#45 僕のスタートライン② 特訓開始!
今回の中心人物→淳太朗、貫太
桜野高校近くの公園。
そこに併設されたグランドの片隅に、 旋一と謙司が見守る中、 貫太と体操服に着替えた淳太朗は立っていた。
「まずはとりあえず走ってみろ。 フォームを見てみる」
と貫太は淳太朗に言った。
「フォーム?」
「おう。 結構、 フォームを見直すだけでタイムが縮まったりする事もあんぞ」
(よ、 よーし……)
と気合を入れて淳太朗が旋一たちのいるゴールまで走ると、 貫太がスマホのストップウォッチを止めた。
「ど……どう?」
「ちょっと小股になり過ぎて腕の振り方が甘いな。 そこに気を付けてもう一回走ってみろ」
淳太朗が言われた通りに走ると、 前回と同じようにストップウォッチのボタンを押して貫太は言った。
「おお、 さっきより少しだけタイム速くなってんぞ」
「ホ……ホンマに!?」
「おう。 まあ現実問題今からできる事は限られてくるから、 まずは休憩入れながらでええから、 何度も今みたいに全力で走って動きを身体に覚えさせる事やな。それからトラックを走る練習に移ったらええ」
「うん……」
喜んだのもつかの間、 二回走った時点ですでに息絶え絶えになっている淳太朗は、
(無理かも……)
と思った。
「それとお前は、 はっきり言って筋肉が無さすぎるから今後の事も含めて筋トレもした方がええな。 早く走るんには、下半身はもちろん腹筋とか体幹の筋肉も重要なんや。 毎日やなくてええから、 せめて腕立て、 腹筋、 背筋、 スクワットくらいはやっとけ」
「腕立て……5回しかできひんけど……」
「最初はそれでもええ。 筋トレ言うんは、 回数よりも正しいフォームで限界までやる事が大事や」
練習が厳しい事はある程度覚悟していた淳太朗だったが、 いきなりの指示の多さに、
(続くんかなこれ……)
と思った。
翌日。
淳太朗は、 前日の練習と筋トレのせいで案の定筋肉痛を抱えて練習場所へ向かった。
「どうした? 昨日よりちょっとタイム落ちてんぞ」
と言う貫太に淳太朗は、
「昨日の練習の筋肉痛で身体が……」
と言った。
「いや、 筋肉痛は筋肉を使えてる証拠やから、 ちゃんと練習出来てるって言う事やぞ」
そう言う貫太に、 練習に付き合っていた旋一が、
「そう言うたかて、 淳太朗は今までろくにスポーツとかしてへんかったんやから、 いきなりそんなキツい事させたらんでも」
と言った。
「……確かに、 もっとゆっくりタイムを伸ばしていくんならここまで追い込まんでもええかも知れん。 でも、 これは淳太朗自身が限られた時間で走りを速くしたいって言うた事や。 それに、 今までスポーツをやってなかったんなら、 むしろその分一気に上達する可能性もある。 まあ、 どうするか決めるんは淳太朗自身や」
その貫太の言葉を聞いて淳太朗は思った。
そう、 「一気に上達する」かなんて分からないが、
確かにこれは自分自身が望んだことなのだ。
それに、 もう小中学校の頃のように運動苦手なせいで周りに迷惑を掛けたくないし、 きっと貫太も彼女と遊びたいのを我慢して練習に付き合ってくれているのだから、 その思いにも応えんと……
そして、
「も、 もう一回……」
と言って淳太朗は走った。
ストップウォッチを見た貫太は、
「よし、 さっきよりいいタイム出てんぞ」
と言った。
淳太朗がタイム向上の喜びを噛み締めていると、 旋一が、
「よっしゃ、 やったら俺は淳太朗の筋肉痛がマシになるようにマッサージやったるわ」
と足に手を伸ばしてきた。
「ありがとう。 で、 でもちょっと愛が重いかな……」
と淳太朗が言っていると、 貫太のスマホに電話が掛かってきた。 話している内容を聞くに、 はるかからの電話らしい。
(やっぱり、そんな我慢してへんのかも……)
と淳太朗は思った。
そんなこんなで、 なんとか淳太朗はダッシュ練、 トラック練、 イメージトレーニング、 筋トレ……と続けていった。
そして瞬く間に十日が過ぎ、 体育祭前日。
クラスメイト達が練習に非協力的だったため、 淳太朗は旋一、 謙司、 貫太、 そして旋一に無理矢理加えさせられた真とともに、 件のグランドでバトンパスの練習をしていた。
数度練習を繰り返して喉がカラカラになった淳太朗は、 一息ついて木陰に行くと持ってきていたスポーツドリンクを取り出した。
淳太朗の脳裏に、 あの夜杏香の前で蓋を開けられなかった苦い記憶が蘇ってくる。
淳太朗は、あの時のように誰かが見ていない事を確認するとサッと蓋に手を伸ばした。
が、 蓋は意外なほど簡単に開いた。
(たまたまかな…?)
