本戦②
チェルシーの声が聞こえたと思ったその刹那、既にその姿はゼノビアの目前に迫っていた。
神速の突き、だが、ゼノビアは難無く避ける横に飛んで避けた。
「お、おい! 何が起きた!」
「俺の目がおかしくなっちまったのか!?」
観客たる傭兵達が騒然とするのも当然である。
チェルシーの突きは確かに早く、それなりにあった距離を一瞬で詰めたという事実も驚嘆に値するだろう。
しかし、一同の驚きはそこではないのだ。
チェルシーはその距離を詰める為に走ったわけではない。かといって、跳んだわけでもなかった。
『滑った』のだ。
チェルシーは開始の言葉を発するや否や、右足はつま先立ちで地面に着けたまま、蹴り上げる様に左脚を水平に上げ、剣をその足と同じ高さで水平に伸ばし、まるで氷上を高速で滑る物体のようにゼノビアに向かって滑ったのである。
そして今も、ゼノビアを通り過ぎ、優雅に弧を描く様に滑ったあと、丸太を抱えるようなポーズで三回程回転して止まったのだった。
ヨハンは、驚愕から声を震わせて言う。
「あの回転は父上に教わった事があるけど……」
言葉を続けたのはシモンだ。
「クラシックバレエってやつだよね。頭の動きが独特で、体は回転してるのに顔は常に前を向いてるあの感じは、確かに似てるね」
「おい、なんだよクラシックバレエって! なんだよあれは!」
ヘカテが興奮したように問いかけてくる。コギルやベズィー達も興奮した視線を向けており、シモンは困ったように眉根を寄せた。
「えっと、どこかの地方の踊りだと思うんだけど詳しくは……」
「それに、あんな滑る動作はその踊りにはないしね」
付け加えたのはヨハンだ。そこに、ポルルが思案顔で言葉を発した。
「あれ、つま先だけ摩擦率を下げてるよ。見て、よく見ると踵でブレーキしてる感じだよ」
「へえ、よく見てんな、ポルル」
「おい! なんだよマサツリツって! お前らなんの話してんだよ!」
ポルルとコギルの会話に、ヘカテが耐えきれなくなったかのように、ポルルの胸ぐらをつかんで問う。
ポルルの「やめてよぉ」という弱々しい声が、観衆のどよめきによってかき消された。
チェルシーが再び動いたのだ。
優雅に風に黄昏るような恰好をしながら恐ろしいスピードでゼノビアに迫り、その少し手前で飛び上がり、きっかり三回転してからたっぷりと遠心力の乗った横凪の斬撃を繰り出した。
そこからは斬撃の嵐である。
さすがのゼノビアも防戦に回り、時折大剣でけん制するのだが、チェルシーはまるで白鳥の様な優雅さを保ちながら右に飛び、左に飛び、時に前に滑り、ゼノビアの周りを360度様々な角度から切りつける。
いや、時に屈んで、時に飛び上がっているので、そこには上下の次元も加わり、防ぐゼノビアの顔から余裕を奪う。
ゼノビアもこうなっては、大振りになりがちな大剣はたまに牽制で使うくらいしかできず、それでも左手の剣を高速で閃かせ、大して力を入れたふうでもないのに何度かチェルシーをよろめかせる。
先ほどのシモン対ヘカテとは違い、観客が何度も驚きの声をあげ、何度も歓声で沸いた。
そして、チェルシーが距離を取り、再び神速の滑りを見せた時、大きな歓声が上がった。
待ち構えるゼノビアの声が飛ぶ。
「こいつで終わりだ!」
一歩横にずれたゼノビアはチェルシーの滑りに合わせ、まるで飛んできたボールを撃ち返すように、大剣で横凪ぎの斬撃を繰り出した。
とても躱せるタイミングではない。誰もがこれで終わったと落胆の声を上げた。
しかしチェルシーは、頭が床に着くくらいに上半身を仰け反らせて躱す。
ここで歓声が爆音と言える程に弾けた。
これにはヨハン達も思い思いの歓声をあげ、ヘカテにいたっては「なんなんだあの動きは! なあ! 教えろよ!」とポルルの首を絞めている。
ポルルは「やめてよぉ」と言うだけの存在になり下がった。
ヨハンの心にはチェルシーに感服した思いが満ちていた。元勇者一行の中で、二つ名を持つほどの英雄、ゼノビアをして脇役の扱いである。
決してゼノビアの実力が劣っている訳ではない。むしろ、チェルシーの縦横無人の攻めを、殆ど左手一本で受けているゼノビアの実力は恐ろしい程であろう。
しかし、そこに目がいかないのだ。誰もがチェルシーが次はどう動くのかと注目している。
言ってしまえば最早どちらが勝つか、どちらが強いかなどはどうでもいいのだ。
つまり、その場はもう既にチェルシーが主役の舞台のようである。
まさに、舞踊を見ているような感覚だ。
大技が出る度に観客が沸き、危ない局面では心配の声が漏れる。誰もが魅せられる。そんな戦いだった。
しかし、そんな激闘も、終わりは唐突だった。
激しく剣の応酬をしていた二人が突然距離をとり、あんなに動いたというのに息すら上がっていないチェルシーの口から、予想外の言葉が飛び出した。
「私では届きませんか。……降参します」
その言葉は、熱気に溢れた場を静かにするには十分な冷たさだった。




