祝賀会とサービス残業
人を呪わば穴二つ。
別に誰かを呪ったわけではないが、先日担当官殿にぶつけた「社会人なら飲みニュケーションもこなせや、けっ!」という思いが、そのまま私に跳ね返ってきたのだ。
今現在私は、薄っすらと紫煙が漂う居酒屋の隅っこの席で、せっせと枝豆を口に運んでいる。
ある日、担当官殿のギプスが取れたと知った『ドリルさん』と彼女率いる有志が、終業時間間近の資料室に訪れた。
私に難癖をつけるほど、とにかく行動力に溢れている彼女たちは、担当官殿に「怪我が快癒したお祝いをしたい」と言い、祝賀会という名目の飲み会を提示したのだ。
うん。それは良いけど今日? この後すぐなのか?
担当官殿の都合は丸無視だとか、まだ勤務時間中だぞ、とかいろいろ突っ込みたかったが、担当官殿に「自分でなんとかしろ (意訳)」と言った手前、私は彼がどう対処するか、書類から顔を上げる事なくじっと聞き耳を立てて様子を伺っていた。
担当官殿の「二時間だけなら」の返答に、『ドリルさん』は飛び上がらんばかりに喜んだ。さすがの担当官殿も、私本人を目の前にして『タクミの世話があるから』という口実は使えなかった様子だ。
なんだ行くのか。急な誘いなのに断らないんだ。
仕事人間の社畜の癖に。
資料室の出入り口で『ドリルさん』たちが、会場はどこそこです、とか、一緒に行きましょうとかはしゃいでいるうちに終業時間になった。
「じゃお先に失礼しま〜す」
やれやれ。
やっぱりお声がかからなかったので、私はとっとと帰ることにしよう。
心の中で「邪魔だどけコノヤロウ」と悪態を吐きながら笑顔で資料室を出ようとした時、担当官殿が私を呼び止めた。
「タクミ。仕事だ、付き合え」
「はいっ? 仕事って飲み会ですよね? 私誘われてないし関係な」
「怪我が治った俺の資料課復帰の祝賀会だろう? 君、俺と同じ課の彼女も参加させる、構わないな」
「えっ? あのその……はい」
祝賀会の主旨が微妙に違う上に、拒否をさせない威圧的な担当官殿の言い方に『ドリルさん』が渋々頷いた。
「ちょ、担当官殿⁈」
何故なのだ。
華麗にフェードアウトしようとした私は担当官殿に捕まり、そのままずるずると祝賀会会場の居酒屋まで引き摺られていったのだ。
居酒屋に着くまでずっと女性所員の鋭い視線が私に突き刺さったのは言うまでもないが、苦情は担当官殿に直接お願いしたい。
意外というかなんというか、特異点は街のど真ん中にある。
特異点から半径二キロが国有地とされ、その中に特異点観測研究所とそれに付随する施設があり、一般人の立ち入りが禁止されている。だがそこからほんの数百メートル離れれば、周囲にはごく普通の街の風景が広がっている。
危険生物が出現することもあるというのに、なんとも危なっかしい限りだが、特異点の中心部ともいえる私の家が出現した場所は、家と庭を大きくぐるりと囲むように魔女様特製の何やら怪しげな柵が設けられているので、今まで一匹も逃した事はないのだそうだ。一体どんな罠が仕掛けられているのか恐ろしいことである。
特異点観測研究所は斯様な立地にあるので、アフターファイブに簡単に飲みニュケーションが計れるのだ。
さて担当官殿目当てで下心満載の女性陣だが、祝賀会の体をなすために、総務課や広報課などから男性所員も引っ張ってきていて、居酒屋の二階席は貸し切り状態になっていた。
居酒屋に集まっている所員は欧米人のような見た目の人たちが殆どだが、彼らの会話は全て日本語で、早くもオヤジギャグが飛び交っていたりする。
ここは日本なので当然と言えば当然だが、私にとっては違和感だらけでそれが少し居心地が悪い。
こちらの日本は向こうとは違い、純血種の日本人の方が珍しい。
それなのにファーストネームは『太郎』だの『次郎』だの、『花子』や『幸子』といった古めかしいものが多く、その容姿とのアンバランスさが半端ないのだ。
この古めかしい名前が、所謂『キラキラネーム』だと知ったときの、あのなんとも言えない気持ち。
所変われば、いや次元が違えばこうも変わるものかと驚いたのを思い出す。