と、 淳太朗は手のひらを見つめながら思った。
そうしていると、 遠くから旋一の、
「おーい淳太朗、 向こうに50M走のトラックがあるからタイム測って見いひん?」
という声が聞こえてきた。
旋一たちの元に向かう淳太朗の心に、
(記録……練習したのに全然伸びてへんかったらショックやな……)
などと言う不安がよぎる。
が、 実際に旋一の元に来てそのワクワクした表情を見た淳太朗は断ることが出来なかった。
(そうや……大体、 もう「出来ひんかも知れへん事」から逃げたりせえへんって決めたやろ……)
そう思いながら、 淳太朗は頬を叩いて気合を入れた。
淳太朗はスタートラインで構えると、 合図とともにラインを飛び出した。
とにかく、 今まで練習したことを全て出そうと、 淳太朗は無我夢中で手と足を動かした。
淳太朗がゴールすると、 スマホを持った旋一たちが駆け寄ってきた。
「ど……どうやった?」
と聞く淳太朗に、 旋一はスマホの画面を見せた。
8.9。
画面のストップウォッチにはそう表示されていた。
「僕が……9秒切れた……」
喜びとも戸惑いともつかない表情を浮かべて、 淳太朗はその場にへたり込んだ。
「凄い凄い」「やったやん」
などと言いながら、 旋一と謙司が淳太朗の背中をポンポンと叩いた。
それを見ていた真が、
「……何や、 やれば出来るやん」
と呟く。
やがて貫太が近づいてきて、
「まあ、 まだまだ伸ばして行きたい所やけど、 取りあえずはよう頑張ったな」
と淳太朗に声を掛けた。
「……うん、 ありがとう。 ホンマは敵やのに練習付けてくれて。 皆もありがとう」
「別に礼はええぞ。 まあ、 これでもう明日は俺らは敵同士や」
と貫太は言った。
「そうや。 やっぱ、 貫太は僕が密かに特訓してきたっていう事をクラスの皆に言うん?」
「確かに、 他のクラスの連中が淳太朗が練習してきた事を知らんって言う状態は淳太朗のクラスにはアドバンテージやな」
淳太朗の言葉に謙司も続けた。
「プッ、 別にそんな事は気にせんでええぞ。 まあ、 クラスの連中になんか聞かれたら言うかも知れへんけど、 どっちにしろ勝つんは俺らやからな」
と貫太は言った。
「僕らかて……。 僕だけやったら無理かもしれへんけど……他の皆と力を合わせたら負けへん……と思う」
淳太朗のたどたどしい、 しかし少しだけ自信を付けた事を感じさせる言葉に四人は聞き入った。
「ワッハッハッ、 言うやん淳太朗」
と言いながら旋一が淳太朗の背中を叩く。
「まあ、 練習の成果が出たのも分かった事やし、 今日はもう帰ってゆっくり身体を休めて明日に備えとけ。 休むのも練習のうちやからな」
その貫太の言葉に従って淳太朗は帰路に付いた。
駅へ帰る途中、 淳太朗は自転車に乗って横断歩道の信号が変わるのを待つ女子の後ろ姿を見た。
その長い髪も少女と言うには大人びた体躯も、今の淳太朗には間違えようがなかった。
何を話せるかも分からないけど、 ここでこの子―――杏香を見送ってはダメだと思った淳太朗は、 信号が変わるまでに追いつこうと、 走って杏香の横まで行った。
