タクミと傍迷惑な最強紳士
「やあこんにちは」
目の前の紳士がとても柔和な笑顔を浮かべ、握手を求めて手を差し伸べているが、私はそれに応える事が出来ずにいる。
頭の中がパニックでそれどころではないからだ。
そもそもここが何処だか分からない。
私はいつも通り資料室にいたのだが、今、周囲は乳白色の霧に包まれ、場所を特定できるようなものが何も見当たらないのだ。
しかもつい先程まで傍にいた筈の、守護神ローガンの姿も見当たらない。
え? 何? 呼んだら来てくれるかな、『助けてローえもん!!』それとも『出でよローガン!?』
などと大混乱中である。
顔面蒼白でその場に固まったまま、目だけキョロキョロ動かしている私は、かなり挙動不審に見えたのだろう。紳士が困ったように笑っている。
「ごめんね。急で驚いた? 大丈夫、すぐに帰してあげるから」
驚くわ!!
どういう方法でかは分からないが、私はこの紳士にこの場所へ拉致されたようだと、やっとのことで理解する事ができた。理解はできたが、現状打開の術はない。
謝罪するくらいなら最初からやるなとツッコミたいが、それが出来ないのは、この笑顔の紳士が怖いからである。
目の前の紳士は、高級そうなスーツといいその物腰といい、かなり地位のある人物だと見受けられた。金に近い赤毛の持ち主で、気品もあって見目麗しいが、年齢不詳のその顔にはずっと笑顔が張り付いたままで、胡散臭い事この上ない。おまけにその緑の目にじっと見つめられると、品定めされているようで大変居心地が悪い。
「以前から君に会ってみたかったんだけど、なかなか時間が取れなくてね。やっと時間を作ったのにアレクが『お前になんぞ会わせられるか』って言うから」
うん?
「ローガンもね、アレクの許可がないとダメだって言うし。君、随分可愛がられてるね、妬けちゃうよ」
んんん?!
アレク? ローガン? 貴方様はもしや……。
「……あのう」
「ああ! ごめん。自己紹介がまだだったね」
これは天然なのかそれとも天然に見せかけているのか。『今気づきました』的なリアクションが彼の胡散臭さを助長して、どちらとも判断がつき難い。
「初めまして、私はラファウ・クライーチェク。ウィッチの代表でアレク、魔女アレクシアの夫だよ」
やっぱりだー!!
という心の声を押し殺し、社会人らしくきちんと挨拶を返す。
「こちらこそ初めまして。私はタクミ、市原タクミです。アレクシア様にはいつもお世話になっております」
「うん、知ってる」
「ウィッチの代表というのは、その、総帥? で宜しいんですよね」
「うん、そう。総帥。でもラファウと呼んで欲しいかな」
この軽い感じ……!
よく見れば、胡散臭い笑顔がトマシュ医師にそっくりだ。
ウィッチのトップ、総帥というから常識人と思っていたが、どうやらそういう先入観を持たない方が、後々の精神的ダメージが少ないかもしれない。
そもそも人をいきなり拉致るとか『普通じゃない』のだ。
「なんか君、今失礼な事考えたでしょ」
「いいえ! 滅相もない!」
頭をブンブン振って否定する。危ない危ない、総帥様は大変勘がよろしいようだ。
「ふうん。トマシュもなんだか君のこと気に入ってるみたいだし、アーチボルドなんか、君に会わせたいからってサウリ・クルスを勝手にフィンランドから連れ出しちゃうし」
心の中でだが、一言申して宜しいか。
トマシュ医師が私を気に入っているのは、程のいいおもちゃになるからです。そしてアーチボルドはストーカーなヤンキーです。ふたりとも私の天敵ですよ総帥様。
「でも君って『傾国の美女』って感じじゃないよね。寧ろ、うーん、なんて言ったっけ。あ、そうそう座敷わらし! 君、座敷わらしみたいだよね」
「……」
私はこの瞬間、ラファウ総帥とトマシュ医師は、やはり『同じ穴の狢』だと確信した。
その後、座敷わらしの話からスコットランドの家精の話になり、そこから家守の話に移ったところで、
「あ、拙い」
ラファウ総帥がそう呟いたのとほぼ同時に銃声が響き、彼の顔面が弾け飛んだ。
「!!」
だが、血や何かが飛び散った形跡は見当たらない。弾け飛んだというより『消し飛んだ』と言う方が正しいのかもしれない。
「相変わらずだなあ」
何事も無かったように、消し飛んで半分になった顔で、のんびり発言するラファウ総帥を見た私は、悲鳴を上げることも出来きず、呆然と立ち竦んだままだった。
あまりにも非現実的な光景にただただ驚き、映画か何かのワンシーンでも見ているような感覚に陥っていたのだ。
と、不意に私の背後に人の気配がし、嗅ぎ慣れたシトラスの匂いが鼻先を掠めた。
この香りは──。
安心感で緊張が解け、腰が抜けその場にへたり込みそうになったが、すぐに大きな手に腕を掴まれ引き上げられた。
彼は私を後ろに下がらせ、そのままいつものように自らの身体を盾にする。
私は目の前のスーツをