Karte1『不眠症の白ウサギ』4
食器を洗い終えた私は、急いで身支度を済ませる。
ぬいぐるみのクローゼットで働く際の服装等の細かい指定は殆どなく、数少ない禁止事項は"露出の激しい格好はしないこと"と"ぬいぐるみを傷つけてしまいそうなアクセサリーは着用しないこと"くらいで、あとは自由にして良いと言われている。
アクセサリーに関しては言わずもがな、露出面に関してはぬいぐるみに触れることも多い為、衛生面を考慮してのことだ。
『もといた世界』では小さな会社の事務員だったが、その会社には制服があったので毎日同じ制服を着ていた。
決まった服を着るのは選択の手間が省けて楽ではあったが、その日の気分に合わせて服装を選ぶことが出来るのはとても楽しい。
とはいえ私にはファッションセンスがないので、夢野さんが見繕ってくれた洋服達の中から選んでいるだけではあるのだが、夢野さんが選んでくれた洋服達はどれも私好みのもので、その中から選ぶだけでも凄く楽しいのだ。
夢野さんが見繕ってくれた洋服のラインナップは、テディの色みに合わせた紅茶のようなブラウンやアイボリー、ベージュのワンピースやトップスに、ボルドーやネイビーといった差し色のボトム。
ちなみに先程まで着けていたお気に入りのエプロンも夢野さんが用意してくれたもので、肩部分に入ったギャザーとシンプルなリボンがアクセントの、クラシカルで可愛いロング丈のエプロンだ。
このような可愛いデザインのエプロンが私に似合っているかはさておき、こちらもテディの温かみのある色みに合わせたアイボリー色で、テディと並ぶと統一感があって凄く気に入っている。
「…よし」
胸元まで伸ばした重たいシルエットの髪をヘアクリップでまとめ、リップを軽く塗ったところで身支度を終わらせる。
玄関に向かい、ヘアクリップと同じブラウン色のパンプスを履き扉を開く。
扉を開くとすぐそこに階段があるので、一番下の階まで降りる。
私たちが住む夢野さんの家とぬいぐるみのクローゼットは同じ建物内にあり、ぬいぐるみのクローゼットをオープンした時から夢野さんの家系が代々管理している建物なのだそう。
一階がブティックと依頼人の応接室、二階がブティック商品の在庫管理フロア、そして三階が住居フロア…つまり私たちが住む夢野さんの家だ。
一階まで階段を降りると従業員入口用の扉があり、扉を開くとすぐそこに応接室がある。
元々はブティックの従業員休憩所として使われていた部屋を応接室に改造した為、このような間取りになっているそうだ。
扉を開け応接室に足を踏み入れた私は「おはようございます」と言おうとしたが、すぐに「いらっしゃいませ」と言い直し会釈をした。
応接室にいたのが夢野さん、真宙くん、テディ、メリーさんだけではなく、依頼人と思われる女性とぬいぐるみもいたからだ。
開店5分前ではあるが早めに到着した依頼人をメリーさんが見つけたのだろう。
相談に来る依頼人もブティックの入り口から入ることになっており、ブティックの店番を担当しているメリーさんの案内により応接室に足を踏み入れることになる。
「すてきなおじょうさまがたをそとでまたせるわけにはいきませんからねぇ。では、ワタクシはしつれいいたします」
そうメリーさんは会釈してブティックの店番に戻っていった。
どうやら案内された直後だったらしく、ローテーブルには夢野さんの名刺だけが置かれている状態だったので、私はすぐに依頼人とぬいぐるみの紅茶を用意した。
…………
「ありがとうございます、いただきます」
「いただきます♪」
依頼人の那須リョウコさんと那須さんのぬいぐるみ・白ウサギちゃんはそれぞれ紅茶を口にした。
那須さんはそのままストレートで、白ウサギちゃんはシュガーポットの角砂糖を三個程入れて飲んでいる。
この後仕事があるという那須さんは、モノトーンのレディーススーツを見に纏い、セミロングの髪を後ろで一つ結びにしている。
意志の強そうな眉と筋の通った高い鼻が印象的ではあるのだが、その一見強くも見える顔の印象とは反して、彼女が纏う雰囲気は少し儚げだ。
彼女をそう見せているのは、色素の薄さが理由だろうか。
肌の色がとても白く、地毛と思われる髪の色も明るい栗色で光にあたると更に明るく見える。
私もどちらかというと地毛が明るいタイプではあるが、そんな私と比較してもかなり明るい色だ。
そんな那須さんの横で紅茶をふぅふぅと冷ましながら飲んでいるのは、名前の通り白ウサギのぬいぐるみだ。
「名前をつけるという発想が思いつかないほど小さい頃…多分赤ん坊の頃なんだと思いますが、それくらい小さい頃から一緒なので、こんな安直な名前なんです」
と那須さんは苦笑した。
安直な名前というとテディの名前もテディベアから取ってつけたものなので、私には那須さんを笑うことができない。
それに、愛情を込めて呼ぶのであればどんな名前でも良いだろうと、私は思っている。
白ウサギちゃんはテディの半分にも満たない二十センチほどの作りで、ポリエステル製のなめらかな素材、お手入れが行き届いているのであろう、汚れひとつない真っ白な身体は積もりたての雪のように美しい。
目や口はいちご色の刺繍で、大きなリボンがあしらわれた同じくいちご色のワンピースがよく似合う。
動くたびに垂れた耳がぴょこぴょこ弾むのがとても可愛い。
耳の動きのように弾んだ声で「こうちゃ、とってもおいしい♪おさとうもういっこいれちゃおうかなぁ♪」と美味しそうに紅茶を飲んでいる。
この様子を見ただけでは、白ウサギちゃんが心に傷を負っているようには見えないが、表に出さないようにしているのかもしれない。
そんな白ウサギちゃんのことを微笑ましそうに見ながら、夢野さんは那須さんに尋ねる。
「ご依頼のお電話をいただいた際にも話してくださいましたが、改めて、白ウサギちゃんのことを伺ってもよろしいでしょうか?」
髪の色と同じダークブラウン色のラウンドフレーム越しに、夢野さんは那須さんのことをしっかり見つめる。
"あなたの話をしっかり聞きますよ"という、人によっては威圧感を与えるような姿勢だが、夢野さんからそのような圧が感じられないのは夢野さんが纏う穏やかな雰囲気のおかげだろうか。
「はい…」
手にしていたティーカップをソーサーに置き、那須さんは一呼吸置いて話し始める。
「一ヶ月程前から…この子、眠れなくなってしまったようなんです……」