「アンタ……羊田? こんな所で何してるの?」
息急ききってきた淳太朗に向かって、 あの夜の時と同じように素っ気なく杏香は聞いた。
淳太朗はなけなしの会話スキルを振り絞って、
「僕は……今帰るトコ……」
と言った。 一応嘘は言っていない。
杏香は一応納得したのか、 「ふうん……」と軽く言った。
淳太朗は続けて、
「大上さんはまたダンスに行くん?」
と必死に言葉を紡ぎ出した。
「……そうだけど」
と杏香が返していると、 信号が青に変わった。
淳太朗は、 走り出すであろう杏香を見送る構えになった。
と、 その時杏香は言った。
「クラスの連中が言ってたけどさ、 アンタ体育祭のリレーに出るって本気なの? アンタ大丈夫なの?」
(一日前でもまだそこなんや……)と、 自分に興味を抱いているのかいないのかよく分からない杏香を見ながら淳太朗は思った。
でも。 今の自分には十日ちょっととは言え頑張ってきた事実がある。 淳太朗は、 拳に力を込めて言った。
「本気や……。 皆と頑張って、 きっと勝つから……!」
「……」
杏香は、 その言葉には応えずに自転車に乗って走って行った。
西陽を受けた杏香の姿は学校で見る以上に美しく、 淳太朗はしばらく見惚れていた。
だが、 今の「勝つから」という言葉で、 あの夜は何周も先を走っていたように見えた杏香の背中が、 ほんの少しだけ近づいたように淳太朗は思った。
―――そうか、 僕は彼女に見合う人になりたいんや……と淳太朗は思った。
*
*
*
淳太朗が帰った後。
グランドで謙司が貫太に語りかけた。
「でも、 えらく熱心に淳太朗に教えてたやんなあ。 何か思うところでもあったんか?」
「……まあ、 あいつも根性出してきたからな。 それに応えたいと思っただけや。 実際、 思ったより飲み込みは早かったな」
「……ホンマにそれだけか?」
「……」
貫太の心に、 中学時代の記憶が甦ってくる。
部に入った頃は、 共に同じ目標に向かって真剣に練習に励んでいた部員たち。
だが、 貫太がメキメキと頭角を表してくるにつれて、 彼らの何人かは練習に熱を入れなくなっていった。
自分には、 貫太ほどの才能がないからと言いながら。
その事にある種の寂しさを感じていた貫太だったが、 必死に練習に食らいついて行く淳太朗に教えて行くうちに、 野球部に入った頃の皆で純粋に練習に励んでいた頃の気持ちが少しだけ甦っていたのだった。
だが、 その事に戸惑いを感じていた貫太は謙司の言葉に、
「……いや、 やっぱそれだけや」
と返した。
その返答の「間」に、 何らかの含みがあると察した謙司はそれ以上追求せずに、
「……そっか」
と言った。
「で、 実際の所どうなんや? 本番で練習の成果は発揮できそうな感じか?」
「それは淳太朗次第や。 まあ、 俺のクラスが勝ったるけどな」
と貫太は言った。
それぞれの思いを乗せて、 体育祭が始まろうとしていた―――
(つづく)
効率的な筋トレ法には諸説あるようなので、貫太の言ってる事が必ずしも正しいというわけではありません。