秘密のローガン・その1
それを最初に見つけたのはアルだ。
アルウラネは元々希少な植物で、採取されると『魔女の霊薬』の材料として即座にそれなりの処置が施されるので、私のように『生きたまま』ペットのように扱う者はいないのだそうだ。
やや肉厚の小松菜のような葉に朝鮮人参のような根を持つアルウラネは、どう贔屓目に見ても観賞用の植物とは言い難いが、葉の根元にちょこんと咲いた小さな紫の花は可愛らしく、緑の葉を揺らし、主根から生えた貧相な根を手足のように使って動く様は、何とも言えない愛嬌があるのだ。
彼女は最近、庭に出てゆらゆら歌っている事が多く、休日の今日、私はその歌声をBGMに掃除に精を出していたのだ。
「♪〜〜……ギャッ!」
一声叫んだアルが、いきなり庭から縁側に飛び込んできた。
「ちょ、アル?!」
そこはさっき拭いたばかりだとか、私の頭によじ登ったアルから、パラパラ砂が落ちているだとか思いつつ庭に目をやれば、剥き出しの土の上にいつの間にか数個の青い物体が、もぞもぞ蠢いているのが目に入った。
その青い物体は赤い目をした子猫サイズの青いネズミ……?
「でかっ!」
とにかく造形は私の知っているネズミと同じだった。但し、チュウチュウとか可愛らしい声ではなく、体の大きさに見合ったキイキイという鳴き声が聞こえている。
私はアルを頭に乗せたまま、ジーンズのポケットから携帯を取り出すと、いつものようにローガンに連絡を入れた。これまたいつものように、ローガンは特異点の異常は既に把握済みだった。
庭、というか特異点に監視カメラは設置されているが、我が家が出現して以来ノイズが酷く、映像で判別することが難しいのだそうだ。なので、どういったものが現れたのか私が分かる範囲で報告する。
これはたぶんというか確実に『家守』の仕業と思う。
私の想像だが、家守は恐らく覗き見されるのが気に入らないのだろう、人ではない道理で動く付喪神な彼には、人間側の都合など関係ないのだ。
とにかくノイズだらけで役に立たない監視映像の代わりに、私の報告で予め転移物の概要が分かれば、調査員たちが持参する道具の目安になり、彼らの負担を少なからず減らす事ができる (と思う)。
ゲートの鍵だの門番だのというが、何もできない私が出来るほんの些細な貢献だ。
電話連絡から数分後、ローガンと防護服姿の調査員たちが現れ、我が家の敷地内に侵入する際の一連の手順 (私の許可を得る)を済ませ、庭に入った。
実際のところ、同じ特異点に在りながら庭は『家守』が無視してるので、彼が守る家屋とは違い私の許可なく侵入したところで、どこかに弾き飛ばされることは無い。ローガンやアーチボルド、アルを拉致しようと私の留守中に勝手に庭に侵入した織田信長が何の被害も受けていないのがいい例だ。
いちいち玄関で対応するのが面倒くさいので、遠慮なくさっと庭に入って欲しいのだが、調査員たちは頑なに手順を変えようとはしない。大丈夫だと力説したいが、彼らはアーチボルドが着の身着のままで南極に飛ばされたことを知っているので、怖がるのも無理からぬことだとも思う。
玄関対応を済ませて縁側に戻ったが、青ネズミたちは環境の変化に驚いたのか、未だ庭の中央に固まったまま鼻をヒクヒクさせて辺りの様子を伺っているようだった。
が、家の横から現れた防護服姿の調査員を見た途端、青い毛を逆立てカチカチと歯を鳴らし、威嚇音を立て始めた。
予め転移物のサイズや形態を伝えていたので、調査員たちは手に手に捕獲網を持っている。
捕獲網といっても前回のG捕獲のような虫取り網ではなく、魚釣りに使う『たも網』と呼ばれるような大きめのサイズだ。よく見ると網の部分も針金のように光っているので、転移物専用と思われる。あれなら青ネズミに齧られて網が破られる事は無いだろう。
捕獲網を構えた調査員たちが一歩踏み出すと、ばっと青い塊が弾けた。青ネズミたちが一斉に庭の奥、調査員たちの反対方向に逃げ出したのだ。
たも網を持っている調査員たちもそれを追って一斉に駆け出した。
1箇所に固まっていたので分からなかったが、青ネズミたちは意外とすばしっこく、体と同じくらいの長さの青い尾で舵を取るように、右へ左へと素早く方向を変え調査員たちを翻弄していく。
