Karte1『不眠症の白ウサギ』8
…………
あの後、私は那須さんの話を聞いた。
那須さんの悩みがどのようなものか分からない以上、まずは同性である私とだけ話したほうが良いと判断したからだ。
真宙くんと夢野さんが言ったように、私たちは人間のカウンセラーではない。
だから的確なアドバイスができるわけではないし、そもそもアドバイスをするべき立場ではないのかもしれない。
だけど、誰かに話すこと、誰かに聞いてもらうことーーただそれだけでも、救いになることはあると思う。
那須さん自身もきっと誰かに自分の話を聞いてもらいたかったのだろう。
あの後那須さんはつっかえていたものが取れたかのように、一気に自分のことを話してくれた。
ーー那須さんの抱えていた苦しみは、『もといた世界』で私が抱えていた苦しみと似ているものだった。
だから、解決することはできなくても理解することはできた。
ぬいぐるみのクローゼットを後にする際、那須さんは
「本当にありがとうございます。話を聞いてもらったら、何だかスッキリしました。勿論直ぐには解決出来ないでしょうけど、少しずつでも良い方向に進めるよう動いてみます。…私は一人じゃないから」
そう白ウサギちゃんを優しく見つめた。
白ウサギちゃんは「えへへ♪」と無邪気に笑って、私たちにペコリと頭を下げる。
「リョウコのはなしをきいてくれてありがとう!テディとメリーさん、いっしょにあそんでくれてありがとう♪」
「うん!でもしろウサギちゃんほとんどねてたから、こんどまたいっしょにあそぼうね!」
「そうですね!そのためにもしろウサギさん、きょうからあなたはねむりたいときにねむるのですよ!」
夢野さんはメリーさんの言葉に頷いた。
「そうだね。それが那須さんにとっても一番嬉しいことだから、君は元気に過ごして、那須さんのそばにいてあげてね」
「うんっ♪」
「皆さん、本当にありがとうございました」
そう一礼し、那須さんと白ウサギちゃんは店を後にした。
「那須さんの苦しみ、少しでも晴れると良いね」
夕食のトマトスープをかき混ぜながら、隣で一生懸命ハンバーグをこねるテディに言う。
テディは「うん…」と何かを考える表情をしたかと思うと、私に向かって真剣な表情で
「あやちゃんはもうつらくない?くるしくない?」
と問いかけてきた。
テディのその言葉で『もといた世界』の記憶が頭によぎり一瞬苦しくなったが、
「…今はだいじょうぶだよ。『この世界』にいる私はとても幸せだから」
そう、心からの本心を告げた。
テディからハンバーグのタネが入ったボウルを受け取り、
「あとはハンバーグ焼くだけだね!すぐに食べられるように、テーブルセッティングと、みんなのこと呼んできてくれるかな?」
とテディにお願いした。
「うん!わかったー!」
テディは元気に返事をし「おいしょ」と棚から食器を取り出す。
ーーどうして私が『この世界』にやってきたのかは分からない。
だけど、私にとってこの世界は救いだ。
それがただの"逃げ"であったとしても、テディがいて、ぬいぐるみのクローゼットで働くことができて、私は凄く幸せだ。
だから、『この世界』での日常が終わってしまわないことを私は祈っている。
「わ!本当にハンバーグとトマトスープ作ってるじゃん!」
いつの間にかキッチンに入ってきていた真宙くんが、フライパンで焼き始めたハンバーグとスープ鍋を見て驚いた表情をしている。
「朝テディと約束したからね」
「あの約束を守るなんて律儀だなぁ…本当に彩さんって優しいよね。偉いから撫でてあげよう」
今朝もそうしたように、真宙くんは私の頭を撫でた。
夢野さんもだが、日常的にぬいぐるみと関わっているからなのか、ぬいぐるみにするのと同じような接し方を私にすることがある。
今朝はテディが間に入ってくれたこともあってすぐに気持ちを切り替えることが出来たが、食器を出し終えてメリーさんと夢野さんのことを呼びに行ったのかテディはおらず、今は私と真宙くんの二人きりだ。
真宙くんに撫でられた場所が熱くなり、緊張で身体もこわばってしまう。
それに気づいてか、真宙くんは「ごめんごめん」と私の頭から手を離し、話題を変えた。
「あの時、応接室で彩さんが「少しだけ役に立てることがあるかもしれない」って言って教えてくれた不眠の改善方法、あれのおかげですぐに資料を作れたよ。ありがとな」
「お礼を言ってもらえる程のことではないよ。昼間応接室でも言ったけど、私も『もといた世界』で眠れなくなってしまったことがあって色々試したことがあったから、知識だけはあって…」
「…その色々試してた時、眠れるようになったの?というか今はちゃんと眠れてる?」
「うん。浅い眠りではあるんだけど眠れるようになって、日によっては朝まで起きずに眠れることもあって。そして『この世界』に来てからは逆に眠れない日がないくらい、毎日よく眠れてるの」
「それなら良かった…那須さんと接して、『もといた世界』のこと思い出して辛くなったりしてない?何があったのかは知らないけどさ」
心配してくれているのか、真宙くんは真剣な表情で私に聞く。
「辛くはなってないけど…那須さんの気持ちが分かるからこそ、何かしてあげたいっていつも以上に思ってしまったかも。一人の依頼人に肩入れしすぎるのは、きっと良くないよね」
「彩さんが那須さんに肩入れしてしまったとしても、その分俺達が他の依頼人の力になれば良いだけだろ。最終的に皆が救われればそれで良い。…現に那須さんは救われただろ?」
「那須さんを救ったのは白ウサギちゃんだよ」
「彩さんもだよ。だから、今日は本当にお疲れ様」
そう言って真宙くんは再び私の頭を撫でた。
必要以上に踏みこまないけど、私のことを理解しようとし、認めてくれる人。
あの日ーー『もといた世界』にやって来たあの日、私のことを見つけてくれた時から真宙くんは私のことを否定せず、理解しようとしてくれた。
『この世界』にやって来て、沢山の存在に助けられたけど、その中でも真宙くんの存在は私の中でとても大きな存在だ。
テディがいて、ぬいぐるみのクローゼットで働くことができて、ーー真宙くんと出会えて、私は凄く幸せだ。
だから、『この世界』の日常が終わってしまわないことを私は祈っている。