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本戦①

「ちょ……離れろよ!」


「やだ! 敗者は勝者の言う事を聞かなきゃだよ!」


 そんな声と共に、きゃあきゃあと騒ぐ二人。

 ヘカテの腕に抱き着くシモンと、それを嫌がりながらも振りほどくまではしないヘカテ。

 シモンは心の底から楽しそうに笑い、ヘカテは困った様な、照れたような、そんな顔をしているが、存外まんざらでもなさそうだ。


 その様子に観衆と化した傭兵達は、困惑に似た表情を一様に浮かべていた。

 しかしその困惑などどこ吹く風という大きな笑い声がその場に響く。


「あっはっはっは! なんだよ、戦うって雰囲気じゃねえなあ!」


 ゼノビアだ。彼女は目に涙さえ浮かべて大笑いし、ヘカテに向けて母親の顔をした。

 そんなゼノビアに、幾分か優しい笑顔になったチェルシーが一歩進み出て声をかける。


「では、不戦勝という事でよろしいですか?」


「いや、それは困るな。弟子に示しがつかない」


「そうですか。それでは、そろそろはじめましょうか」


「ああ、いいぜ。こっちは準備できてる」


 そう言ってゼノビアは大剣型の木剣を右手に、普通の木剣を左手に持って進み出て、ヘカテに向かって言う。


「見てろ、弟子」


「……わかった。師匠」


 二人の短いやり取りを経て、準備完了という雰囲気が漂う。

 一方チェルシーはヨハンとシモンを呼び、二人に優しい声で言った。


「ヨハンくん、シモンちゃん。あなた達はこの先、沢山の仲間や敵と出会い、時に戦いという手段をとる事もあるでしょう。ペトロは直接的に勝つ事には長けているかもしれませんが、政治的な意味で勝つ事には疎いんです」


 そう言って、まるで春の日差しのようなふわりとした笑顔をして続ける。


「だから、よく見ていてください。ただ勝つだけでは駄目です。その人がいるだけで戦場が沸き立つ、そんな英雄のような戦い方を、今後二人にはして欲しいと私は思っています」


 言ってゼノビアと対峙する為に進み出るチェルシー。

 いつの間にかシモンやヨハンの近くに来ていたヘカテが零すように感想を言う。


「綺麗な人だな」


 その言葉が正に当てはまる様相だった。

 一歩一歩、歩く所作だけでなく、目線の一つとってもそうだ。洗練されているという言葉を飛び越えて、まるで空想の人物のような完璧な美しい動きである。

 スカートが風になびく様や、服の皺一つ一つに至るまで全てをコントロールしているかのようだった。

 やがて大人四人の身長を足したくらいの間合いで対峙したチェルシーとゼノビアは、お互いに構えをとる。


 ゼノビアは半身になり、大剣を担ぐようにしながら、左手の剣をフェンシングのように突きの姿勢で保っている。

 柄を緩く握っているのか、やや剣先が下を向いている様子だった。

 その様を見て、ヘカテが驚いた様に言う。


「……あのチェルシーって人、強いのか? 師匠のあの構え、本気の時のやつだぞ」


 言われてヨハンは、顎に手を当てて考える。

 チェルシーの実力は、正直に言って分からなかった。

 たまに恐ろしい程の膂力を発揮する事もあったから、実力が無いわけではないとは思うのだが、元勇者一行に並ぶ実力なのかと問われると、実際に剣を交えた事が無いためにわからない。

 そんな事を考えていたヨハンは、観衆の異変に気付いた。

 皆の視線が、一点に傾いているのだ。


 その先にあるのは、チェルシーだった。


 チェルシーも半身の構えとなり、剣を持った右手は、肘を軽く曲げながらも、相手に剣を突き付けるようにし、左手はスカートの裾をつまみ上げ、まるでこれから膝折礼でもするかのようにて広げるようにしている。

 足もまた、右足はつま先立ちとなり、左足はその右足に絡みつくようにしている。

 その背はピンと伸びており、ヨハンにはまるで翼を広げた白鳥の姿に見えた。


「綺麗だ……」


 その声は、思わず口から漏れたようであったが、誰の口から漏れたものなのかわからなかった。

 

 ゼノビアは、そんな状況を楽しむように獰猛な笑みを浮かべ、口を開く。


「剣を使うって事から、貴族だろうとは思ってたけど、あんた程の人間が、なんで村人みたいな服着て歩いてるんだ?」


 対してチェルシーは無表情だった。

 いや、無表情という言葉以外に見つからない、一種異様な顔つきと言えた。

 まるで美しい瞬間を氷で固めたような顔は、見るものによっては心なく命を奪う残酷無比な表情にも見え、またある者には慈愛の眼差しで全てを慈しんでいる表情にも見える。

 見る者の心によって見え方が変わるのである。

 そして、その場に居る人間達の表情を見ると、反応は二種類に分かれた。


 恐怖に顔を引きつらせる者と、期待と希望に顔を輝かせる者だ。

 恐らく前者はゼノビアを応援する者なのだろう。

 だからこそ、心を映すチェルシーの表情を、攻撃的な目で見てしまった。

 彼らの目には、まるで生殺与奪になんの関心も持たない、人間とは感性の異なる恐ろしい表情が写っていることだろう。


 後者は、チェルシーを応援する気持ちで見る者達だ。

 その目には、全てを愛し、そしてどんな事も乗り越える、頼もしくも強き顔が映っている。


 先の戦いでシモンが見せた、ただ感情を見せないための無表情とは次元が異なる無表情に、ヨハンは戦慄すら覚えた。


 そんなチェルシーに相対するゼノビアは何を思うのか、獰猛な笑みを崩さず、いや、寧ろ深めて嬉しそうな声を出す。


「へえ、お上品な剣も、極めればそんな威圧感が出せるんだな」


「貴方のような自分の為の剣と比べられるのは遺憾です。貴族の剣は、己の為に振るうものではありませんので」


「じゃあ誰の為なんだよ」


「守るべき者の為、領地や国の未来の為。だそうです」


「一般論じゃないよ、あんたはどう思ってんだって聞いてるんだ」


 チェルシーの脳に何が過ぎったのか、一瞬の間があった。


「……本来は、私が守るべき者達の為に振るう筈の剣でした。ですが、今は……そうですね。敢えて言うなら、大切な人の未来を守る為、という事になりますかね」


「へえ。貴族様ってやつは、大義名分がなければ剣すら振るえないのか。ま、大義名分が無かったから、実力はあるのに好きな男に付いていけなかったって事だろ? 難儀だねぇ」


「そうです。とても難儀ですよ。貴族なんて存在は」


「ははは」


「ふふふ」


 静かに笑い合う二人。声だけ聴くと、まるで仲のいい二人の会話に聞こえるのだが、対峙するその姿は反対に、異様なまでの闘志と殺気に満ちている。 


 張り詰めた空気の中、平坦で、優しげですらあるチェルシーの呟きに似た声が紡がれた。


「では、いきますね」

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