#1 僕らの街
自伝ではありませんが、中高生の頃を思い出しながら書いてます。
桜も散りかけたころ、 昼下がりの陽が差し込む教室。
多くの高校生にとって、 一日でもっとも退屈な時間だ。
ある者は襲いくる睡魔と戦い、 ある者はすでに部活に向けての準備を始めていた。
彼―――虎井謙司は、 見かけこそは真面目に授業を受けていた。が、 やはり心は別の所に向かっていた。
謙司の住む蓬ヶ丘市では、 中学を卒業すると大部分の者が隣の大京市の高校に進学する。
だが、 彼のように難関私立に進学できるだけの学力を持ちながら、 ごく平均的なレベルの公立校である桜野高に進学する者はそうはいないだろう。
なので、 謙司に関してはこの学校の授業が退屈に感じるのも無理からぬことであった。
さらに問題なのは、 彼が授業中の退屈を紛らわす方法をろくに知らないことだった。 ―――唯一、 小学校からの腐れ縁である犬塚旋一が話しかけてくる事以外は。
「大京の連中って、 皆デパートで買った高っかい服着てんねんで。俺なんて、 未だに国道沿いのユミクロで買った服着てんのに」
長身の謙司に向かって延びあがるように、 隣に座っていた旋一が話しかける。
「それはお前がそんな服にしか興味ないからやろ……つか、授業中やぞ今」
謙司に小声でそう言われてしばらくは黙っていたものの、 すぐにまた旋一は話しかけた。
「ここの連中って皆キラキラしてるって思わへん? 俺もキラキラしたいわ」
「キラキラって、 お前は友達いっぱい居るやろ」
「ちゃうねん。 もっとこう……要するにモテたいねん」
「……そればっかりやな、 お前」
謙司がそう呆れたように口にする。
「じゃあ、 自分はモテたないんかい」
「それはまあ、 モテたいけど……」
やがて、 退屈さに耐えかねたのか、 生徒の一人が教師の目を盗むようにして他の生徒にキャンディーの袋を回し始めると、 旋一もそちらの方に向かった。
謙司にふたたび静寂が戻ってきた。
一般的な感覚で言えば、 謙司は「モテる」要素を多く持った男である。 背も高いし、 頭脳も明晰、 人並み以上のルックスにも恵まれている。 掛けている眼鏡も、 知的さを強調するアクセントと言えた。
だが、 モテるモテない以前に、 彼には自ら人を遠ざけるような所があり、 彼女と呼べるような存在は出来たことがなかった。
この時も、 彼は目の前で、 友人と仲良く袋の中のキャンディーを食べているであろう旋一を見つめていた。
入学してから二週間しか経ってないというのに、 旋一はすでに多くの友人に囲まれている。
一方で、 自分には旋一以外にまともに話し相手すらいない。
この幼馴染みとの差を思う時、 自分という人間の空っぽさを思い知らされる。
思えば、 小学校の頃からさっきの様なやり取りを繰り返していた気がする。
まあ、 まさかあいつと高校、 しかもクラスまで一緒になるとは思わなかったけど、 じきにあいつは俺から離れて新しい友達と馴染むんだろうな。
そう思いながら、 謙司は窓の外に目を向けた。
彼の心情に重なるように、 桜の花びらがはらはらと散っていった。
放課後。
校庭から部活に勧誘する二・三年生たちの声が響く。
しかし、 部活にも入っていない謙司は足早に下駄箱へと向かっていた。
靴を履き変えようとして、 思わず他の生徒にぶつかって謙司は振り向いた。
「ああ、ごめん……」
そう言いながら、 謙司はその生徒の体つきを見た。
身長こそ謙司よりわずかに低いものの、 その体つきは平均的な高校一年よりかなりゴツく見える。 浅黒く焼けた肌も、 彼がスポーツに打ち込んでいた事を物語っていた。
言葉を交わすのは初めてだったが、 謙司もこの生徒の存在は知っていた。
「ええよ。気にすんな」
その生徒はそう言って靴を履き替えると、 謙司に向かって出し抜けに言った。
「なあ、 あんたって議員様の息子やろ?普通の公立に居てええんか?」
謙司はむっとした表情になって言い返した。
「どうでもええやろそんな事。 お前こそ、 こんな所でブラブラしてええの……」
「お前には関係ない事や」
謙司の言葉を強い口調で遮って彼は外へ歩き出した。
その大きな背中を見送りながら、 謙司は彼に言われた事を反芻していた。
市会議員の父親の仕事のために、 周りの人の心象を良くしなさい。 そう言われて子供の頃から勉強に習い事にと打ち込んできたし、 大人たちが下品だと言う遊びからも遠ざけられてきた。
幼い頃はそれでも楽しかった。 そうすれば周りの大人たちも喜んだ。
