お宅訪問とローガン・その1
魔女様の雷が落ちた。比喩ではなく、本当に。
所長室の床に大きな穴が穿たれ、震え上がった私は思わず担当官殿に抱きついた。
担当官殿のゴツゴツした筋肉の感触にどきりとし、思いの外いい匂いがすることに打ちのめされたが、それらを堪能している余裕はない。
所長室の真下の第二仮眠室から、現在進行形で悲鳴が聞こえているからだ。誰かは知らないがご愁傷様である。
「もう一度聞く」
「きょ、拒否します」
「あ゛あ゛ん?」
「ひいっ」
ゴージャス美女な魔女様が『極妻』になった瞬間である。
豪奢な金髪を逆立て、まさに怒髪天を突く勢いでお怒りだ。美人が怒ると凄い迫力である。
私は大樹にとまる蝉のように、全身で担当官殿にしがみつき、携帯のバイブのようにブルブル震えた。小刻みに振動し続ける私に代わって、担当官殿が魔女様と話し始めた。
「アレクシア。あの家はタクミのパーソナルスペースだ。調査ならまだしも観光名所扱いするなんぞ、いくら何でもデリカシーに欠ける。しかも鍵を開け招き入れた後は外で待機してろ? ふざけてるのか」
担当官殿の発言は私が今思っていることそのままの内容で、彼にしがみついたまま「その通りだ」の意味を込めて頭をぶんぶん上下させる。しかし魔女様にギロリと睨まれ、再び蝉の格好をしたバイブと化した。
来日中の某国要人が、『乙種転移物』である我が家の中が見たいと仰せになった。
突然の『お願い』だったが、外務省から政府の上の方に報告が上がり、それを伝えられた重鎮と言われる人たちが、家主の私そっちのけでOKしたようだ。
OKしたものの、私が一緒だと弾き出される可能性があって安心して案内できない。よって、家に招き入れた後『甲種特』は、観光が終わるまで庭で大人しく待たせておけ、ということなのだ。
またもや突っ込みどころ満載である。この世界はボケ属性の人だらけなのではないかと不安になる。
我が家は綺麗なモデルハウスではない。古民家のような歴史的価値のある建物でもない。
おまけに今現在、私が生活している場所なので、個人的なあれやこれやが生活感丸出しで置かれている。
その『観光客』が私の監視の目がないのをいいことに、箪笥を漁ったり、冷蔵庫を覗いたり、あまっさえトイレを使用したりしないという保証はどこにもない。
相手は某国要人? 外務省の高官? そんな地位など安心材料にならない。
そもそも気遣いができる人間ならば、そこに暮らすものの了解も得ずに、家の中を見せろなどという筈もない。
……考えるとむかむかしてきた。
蝉と化している私は、ますますぎゅうと担当官殿にしがみついた。
「……しかも半年ぶりに、危険な甲種転移物が出現したばかりだろうが」
「お前がミンチにしたやつだな。元通りに組み上げるのに苦労したと、標本班が泣いていたぞ」
魔女様の怒気がすうっと引き、私の振動も強から微弱になった。
ほっとひと安心したのも束の間、再び魔女様に視線を向けられ、びくりと身体が跳ねる。
「タクミ。これは決定事項であり上司命令だ。最初に話したが、特異点は日本政府が管理する国有地だ。不法占拠しているお前に選択の余地はないぞ」
「そんなあ」
不法占拠と言われればぐうの音も出ないが、私がこちらへ来たのは不可抗力な事故のようなものだ。立ち退けと言われても、私だけならともかく、はいそうですかと家や庭を移動させられるものではない。
情けない蝉の鳴き声に、不機嫌そうな声が頭上から降ってきた。
「魔女アレクシアともあろうものが、どうにもできないのか?」
「そんな目で見るなローガン。これでも随分粘ったのだ。だがいかな魔女といえど、所詮ただの公務員なのだよ」
魔女様が困ったように苦笑している。
今の魔女様の発言が、何を意味するのか分からないほど、私はお子様ではない。
恐らく『お宅訪問』の要請はずっと以前から、しかもあらゆる方面からあったのだろう。魔女様はずっと私の『防波堤』になって突っぱねてくれていたのだ。
今回は、その『防波堤』を易々と超えられる相手からの『要請』なのだろう。
それにゴージャスで邪悪だろうが、魔女様も一応女性だ。
恋人である担当官殿から非難されるのは辛いだろうに、職務に忠実な社畜はそんな女心も理解できないのだろうか。やっぱり残念ハンサムだ。
担当官殿が私のことを気にかけてくれるのは嬉しいが、このままふたりの仲がおかしくなるのは、私の本意ではない。
私は蝉をやめ、担当官殿から離れ姿勢を正した。
「彼らの案内役は私が務める。ローガン、お前はいつものようにタクミについていればいい」