一方、網を持たない調査員たちは、縁側近くで捕獲箱を組み立てながら、ローガンに何か話しかけている。どうやらたも網で捕獲し損なった場合の事を話し合っているようだ。
「アレが縁の下に逃げ込むと厄介そうですね」
「以前出たゴキブリは入れなかった。恐らく縁の下も家守の守備範囲だろう」
「では屋根の上は?」
「今までの事から考えても多分弾かれるな。玄関先に周り込めないように、そことあそこに刺せば問題ないだろう」
「了解です」
そう言った調査員は、ミミック捕獲時に使用した金属棒を2本ずつ、家の脇の玄関に抜ける通路に差し込んだ。スイッチを入れると金属棒がぶうんと唸り、2本の棒の間に電気の網が出来上がり通路を塞いだ。その電気の網の手前で調査員がたも網を構えている。
「おい! そっちに行ったぞ!」
調査員のたも網を潜り抜けた一匹、いや一頭の青ネズミがこちらに向け一直線に突進して来る。どうやら家の中に逃げ込もうと考えたようだ。
実際には家守が侵入を許さないだろうが、見た目には遮るものが何も無いので転移物には障壁のようなものがあるというのは分からないのだ。
黒っぽい塊が、突進する勢いのまま縁側に飛び込む勢いでジャンプした刹那、ローガンが電光石火の早業で青ネズミの背中辺りを掴んだ。素手で。
「……」
唖然とする私を尻目に、ローガンは金属製の箱の置かれた場所まで行くと、背中を掴まれもがいている青ネズミを無造作に放り込んだ。『G』の時同様、一旦入れてしまえば出てくる事は無い。
「あの、ミスター・ローガン。転移物は家の中には侵入出来ないんですよね?」
ギイギイと鳴き声が聞こえる箱の傍で、たも網を持ったまま固まっていた調査員が恐る恐るローガンに尋ねている。
「そうだが、弾かれてまた庭を逃げ回られるより、捕まえられる時に捕まえた方がいいだろう」
「ソウデスネ」
ローガンに至極当然のように言われ、調査員はそれ以上追求するのを諦めたようだ。
庭に散っていた調査員たちが青ネズミが入ったたも網を抱えて縁側に近づいて来た。彼らは捕らえた青ネズミたちを箱に移す時、ちらちらローガンの様子を伺っていたが誰も何も言わなかった。
何にせよ無事に全て捕獲出来たようで私もほっとした。
……ではなく!
色々とツッコミどころ満載なローガンに、この際だから疑問をぶつけさせて貰うことにする。
「ローガンさん、前から思ってましたけどなんでいつもスーツ姿なんですか?」
「?」
「意味が分からん、って顔しないでくださいよっ。前に私に防護服の必要性を話してたじゃないですか。まさかそのスーツ、『対転移物防護服・ローガンスペシャル』とか言いませんよね?」
「……。テイラーメードだから俺専用と言えば俺専用だが、普通のスーツだぞ」
「特別仕立てが普通……?」
庶民な私の感覚では、普通というのは『既製品』の事なのだが。
アレクシア様や彼女の夫でウィッチの長ラファウ総帥と親しい間柄、という事で薄々感じていたが、社畜なローガンは思いの外高給取りのエリートだったようだ。
「それに防護服ではこいつが扱い難い」
ローガンは右手でスーツの左胸辺りをぽんと叩いた。
その下は例の凶悪な黒い銃の定位置だ。今回出番が無かったという事は、青ネズミはさほど危険なものでは無い?
いやいや!
「そういう問題ではなくて、今でっかいネズミを素手で掴んでましたよね、しかも片手で! 転移物は危険なんじゃなかったんですか?!」
ローガン越しに見える捕獲箱からは、ギイギイガチガチと恐ろしげな音が聞こえている。
あの鋭い歯で齧られる危険もさることながら、病原菌的なものは大丈夫なのか、他にもあの人間離れした早業は何だ、動体視力はどうなっているのか、とか聞きたい事が山盛りだ。
「異常はない大丈夫だ」
「はあ」
ローガンはさらりと言って、青い巨大ネズミを掴んだ左手を私の目の前で握ったり開いたりして見せた。確かに異常はなさそうだった。
やがて後片付けを終えたローガンと調査員たちは研究所へ引き揚げて行った。
「ところでアルさんや、そろそろ頭の上から降りてくれないかな」
「ギャ」
何か釈然としないまま、私は掃除の続きを始めた。




