誰にでも出来る魔法⑤
「よし、じゃあ改めて、鏡台に座ってくれ」
上機嫌なペトロの言葉におずおずと従うトーアーサだったが、鏡を見て驚く。
あれだけ叩かれたのに、肌の色が赤くなるどころか、艶々としているのである。
一体どんな魔法を使ったのかと一瞬ペトロに視線を向けるが、彼は両手でトーアーサの側頭部を抑え強引に鏡に顔を向かせてくる。
「では、これからが本番だ。まずはアイラインだな、少し強調して目尻の部分を伸ばすか」
そう言ってペンの様なものを手に、目元に黒い線を書き始める。
鏡越しにこちらを見るのかと思ったが、そうではなく、息がかかりそうなほど顔を近づけてこちらの目の辺りに何かを書き込んでいくペトロ。
その顔は真剣そのもので、軽口や文句を言うのも憚られる程であった。
けれど、男の顔をこんなにも近くで見た事もなく、翻ってはこんなに近くで自分の顔を見られた事もないトーアーサにとって、恥ずかしい気持ちが顔面の温度となって表れていた。
今はペトロの顔が邪魔で鏡が見れないが、もしかすると真っ赤になっているかもしれない程であった。
長く感じる時間の中、ペトロは一つ頷きペンを鏡台に置いて、変わりに弓なりに形が固定された硬い糸の様なものから、無数の毛の生えた物体を手にして言う。
「つけまつげは、強めのアイメイクに埋もれないように長めで、ただしトーアーサの目に似合うようにカールが強すぎないものにしよう」
そう言って手にした毛を金属製で先端が細く、細かいものを挟んで精密な作業するのに適したような物体を器用に使って目元に貼り付けてくる。
次いで、彼は平たくて四角い箱を手にした。
その四角い箱を開けると、中は升目で仕切られており、その升目の中には様々な色が所狭しと並んでいる。
「うーん。悩むな。紫でミステリアスにするのもいいが、トーアーサの可愛さも表現したいしな」
何の話かはわからないが、彼は眉間に皺を寄せ、升目の中の色とこちらの顔を交互に見る。
それはまるで大きな買い物でもする時のような、困っているが嬉しい、そんな顔だった。
やがて、何かが決まったらしく、彼は筆をとって升目に筆を馴染ませ始めた。
「ラメ入りのピンクにしよう。目尻に伸ばしたアイラインの周りを強調する様に塗って、可愛さと知的さを両立させたい」
彼はいっそ楽しそうにこちらの目の周りに筆を走らせ、ひとしきり何かを塗ると、今度はまた別の平たい箱と小さな布の様な柔らかそうな物体を手にした。
「トーアーサは肌が綺麗だから、正直目元のメイクだけでいいかと思ったが、チークと口紅はあってもいいな。チークは薄い色でラメ入り、口紅は光沢のある明るいピンクにしよう」
そう言うと、手にした柔らかそうな物体を箱の中身に押し付け、こちらの頬骨辺りに軽く押し当てたり伸ばしたりする。
それがひとしきり終わると、次に筆にてかてかとしたピンクの何かを馴染ませて唇にゆっくりと塗ってきたのである。
一体何をされているのか、今自分の顔がどうなっているのか、そんな事が不安になりながらも、ペトロの表情から目が離せなかった。
彼はこちらの顔と手にした物体を見比べ、悩んだり、笑ったり、または真剣な表情をしたりと、一人でどんどん表情を変えていく。
しかしそこに負の感情は一切ないように見えた。
トーアーサの為に全力で何かをしてくれている、それが伝わる顔と声だったのだ。
だからこそ、トーアーサは黙してただされるがままになっていた。
「よし、終わった。さあ、鏡を見てみるんだ」
言われてトーアーサは、一瞬ペトロに訝し気な視線を送った後に鏡を見やる。
(誰? これ)
そこには、まるで先ほど拷問のような洗顔をする前に見た自分とは思えない顔があった。
肌は艶々と輝いており、頬は薄いピンクなのだが、どういう仕組みなのかまるで小さな星がそこに存在するようにキラキラと輝いている。
それも、顔を動かすとまさに明滅する星々のようにキラキラと光ったり消えたりしてとても綺麗なのだ。
そして唇には光でテラテラと輝くピンク色の口紅が塗られている様子だった。
口紅など貴族や裕福な人間が付けるものであるからあまり見た事はないが、記憶の中では血の様な赤い色の口紅しか見た事がない。
こんなにも淡く、輝く様な色の物は見た事が無かった。
