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お約束の馬車③

 ドウン、という地すらも揺らしそうな大きな音が全員の鼓膜を揺らす。


 揺れたのは果たして鼓膜だけか、それとも常識か。

 ヨハンが盾で振り払うようにしたその動作で、馬がもんどりうって真横に吹き飛ばされたのである。

 後ろに連結されている馬車は砂煙を上げて轟音をあげながら横転し、御者台に乗っていた男は冗談のように飛んで行った。


 コギルが肩をすくめて溜息をし、鎧を着た男たちは息を飲んだ。

 

「こ、こいつらただ者じゃねえぞ!」


 その声が呼び水になったのか、男たちは獲物を構える。

 殆どが斧の様だったが、中にはメイスを持つ者もいた。

 こちらで号令を出したのはシモンだ。


「全員抜刀!」


「あーもう、しょうがねえな!」


 コギルは何かを諦めたように斧を構え、他の者も各々武器を抜く。

 シモンは付け加えた。


「情報が不足してるから殺さないでね! ぶん殴って様子見るよ!」


「結局こうなるのかちくしょう!」


 コギルの悲愴な叫びと共に、戦闘は始まった。



〇〇〇



「サー・コルトン! 走っていても馬には追いつけません!」


「わかっている! 死に物狂いで走れ!」


「しかし! 追いついたとて疲労していては……」


「それでも騎士を目指す者の姿か! 従者オルカン! あの馬車にはダービー家のご息女が乗っているのだぞ!」


 コルトンの言葉に、オルカンと呼ばれた年のころなら14~5程の青年は、押し黙って歯噛みした。


(この命に代えてもお嬢様はお守りせねば!)


 コルトンはまるで胸中の声すら力にすると言わんばかりに、体中から力を絞り出して走っていた。

 並走するのはオルカンのみである。


 なぜこんなことになったのか、彼の思考は忌々しい記憶の口を開かずにはおれなかった。


 

 事の発端は、隣の州の使いから、マリルボーン侯爵家の配下であり、ミンスターの領主であるダービー伯爵家の長女ネモフィラ・ダービーにお忍びで合いたいと密書が届いた事に始まる。


 ネモフィラの父であり、領主でもあるダウロ・ダービーは難色を示したが、家臣達の多くが「これで輿入れともなれば、戦争の火種が消える」と沸き立ってしまったのだ。

 勿論コルトンもダービー家の家臣の一人ではあるが、発言権が大きい訳でもない。それに、政治の事には疎いという事もあって、これに賛成するか反対するか決めかねていたのである。


 ただ、この密書の内容で一番危惧していたのは、ネモフィラ・ダービーに目立たない程度の護衛で指定する場所まで来て欲しい、という内容だった。

 流石に罠ではないのかと訝しむ者も居たが、ダービー家には他にも子が居るので、ネモフィラを罠に嵌める理由がわからなかった。


 ダービー家には子が9人居るが、ネモフィラが特別な何かを有している訳でもなく、少し変わった研究をしているとは聞いたことがあるが、それも大きな功績を上げたという噂は聞かない。


 よって、失ったとしてもネモフィラの命のみ。得る場合は戦争の火種を摘む事ができるという打算から、この密会は行われる事となった。


 密会自体は成功だった。相手の伯爵は礼儀正しく町を紹介し、ごくごく普通の逢引きだと思われた。


 異変があったのは、帰りだった。


 帰りの道中で、突然仲間の兵士がコルトンとオルカンの馬を剣で切りつけたのだ。

 暴れて走り出す馬から飛び降り、剣を抜いたコルトンに兵士達は「お嬢様はいただいていく」と捨て台詞を吐いて馬を走らせ去っていったのだった。


 それから追う事半刻ほど。

 息も絶え絶えになりながら全力疾走を続けているが、そろそろ体力も限界を迎えようとしていた。

 そこに。


「サー・コルトン! 前方に……」


(なんだ、あれは)


 コルトンは全力疾走をやめて息を整えるように進む。

 何故なら、もう走る必要がなくなったからだ。

 オルカンもそれにならい、胸を押さえてぜえぜえと呼吸音を鳴らしながらついてくる。


 その光景は、凄まじかった。


 何があったのか、馬車が横転してタイヤの前輪がちぎれ飛んでいる。

 視線を彷徨わせると、その馬車を引いていたであろう馬が、憐れな事にあり得ない方向に前足をねじらせて倒れていた。

 その周囲には兵士たちが手綱の様なもので縛られて転がされている。

 縛る作業は今なお続けられているようで、年若い青年や少女が、気絶している兵士を引きずっては縛ったりしている。


 コルトンは油断なくその様子を観察しながら近づいた。

 すると、こちらに気付いたのか、一人の少女がこちらに向かって声を掛けてくる。


「誰? その鎧からするとお仲間?」


 その少女は、この世の者とは思えない程に美しかった。

 風にさらさらと流れる金髪は光を反射し、この凄惨な情景の中にあってまるで天使のようである。

 その目は青く澄んでいおり、いっそ人間であればもう少し淀むはずだと思えるほど、人間らしくない美しさが存在した。

 身に纏う漆黒のマントから延びる両手は、これもまた漆黒の籠手で覆われており、どこかおどろおどろしく、しかしそれはまるでいっそ清潔な虚無を思わせるものがあった。

 しかし、対照的に衣服は情熱的で目に痛いほどの赤で、そこだけが生き物らしさを感じさせる。


「ねえ、聞いてるんだけど?」


 声すらも美しいその少女は、目に剣呑な何かを灯した。

 その少女を止めたのは、コルトンでもオルカンでもなかった。


「シモン。まだ敵と決まったわけじゃない、殴る前に情報、だよ」


 そう声をかけたのは、これもまた美しい人物だった。

 まるでおとぎ話の主人公のような、美しくも聡明そうな青年である。

 シモンと呼ばれた少女と同じく、金髪碧眼であり、纏うマントは情熱的だが上品な赤だった。

 銀色に輝く盾を持ち、澄んだその目を映したような青い服を着た青年。

 

(どこかの貴族か? しかし、なんという……)


 心の中でさえ言葉を失ったコルトン。オルカンはきょろきょろと目を走らせながら 

緊張の面持ちだった。

 そこに、第三の声が響く。


「あれ? 中に結構いい服着た人が入ってたんだけどー」


 弓を片手に持った少女が、ずぼ、という音すらたてて、横転した馬車の中から、まるで物でも扱うように後ろ襟を掴んで一人の人物を引っ張りだす。


 その姿を見たコルトンは決断せざるを得なかった。

 今まさに引きずり出されて、捨て猫を扱うようにぷらぷらとされている人物。

 その人物こそが、彼らの守るべき、ネモフィラ・ダービーその人だったからだ。


 だから、彼は『最悪の』決断をしてしまった。


「お嬢様を放せ!!」


 コルトンは、言いながら剣を抜いたのだ。


 その瞬間、黒い風が吹いたと感じた刹那、コルトンの胸部に衝撃と激痛が走り、コルトンの意識は光を失ったのだった。

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