ちなみに今担当官殿の隣に座り、品を作っている『ドリルさん』の名前は『節子』と判明した。うん。やはりとてもミスマッチだ。
ストロベリーブロンドで青い目のドリルさん改め節子さんは色々な方法を駆使して、担当官殿をぐいぐい攻めている。担当官殿を挟んで節子さんの反対側に座るグラマラスな赤毛の花子さんも、節子さんに負けじと担当官殿に料理を取り分け、甲斐甲斐しく世話をしている。
だが当の担当官殿は表情を一切変えず、無言のまま生ビールを飲んでいる。いろいろ凄い。とにかく凄い。あそこだけ何やら戦場のような趣があるのだ。
いつもの仏頂面で完全無視を貫く担当官殿も凄いが、それを物ともせず話しかけ、さりげないボディータッチを繰り出す節子さんや花子さんも凄い。心なしか不機嫌そうな担当官殿相手に両者一歩も引かないとは、彼女らは強心臓の兵である。
一方その他の面々は彼らの雰囲気に恐れをなし、早くも戦線離脱の様相を呈している。男女数人のグループで盛り上がり、次に向かうカラオケの場所をどこにするか話し始めている。
そんな混沌とした居酒屋の風景を眺めながら、果たしてこの飲み会の主旨はいずこ、との疑問が湧き上がる。そもそも私は何故、こんな隅っこで枝豆を食しているのか。
全然食べ足りないし居心地が悪いのを通り越し、なんだか無性に腹が立ってきた。
さやだけになった枝豆の器を箸で突いていると、戦場から悲鳴に似た声が上がった。
何事かと顔を上げると、いつの間にやってきたのか仏頂面の担当官殿が私を見下ろしている。
「時間だ帰るぞタクミ」
「へっ?」
「サービス残業は終わりだ」
担当官殿の発言に時間を確認すれば、成る程、終業時間からきっちり二時間経過している。しかし自分の祝賀会を開いてもらっておいて、『サービス残業』とはまた酷い言い草だ。飲み会も『仕事の範疇』だからと嫌々参加したようにも取れるではないか。いやまあ今回の場合、少なくとも私はそうだが。
担当官殿は、彼の発言に凍りついた一同をその場に残したまま会計に向かい、飲み放題の人数分の支払いを済ませ居酒屋を後にした。
私はおろおろしながら、担当官殿の後をついていくことしかできなかった。
「……あんな事言っちゃって鬼ですか。しかも自分の祝賀会なのに支払いまでしちゃって、ちょっと感じ悪いですよ。もう二度と誰も誘ってくれないかもですよ?」
「別に構わない。以前から執念くてうんざりしてたんだ。俺を誘えばどうなるかこれでよく分かったろう。寧ろ断る手間が省けて好都合だ」
「もー大人気ない。それより担当官ど」
「ローガンだ。今日の仕事はさっき終わった」
しぶとく名前を呼ばせようとする担当官殿と、それを渋る私との妥協点は、取り敢えず『勤務時間内であるかそうでないか』というところに落ち着いていた。
「……じゃあローガンさん、節子さんと花子さんに何言ったんです? 彼女たち顔が真っ青になってましたよ?」
私の問いに、担当官殿──ローガンはふいと視線を逸らせてだんまりを決め込んだ。
「それよりタクミ、腹減ってないか? ビール一杯と枝豆しか食ってないだろう」
「あ、話を逸らしましたね。まあいいです。確かにお腹減ってますよ」
居酒屋で最初の乾杯以降、壁に貼ってあるメニューの如く気配を殺していたというのによく見ていらっしゃる。
……それが担当官としての彼の仕事なので当然だろうけど、それでもローガンが気にかけていてくれたことが嬉しい。
姿形は他の人たちと同じでも、私は『甲種特』という転移物で、この世界に私と同じ人間は存在しないのだ。
「ラーメン屋にでも行くか?」
「お、いいですね。こっちではまだ行った事ないんですよ、ラーメン屋」
「……なら餃子が旨い店を知っている。そこへ行こう」
「じゃあ私が奢りますよ! ギプスが外れたお祝いに」
「了解だ。ご馳走になろう」
そう言いながらふたりで繁華街をゆっくり歩く。すれ違う人々の容姿が華やかなのはこの世界仕様だが、人の営みは向こうもこちらも同じだ。
仕切り直し、ふたりだけの祝賀会。
久しぶりにお店のラーメンの味を堪能し大満足だったが、サイドメニューで頼んだ餃子のタレに『何をチョイスするか』でローガンと熱い議論を戦わせたのはまた別の話。