秘密のローガン・その2
「……ローガンスペシャル」
「ぶほっ!」
背後からこそっと囁かれ、私はうどんを噴き出した。
……鼻から出なくてよかった。
もし衆人環視の社員食堂でそんな事になっていたら、乙女として取り返しがつかない上に、羞恥のあまり心が死んでしまう事請け合いだ。
ハンカチで口元を拭いつつ声の主をぎりっと睨みつけたが、全く効果はなかったようだ。
声の主──赤毛のトマシュ医師は「相席いいよね」とヘラヘラ笑いながら、日替わりB定食のトレー片手に向かいの席に腰を下ろした後、またもや口を開いた。
「えっと何だっけ、対転移物防護服? 相変わらず面白いねえ君」
「ほっといてくださいよ」
「タクミくんてば冷たいなあ。同じ鍋をつついた仲じゃないか。それにボクたち友達でしょ?」
友達ぃ? 鍋パーティの時は勝手に押しかけた癖に。
トマシュ・クライーチェク医師はインフルエンザM型でお世話になって以来の仲だが、彼の兄のウィッチ総帥のラファウ氏同様、大変な曲者だ。私の友人を『自称』しているが、偶に助言をしてくれる以外で、それらしい扱いを受けた記憶はない。
今現在も、昨日の青ネズミの一件を持ち出して絡んでくるあたり、完全に面白がっているとしか思えない。
くそう誰だ、このおっさんにアレを話した奴は。
今現在ローガンは不在である。
青ネズミ相手に「大丈夫だ」と平然と言ったローガンだが、研究所に帰った後アレクシア様にしこたま怒られたらしい。
異常は無いとの自己申告をまるっと無視され、研究棟の隔離フロアへ留め置かれて検疫を受けているという。やはり素手で未知の転移物を鷲掴んだのは拙かったようだ。
──と、ローガン本人から今朝連絡があったのだ。
検査が終了次第復帰する、と話していた彼の声の様子からは特になんの異常も感じられず、ほっとひと安心したが、『アレクシア様に怒られるローガン』というレアな場面を見逃した事はちょっと残念だったかもしれない、とやや不謹慎な事を考えたのは内緒だ。
「ローガンは検疫だって? スーツが『ローガンスペシャル』じゃなくて残念だったねえ。まあでも、素手で掴んじゃったら『ローガンスペシャル』着てても関係ないけどね」
「だって調査員の方々が完全防護な中、いっつもスーツ姿なんですよ。何か秘密があるのかと思うじゃないですか普通」
揶揄われるので口には出さないが、某特撮戦隊のコスチューム的な特別製のスーツじゃないかと本気で考えていたのだ。
「それにしても『ローガンスペシャル』かあ。ネーミングがカッコいいね」
「執念いですよもう。わざと連呼してますよねそれ。先生は性格最悪ですね」
「えー、酷いなあ。ところでスーツはね、ボクもローガンと同じ店を使ってるから普通だよ。普通じゃないのは彼のほう」
「でもローガンさんはウィッチじゃないですよね? 本人に確認したから間違いないです」
「うんウィッチじゃないよ」
ううむ。
魔女だの霊媒師だの妖精だの登場するので、てっきりファンタジーな世界だと思っていたが、もしかするとここは科学の進歩したSFな世界なのかも知れない。
となると。
「……もしかしてローガンさんは人間でなく、アンドロイド的な何かとか?」
「ローガンが人型ロボットじゃないかって事? ぷぷ。本人に聞いてみれば? おーいローガン」
トマシュ医師がひらひら手を振った。視線の先にはトレーを片手に近づいてくるローガンの姿があった。
「お疲れローガン。ほぼ丸一日の拘束だったねぇ。で?」
声を掛けられたローガンは珍しく溜息を吐いて、そのままトマシュ医師の隣に腰を下ろした。
「最悪だ。絶食させられた上に、針が何本も駄目になったと苦情を言われた」
うん?
また何やら変な言葉が聞こえたんだけども、これはツッコむべき?
