魔男に耳なし芳一にされた件・その1
完璧超人な守護者ローガンだが、異様に頑健である事を除けば彼も普通の人間なので生理現象には逆らえない。
事件は彼が『お花摘み』ならぬ『雉撃ち』で離席している時に起こった。
ココココン。
資料室に響く軽快なノックの音に驚いた。誰だろう。
雉撃ち離席中のローガンが態々入室の許可を求める必要はないし、魔女の館の主であるアレクシア様はいつも黙ってドアを開ける。しかも彼女の場合ノック以前の問題で、ドアを開けるどころかいつの間にか資料室に『いる』事もあるのだ。
資料室なので他の所員たちが訪れることもあるが、事前通告無しという事はまず無い。なのでイレギュラーな訪問者は大変珍しい事なのである。
「はあい。どちらさ、ま?」
目の前にぬうんと立っていたのはクリスマス前に不祥事を起こし、ウィッチ総帥ラファウ氏と行動を共にしていた修復師アーチボルドだった。
「……よう」
あのアーチボルドが丁寧にドアをノックしただと?! 今まで一度だってそんな事をしたことがない俺様ヤンキーが?!
常識的な行動をとるアーチボルドにも驚いたが、いつものような覇気がない様子は肩透かしを食らったようで何となく居心地が悪い。
「お、お帰りなさい? 元気そうですねアーチーさん」
「そうだ俺はすこぶる元気だぜぇ? 何しろ総帥に遊ばれてもこうやって生きてるからなあ」
アーチボルドが遠い目で語る内容は何やら意味深だが、魔女のあれやこれやは聞くと絶対に後悔するので聞かないでおく。
それよりも。
アーチボルドの笑顔が何やら黒くて恐ろしいのだ。
「お前は甘いだの公私混同だの、いつまで遊んでるんだと笑顔でネチネチ総帥にイビら、怒られて、自分の仕事に専念しねえと馘だと脅さ、注意を受けてな」
「……色々漏れてますよ」
馘。首を切るというのは普通『解雇』の別の言い回しだが、ウィッチのいうそれは恐らく斬首的な意味の首切りではないかと思われ……る?!
「んぎゃっ!」
アーチボルドがいきなり私の顔を掴んだ。
こめかみに食い込む親指と中指に既視感を感じ鳥肌がたつ。これは以前、鍵を調べるとか言って私を揶揄った時と同じ状態だ。
今回は怪しげな金属棒を取り出す気配はないが、ヘラヘラ笑いながら迫ってきた前回と違い顔が真剣な分、得体の知れない恐怖感が倍増だ。
「痛たたた! 何すんですか! 離してっ! はーなーせー!」
「俺も命が惜しいからよ。ダメ元で取り敢えず試す事にした。rozlokowanie」
アーチボルドが何か言った後、彼の手に掴まれた額から後頭部へ何かが突き抜けた──などという表現は生易しい。フルスイングの金属バットで殴られた? それともどこからか飛んできた鉄骨が頭を貫いた?
当然そのどちらも経験はないが、それほどの凄まじい衝撃だった。
私の頭は弾け飛んだ。両耳から何か温かいものが流れる感覚がした後、そのままブラックアウトした。
── The end。
真っ暗だ何も見えない。なんてことだ。
死んでしまうとは情けない。
とはいえ私は勇者でも何でもないので、そんな事を言われても困るのだが。
しかしよりにもよって、頭がパーンとかエグい死に方をしなくてもいいではないか。
散々醜態晒しておいて今更だが、こんな姿でローガンと別れる事になるなんて。それでも彼なら悲しんでくれるだろう。アレクシア様は。……くっ。大笑いしそうだなあ。
許すまじアーチボルド。一発殴ってやればよかった!
ちくしょう呪ってやる!!
「……タクミに呪われたみたいだぞアーチボルド」
うん? 私声に出してた?
「けっ。こいつにそんな力があるかよ」
なんだとう! ちくしょうやっぱりぶん殴ってやる!