だが、 成長するに従って、 自分は誰のための人生を生きているのかという疑惑が沸き上がってきた。 周りの人間のほとんども、 「議員の息子」としての自分しか見ていないのではないかと思えた。
この町にいる限り、 議員の息子という周囲の眼はついて回る。 必然的に、 中学を卒業したら別の町の学校に通いたいと思うようになった。 親に薦められた私学を拒否して、 公立の桜野高に入ったのも、 少しでも周囲のそういう眼から逃れたかったからだった。
だが現実は、 桜野高に入ったものの、 何もやりたい事が分からず悶々とした日々を過ごしている。
やっぱり、 自分には「議員の息子」以外に存在意義のない人間なのかもしれな―――
「スキあり」
そう考えていたら、 唐突に後ろからチョップを食らい、 謙司は振り向いた。
「痛って……って、 旋一か」
「あんまりボーっとしてんなや。 剣道初段の名が泣くで」
「あのなあ……正面から向かい合ってする競技に何を求めとんねんお前は。で?」
「今のって、 3組の馬路って言うやつやっけ? 蓬ヶ丘西中の野球部の」
「ああ、 同じ中学の奴が言ってたけど、 スポーツ推薦も狙えるくらいやったらしいな」
「じゃあ、 あいつも入れるか」
「……?」
困惑する謙司に向かって、 旋一はキャンディーを投げてよこした。
「お前、 これさっきの……」
「お前も加わりたそうにしてたから貰っといたったで。 何かさ、 こうやって学校の中でこっそり菓子食ってると高校って自由やなって気せえへん?」
「お前は中学の頃からこっそり菓子持ち込んで取り上げられてたやろ……。 で、 こんな事のために不意打ちしてきたんか?」
学校の中で食べるのは駄目だとばかりに、 謙司はキャンディーをポケットの中に入れて聞いた。
「せやねん。 あのさあ、 俺ら蓬ヶ丘の連中で同盟作らへんか?」
「ああ? 同盟?」
「そう、 俺たちで協力してこの街のキラキラを味わいつくすねん。 あと……モテたい」
「お前なあ……それ今日三回目やぞ」
「まあとにかく、 謙司にも協力してほしいんや」
そう言って肩を叩く旋一に向かって謙司は言った。
「おい、 別に参加するとは言うてへんぞ。 大体、 別に桜野高でやりたい事もないし……」
「何かよく分からんけど……やりたい事が分からへんのやったら、 これから見つけていけばええやん」
その言葉を聞いて、 謙司の中にひとつの記憶が甦る。
小学校の休み時間。 一人勉強する彼を皆が置いて遊びに出掛ける。 寂しそうな目を向ける自分。 そこに、 「勉強でも遊びでも、 お父んの事とか関係なく、 お前がやりたければやる、 やりたくなければやらへん、 でええやん」と声をかけてくる奴がいたこと……
「とにかく、 キャンディーを受け取ったからには謙司は参加決定な。 じゃあ、俺LIME来てるから行くわ」
謙司は、 そう言ってその名の通り旋風のように学校を出て行く旋一の背中を見送った。
そして、 意を決したようにキャンディーを取り出すとそのまま袋を開けて口に運んだ。
この味は長く残りそうだな、 と謙司は思った。
*
*
*
桜野高校の最寄り駅を出た電車は、 ビル街、 住宅街と走っていき、 やがて山の中へと吸い込まれていく。 そしていくつものトンネルを抜けると、 山に囲まれた平野が現れる。 その、 山に囲まれた地の中心に旋一や謙司たちの住む街があった。
約30分かけて電車が市の中心駅の蓬ヶ丘駅に着くと、 草の匂いの漂うホームに旋一たち多くの学生や会社員たちが吐き出されていく。 そして、蓬ヶ丘駅を過ぎると役目を終えたように電車はその本数を減らすのだった。
旋一は電車を降りると、 駅前の商店街を進んで行った。 メインストリートとは名ばかりで、 近年は多くの地方都市と同様、 郊外型の店に押されてシャッターを閉めたままの店も多くなっている。 もはや明かりの灯らなくなった入口のアーチが、 かつての賑わいを伝えていた。
旋一は、 「犬塚書店」と書かれた看板のある店の通用口を開けて入った。 すでに外はすっかり暗くなっている。 高校に入ってからというもの、 旋一は明るい時間に家に帰ったことはほとんど無かった。
家に入り、 妹の百華に声を掛けると、 部屋に入ってLIME、 ではなくメールボックスを開いた。 メールボックスには、 謙司からの新着メールが来たことが記されていた。
[お前の言う…同盟?俺も…やる]
それを見て、 旋一は軽く微笑んだ。
(つづく)