そして何より目である。
(綺麗……)
今まで自分の目でそんな感想が出た事がなかった。
けれど、目を強調するように墨のような黒いものが塗られており、まつ毛も長くなっている。その事により、目が大きいように見えるのだ。
更には周りに塗られた濃いピンクの染料、そしてその染料に頬と同じようにキラキラと光る晴れた夜の星々のような輝き。
今までは自分の顔の中で目が一番醜い場所だと思って生きてきたが、それが逆転したような感覚だった。
トーアーサは、これが自分の顔だという事が信じられない思いで、ペトロの顔を見やる。
すると、ペトロはにこりと笑って言った。
「最後の仕上げだ。お披露目しにいこう」
〇〇〇
庭では、これから朝の訓練を始めるつもりなのか、ヨハン達が談笑しているのが見えた。
その様子をちらりと見たトーアーサは、ペトロの背に隠れる様にする。
ペトロは顔だけトーアーサの方に向け、言う。
「この魔法はな、『自分は最高に可愛い』と思ってはじめて発動する魔法なんだ。ほら、早く魔法を完成させて、みんなの所に合流するんだ」
そう言われても、トーアーサにとってそれは難しい事だった。
まず恥ずかしいという思いが心に重い扉をとなって立ちふさがる。
その恥ずかしいという気持ちは複雑で、顔に対して小細工をし、そうまでして可愛いと言われたいのかと思われるかもしれないという怖さの様な。
そういった後ろめたさに似た恥ずかしさなのである。
だから、一歩が踏み出せない。
しかしペトロは、それを許さなかった。
「可愛いは正義だ。可愛くなる努力を嗤う人間なんて、君の人生に必要ない。いや、それは可愛いだけじゃない、君が何かを努力している事に対して、提案でも助言でもなく、ただ嗤う人間なんて気にするな。これは才能が無く、努力しか出来なかった俺が周りの嗤い声に振り回されて後悔してきたからこそ、君にそうなって欲しくないという我儘かもしれんがな」
そう言って、ペトロは素早く立ち位置を入れ替え、トーアーサの後ろに回りこんだ。
その姿にヨハンが気付いたようだ。
「父上! それにトーアーサも」
ヨハンの呼びかけに、なんと答えようか迷ったトーアーサの背を、ペトロが強く押す。
たたらを踏んで皆の前に押し出されたトーアーサだが、何も言わないのも恥ずかしいので、視線を逸らしながら、手を後ろにもじもじとさせながら、それでも口を開いた。
「あ、あの、おはよう……」
そのピンクの口から洩れる様に出た挨拶に、息を飲むような雰囲気が被さった。
視線を逸らしているトーアーサだが、それでも全員の視線が自分の顔に集まっているのが分かる。
怖かった。それはまるで何か罪を隠していて、それが見抜かれないかやきもきするような心地に似ている。
居心地が悪く、すぐにでも逃げてしまいたかった。
いや、もう逃げよう。一目散に走り去ろう。そう心に決めたトーアーサを留めたのは、ベズィーの声だった。
「可愛い!! え! なに! 超うらやましい!!」
次いで、シモンが抱き着いてくる。
「いいなあ! それお父様が?」
「え? うん、ペトロ……さんがやってくれた」
「お父様! 私は!?」
そう言ってペトロの下に走っていくシモン。
次いで声を掛けてきたのはヨハンだった。彼は笑顔の下に同情のような、哀れみのようなものを含ませている。
「その肌、もしかして乳液かな。ということは、父上の洗礼を受けたんだね」
「うん……。死ぬかと思った」
「だよね……ぼくもあれは苦手でさ。でも、いつもより可愛いよ、トーアーサ」
「あ、ありがとう」
そのヨハンの後ろから、コギルとポルルも参加する。
「へえ、見違えたよ。綺麗でびっくりしちまって、って言うと失礼かな。すまねえ」
「僕もびっくりしました! やっぱりトーアーサさんって綺麗ですよね!」
それぞれの、それぞれなりの讃美。それが先ほどの後ろめたいような恥ずかしさとは異なる恥ずかしさに塗り替えられていく。
まるで耳にマグマが流れ込んだような恥ずかしさに、助け舟を求めてペトロに目線をやると、彼は意地悪そうな笑みを浮かべ、こちらの耳元に囁いた。
「昨日のお返しだ」
そう言って、意地悪から満足の笑みへと変わった彼は、困り顔のトーアーサを置いてその場を後にしたのだった。