「言われなくてもそのつもりだ」
「もう一度言うタクミ、これは命令だ」
「ううう」
家中を足跡だらけにされた記憶が蘇り、素直に『イエス、マム』とは答えられなかった。
暑い。
影に入れば少しは涼しいかもしれないが、家の様子が気になって、室内が見通せる縁側から離れられない。
冷蔵庫の中の冷えた麦茶を思い描きながら私は汗を拭った。
「ほら。ちゃんと水分を摂れ」
担当官殿がスポーツドリンクのペットボトルを差し出してきた。
担当官殿はこの炎天下でも、スーツにネクタイ姿、足元は革靴で、サラリーマンの見本のような出で立ちだ。
私はというと、アロハシャツに膝丈のキュロットスカートだが、これはクールビズ対応のちゃんとした制服で私の趣味ではない。足元が素足にサンダルなのは、炎天下の庭に追い出されたことへの、ささやかな抵抗だ。
お礼を述べて受け取ると、担当官殿は自分の分の缶コーヒーを開け口に運んだ。ゴクゴクと喉を鳴らして一気飲みをしているところを見ると、態度には出さないがやはり暑いのだろう。
担当官殿は私につき合ってずっと外にいるのだ。
「家に入ってくださいってば。中の方が涼しいですよ」
「いや。俺は案内をしているアレクシアほど気が長くない。奴らの顔を見ると何をするかわからん」
スチール缶がべきりと音を立てた。
物騒な発言をする担当官殿は、魔女様が『お客様』を連れて来てから、ずっと腹を立てているのだ。
よかった。全員ちゃんと靴を脱いでいる。
お客様がやって来た時、一番気になったのがそのことで、私は黙って彼らの足元に注視しながら、彼らが玄関を通り過ぎるのを待っていた。上から下まで見られているのが感じられて居心地が悪い。時折溜息も聞こえるが、感嘆しているのではない。
お偉いさん方は、私があまりにも『普通』でがっかりしているのだ。
「……狭いな。それに古いし汚れている」
誰かがぽつりと呟いた。
脱ぎ散らかされていた靴を揃えていた私の耳は、その言葉の中に含まれている侮蔑の響きを聞き取った。
かあっと顔に血が集まるのを感じた私は、慌てて玄関から飛び出した。
追い討ちをかけるように、「何だ挨拶もまともにできんのか」「茶のひとつも出さんとは」「転移物だからな」という言葉が背中に刺さった。だがそれどころではない。招き入れた途端に追い出したのでは、魔女様の立場が拙くなる。
私自身、何が引き金で『排除』が起こるのか、今でもよく分からないのだ。
玄関を出て振り返って確認したが、どうやら何も異常は起きなかったようだ。やれやれと胸を撫で下ろしたが、今度は背後から物凄い圧を感じるではないか。
恐る恐る振り返ると、仏頂面に磨きをかけた担当官殿が、眉間に深い皺を刻んで仁王立ちしていたのだ。
担当官殿が家の中に視線を向けた。
某国要人一行は今は奥の間にいるようで、魔女様が何某か説明している声が遠く聞こえている。そこは私が寝起きしている場所で、俗に言う寝室というやつである。
と言っても布団で寝起きしているのでベッドがあるわけでもなく、初めて訪れた者には寝室だとはわからないだろう。
それでもあまり気持ちの良いものではない。
「アレクシアはいつまで案内してるんだ」
担当官殿のイライラ度がまた上がった。
担当官殿はその仕事の性質上、私の家の間取りを熟知している。従って、魔女様の声がする方向にある部屋がどんな用途のものか知っているのだ。
「思いの外大人数でしたからねぇ。お付きのSPを合わせると十人くらい?」
「十二名だ。いい機会だと便乗した者もいる」
「ええ〜。じゃあ魔女様だけじゃ目が行き届かないじゃないですか。今からでもいいから担当官殿も加わって、あの人たちが悪さしないように見張ってくださいよ」
「しかし」
「エロい下着とか見つかったら軽く死ねますよぉ」
「………。持ってるのか?」
何その反応。
ナイスバディーでゴージャス美女の魔女様じゃあるまいに、そんなもの持ってるわけないではないか。杓子定規に受け取るとは、担当官殿はやはり頭が硬い。
思い違いを訂正するのはこの際後回しである。今の目的は、担当官殿を炎天下から遠ざけることにあるのだ。
私は必殺技を繰り出した。
「お・ね・が・い」
「気持ち悪いぞタクミ」
「ぶー」
渾身のお色気ビームは届かなかったが、それでも担当官殿は、縁側から家の中に入っていった。
縁側も家の一部なので、そこに腰掛けるわけにもいかず、私は担当官殿から頂いたスポーツドリンクを飲みながら、他にすることもないので、雑草だらけの庭をゆっくりと散策することにした。