パイのアップルパイ
「ルカ、早く起きて。蒸留所へ行くよ!」
大きな音を立ててドアを開けたパイはルカを揺り起こしにかかった。
目を瞬きながらベッドサイドの時計を見たルカは毛布をかぶって呻いた。
「まだ6時だぞ。蒸留所はまだ開いてないよ」
「鍵を貰おうよ。ね、早く起きなよ」
「ううん、パイ・・朝飯、朝飯食ってこい」
「もうっ!」
パイはまた大きな音を立ててドアを閉め出て行った。
(あーー助かった。これでもう少し寝られるな)
ルカはまた安らかな眠りについた。
・・のもつかの間、10分もしないうちにパイは戻ってきた。
「ルカ! 朝食持ってきたわ。食べたら行くわよ! ダンよろしく!」
パイに連れられてルカの部屋に入ったダンはぐいっとルカの上体を起こし背中にクッションをあてがった。パイは手に持っていた朝食が入ったトレーをルカの膝の上に乗せ、右手にカップを持たせ、左手にパンを握らせた。
ダンは可笑しくて堪えきれず、横を向いてクックックと笑い続けている。
パイはブラシでルカの髪を整え始めた。
「早く食べてルカ!」
まだ目が半開きのまま大あくびをしてからルカはいい香りがするコーヒーをすすった。
「何時だぁ?」
「6時半だよ」
答えたダンもカップを手に持ち、コーヒーを飲んでいた。窓辺に寄りかかっているダンに朝日が後光のように差していた。
(いい男は窓辺でカップ持ってるだけでも絵になるわねぇ・・)
パイは改めて神がかった美しさのダンに目を奪われた。
「ああぁ負けた。仕方ない起きるか」
ルカはトレーをサイドテーブルに置いて起き上がり、着替えをしようとシャツを脱ぎ始めた。
「あっ、僕は行くね」
慌てて部屋から出て行ったダンの顔は心なしか赤かった。
「何だ? 急にどうした」
「アカデミーに行く時間じゃないの? ダンは学生じゃない」当たり前でしょ? とでもいうようにパイは肩をすくめて見せた。
さて、パイに無理やり起こされて蒸留所に連れてこられたルカは、例の精霊がいる部屋に行ってみたが今日は精霊の姿が見当たらなかった。
「あれ、いないね」
「せっかくアップルパイを焼いてきたのにぃ」
パイは部屋を歩き回って精霊を探した。
「ふむ」
ルカの真後ろで声がした。わっ、と驚いたルカの声にパイが戻ってきた。
「どこかへお出かけでしたか」
「ふむ。湖へいっとった」
「今日はね、あたしが焼いたアップルパイを持ってきたの!」
パイはいそいそとバスケットからアップルパイの包みを取り出し、精霊の目の前で切り分けて皿に乗せ手渡した。ルカにも渡したが自分の分はほんの少しだった。
見た目は完ぺきなアップルパイだった。だが生地は少しふくらみが足りずパイの層が少なかった。中のリンゴのフィリングは、味は良かったがリンゴが半煮えだった。
パイを一口食べたルカの表情を見て、パイはがっくりと肩を落とした。
「まずいのね・・・」
「いや、ま、不味くはないよ」
「ふむ。美味しくもない」
(あーーーそれを言っちゃいますか)ルカは焦りながら精霊を見た。
「しかし、ここに留まる」
精霊は昨日と同じように心臓のあたりをポンポンと軽く叩いた。
「それでパイ、お前は何しにここへ来た」
「あ、あたしは・・呪いを解く・・ついでにあたしのお母さんの事が知れたらいいなって・・」
パイは手首に付けた細い革製のバンドを触りながら小さな声でつぶやいた。
するとじっと目をつぶっていた精霊が目を開くとパイに向かって言った。
「ふむ。・・・・お前の母親は割と近くにおる様じゃな」
「えっ、分かるの? 生きてるの?」
「生きておる。幸せに暮らしておる。安心せい」
パイは破顔し、瞳は涙で潤んで来た。
「ルカ、あたしいつかお母さんに会えるかな?」
「会えるさ、俺が会わせてやる」
その様子を見ていたウイシュケの精霊はにっこり笑って「またな」と一言告げて消えてしまった。
ルカはふといつもパイが手首にしているバンドの事が気になった。
「それって随分古い物みたいだけど」
「これ猫の首輪なんだよ。物心ついた時にはもう付けてたの。もしかしてお母さんが付けてくれたのかもって思って、ずっと大事にしてるんだ」
所々擦り切れて色も褪せているが、パイがそれを外したのを見た事がない。
「さて、俺たちも帰ろうか」
「うん、ありがとうルカ」
二人はまだ誰も来ていない静かな蒸留所を後にした。