「そうそう! 今ね君に関する面白い話をしてたところなんだ。ねえタクミ?」
「いじり倒す気満々ですね先生。もう好きにしてください」
「ちぇー。もっとこう噛み付いてくれないと張り合いがないよ面白くないなあ」
ぶうぶう言われても知らんがな。
私はトマシュ医師を無視してうどんを啜った。
「一体何の話だ?」
「ぷぷ。聞いてよローガンあのさ」
トマシュ医師は最初の『ローガンスペシャル』の件から、『ローガン人型ロボット疑惑』まできっちり本人に話して聞かせた。
ぐうう。何という羞恥プレイ。頭から湯気が出そうなくらい恥ずかしい。
仮にも医者の癖に人の精神攻撃をするとは何事かと、頭の中で悪態を吐く事しか出来ない。
「ロボットは骨折しないぞタクミ」
ローガンは真顔でそう言った。
呆れて苦笑するとか、馬鹿な事をと嗤われるよりも居た堪れない。
「……うぐ。そうですね、そうでした」
夏の『人面ヤスデ』の一件で、ローガンが全治二ヶ月の怪我を負ったことを指摘され、自分の突拍子もない思い違いに益々顔が赤くなった。
「まあでもローガンがロボット並みに頑丈なのは間違いないからねえ。何しろ注射針が刺さらないんだから」
「何かの比喩じゃなくて本当に注射針が刺さらないんですか?」
「最後にはちゃんと刺さったぞ」
「最後にはって」
「タクミくんタクミくん」
ちょいちょいとトマシュ医師が手招きしながら身を乗り出した。
思わずつられてテーブルに身を乗り出すと、内緒話をするように自分の片手を口元に添たトマシュ医師は、声を潜めて語り出した。
「あのね、ここだけの話なんだけど。ローガンは確かにロボットじゃないけど、実はね転移物と人間を掛け合わせた人造人間なんだよぅ」
「ええっ?!」
「しーっ」
「そんな。ホントですか?」
「ホントホント」
でもそれなら、これまでのローガンの人間離れした行動の数々も合点がいく様な……。
チラリとローガンを盗み見ると、彼の口元が僅かに上がっているのが分かった。おまけに普段あまり仕事をしない彼の表情筋が動き、心なしか困ったように眉が下がっている。
なるほどそういうことか。
トマシュ医師に視線を戻せば、案の定、例の胡散臭い笑顔を浮かべ実に楽しそうだ。
そうかそうですか、楽しいですか良かったですねコノヤロウ!
瞬時に状況を理解した私は、目の前の日替わり定食のトレーに箸をぶっすり突き刺した。
「ふんっ!」
「ああっ何するの〜」
法螺吹き医師が情けない声をあげたが知ったことではない。
私は彼から強奪したクリームコロッケを躊躇なく自分の口に放り込んだ。
昼食を済ませ、社員食堂から地階の資料室に戻った私の手の中にはチョコバーがある。
コロッケを強奪してなお怒りが収まらない私に、トマシュ医師が「ごめんねー」とちっとも悪びれた風もなく詫びながら、白衣のポケットから取り出して寄越したものだ。
ムカつくが食べ物に罪はない。
でもこんなもので懐柔されてなるものか、と安いお詫びの品を睨みつけていると、ローガンがとんでもない事を言い出した。
「トマシュはタクミが可愛くて仕方がないんだな」
「アレでですか?」
顰めっ面の私を見たローガンは「アーチボルドといい、困った奴らだ」と呟いた。
まだフィンランドから戻らないアーチボルドは置いといて、トマシュ医師の法螺吹き具合はちょっと勘弁してほしい。
私が口を尖らせ抗議すると、ローガンは少し考えた後口を開いた。
「そうだな、この際だからタクミには俺の事をもう少し知っておいてもらった方がいいかも知れないな。そうすれば余計な心配もしなくていいし、トマシュの変な嘘に引っ掛かる事も無くなるだろう」
食堂でのやり取りを思い出したのか、ローガンが笑った。
「俺が普通の人間より頑丈なのは俺の家、スティーヴンソンがそういう家系だからだ。魔女然り霊媒師然り、そういった特殊な人間の能力は代々受け継がれるものが多い。例えばアーチボルドだが、あいつのアール・ベイン家は古い魔女の家系で、代々修復師を輩出している。ああ見えて本家の跡取り息子なんだ」
「それはまた、なんともコメントし辛いですね」
「まあそんな感じでスティーヴンソンの血統には、時折頑強な人間が生まれるんだ。そういったスティーヴンソンの者は守護者と呼ばれているんだが、俺はその中でも飛び抜けて頑丈なんだ」
なんと! 守護神ローガンは本当に守護者だったのだ。凄い!
それなら、訳の分からないヘンテコな術を使うウィッチのラファウ総帥や、所長室の床に大穴を開けるようなアレクシア様と、戦友だとか親友だとかいうのも納得できる気がする。
「飛び抜けて頑丈だから注射針が刺さらないんですか?」
「それじゃあ病気や怪我をしても治療できないぞ。今回は単に検査する人間が『ガーディアン』に慣れていなかったせいだ。俺の場合身体が頑強なだけじゃなく、僅かだが耐毒性も持っているから防護服の必要性がないんだ。そういう理由で、タクミの言う『ローガンスペシャル』がなくても平気だ」
ローガンはくくっと声を潜めて笑った。
初めて声を出して笑う様子を目の当たりにした私は、ぽかんと口を開け間抜け面を晒した後、さっと口を閉じむむむと眉間に皺を寄せた。
「まあそれでもガーディアンは完璧超人じゃないから骨折することもある。だから転移物は危険なんだよ。納得したか?」
納得しましたけども、そして笑顔は素晴らしくごちそうさまですが、ここで『ローガンスペシャル』を持ち出すとか、揶揄ってますよね絶対! いや頭ぽんぽん、じゃ誤魔化されませんからねっ!!
ローガンの意地悪っ!!




