出したのだ。

 そして光の速度は言い過ぎだが、それに近い圧倒的なスピードで彼はシモンの真後ろまで到達した。

 驚いたシモンの安否確認もそこそこに、ヨハンは迫りくるゴブリンの騎兵に盾で殴り掛かる。


「うおあああああああああああああああああ!!」


 正面から殴り付けると、そのゴブリンは乗り物ごと進行していた方向とは逆方向に吹っ飛んでいく。

 後ろから声が聞こえた。


「お兄様! 左お願い!」


「わかった!」

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