「それよりこれは害はないのか?」
「ねえよ。でもぱっと見不完全だな。欠けてる部分が多い。残りはどこだ?」
「本人の許可なく触れるなアーチボルド」
「わあーってるよ! 怖えーんだよお前」
二人が何の話をしているのかさっぱり分からないが、怖いということはローガンがまた威圧を発動しているのだろう。何故に? ああ。私がアーチボルドにヤられたからか。
しかしグロい死体を見ながらの会話にしては、緊迫感が皆無ではなかろうか。
……あれ? なんか体が変。朝目が覚める前の感覚に似ている。
無意識に目を開けると天井が見えた。
が、目があることに驚いて、ペタペタと弾け飛んだはずの頭を触る。目はもちろん頭も無事でちゃんと感覚がある。
次に何かが流れ出した感覚があった両耳も触ってみたが、こちらもやはり何の異常もなかった。異常がないのは、さっきから二人の会話が聴こえている事からも分かる。
「あれぇ……生きてる?」
頭の中は疑問符で一杯だった。
アーチボルドが私向かって何か言った後、痛みはなかったが、一瞬で感覚が消失するほどの物凄い衝撃を受けたのだ。
「あったりまえだ! 鍵を展開する呪文を唱えただけで死ぬかよっ!」
驚かせやがって、とぶうぶう言っているアーチボルドの左頬が赤く腫れている。どう考えても犯人はローガンだ。
意識を失った私はソファーに寝かされていたようだ。のっそり起き上がるとソファーの側にしゃがみ込んだローガンが私の顔を覗き込んだ。
「座ったままでいいタクミ。どこか痛むところはないか?」
「特にどこも。大丈夫みたいです。それより私、てっきり頭が爆発して死んじゃったんだと思ってました」
自分の間抜け具合にびっくりしました、と笑うと「俺も驚いた」とローガンが苦笑する。
ローガン曰く『雉撃ち』から帰ってみれば、ここにいない筈のアーチボルドがいて、更に彼が真っ黒になってぐったりしている私に覆い被さっていたのだという。
取り敢えず元凶らしいアーチボルドを『排除』して、人事不省の私をソファーに寝かせたところで寝言のように何やらぶつぶつ言い始めたのだという。
……私ってば、一体どの辺りから声に出していたんだろうか。うう。恥ずかしくて居た堪れない。
「排除ってお前。問答無用でいきなり拳を使うなよ」
「タクミに悪さをするお前が悪い」
「人聞きの悪い言い方すんな! 覆い被さってたのは単に生死の確認をしてただけだ」
「論外だ。生死を確認しなけりゃいけないような事を仕掛けるのが間違っている。俺のいないところでタクミに手を出すなと言ったよなアーチボルド」
「……悪かったよ」
「謝る相手が違う」
アーチボルドがこちらを向いた。
「悪かったな。追い詰められてたとはいえちゃんと確認すべきだった。タクミの世界にはウィッチは存在しなかったんだよな。魔術にあんなに過剰反応するとは思わなかったんだ。ホント悪ぃタクミ」
「本当に反省してんですか?」
「してるしてる」
「怪しいなあ」
そもそも魔術に過剰反応と言われても、比較対象が何もないのでさっぱり分からない。とにかくああいう強烈なものは遠慮したいと思う。
溜息を吐きつつソファーに座り直したところで、スカートから覗く足に何かが書かれているのに気がついた。
「……で? この落書きもアーチーさんの仕業? ローガンさんが言ってた『悪さ』ってこれ?!」
「悪さというか、いやまあ俺のせいなんだけどよ」
「酷っ!!」
こめかみが引き攣ったのが自分でも分かった。ゴシゴシ擦っても取れないどころか、よく見れば足を擦っている手にも落書きがある。
「何これ油性ペンで描いたんですか?! 消えませんよもう!」
「いや描いてねえって」
「描いてない?……そういえばさっきローガンさんが何か変な事言ってましたよね。確か」
──真っ黒になってぐったりしている──
「真っ黒……?」
顔を上げた私と視線が合ったアーチボルドはついとそっぽを向き、ローガンは困ったような顔をしている。
私はおもむろに立ち上がりそのまま化粧室にダッシュした。自然に呼ばれたわけではない。資料室には鏡がないからだ。
化粧室に飛び込み、洗面台の上の鏡に映る自分を見た私は目を疑った。
「な、何これぇ!」
本当に顔が黒いのだ。
だが肌が黒く変色したという訳ではなく、何かの文字や記号のようなものが顔一面びっしり描かれていて、その為に顔が黒く見えているのだ。
いやな予感がしてブラウスの胸元から中を覗く。
「Oh……」
ここもか。
背中は見えないが、恐らく『落書き』は全身に及んでいるのだろう。頭にキノコが生えた時以来の衝撃だ。ええと。
……泣いていいかな?
とはいえ、トイレの個室に籠もってめそめそ泣いていても落書きが消える訳ではない。一刻も早くアーチボルドを締め上げて、これを消してもらわない事には日常生活に障りがある。
化粧室から出ると廊下にローガンが立っていた。いや。私が出てくるのを待ってくれていたのだ。
「落ち着いたか?」
嬉しさと羞恥で顔が赤く……なってても、今のこの状態じゃあ分からないだろう。あ。また泣きそう。
口を開くと返事の代わりに嗚咽が漏れそうなので、こくりとひとつ頷いてローガンの後ろに着いて資料室に戻った。




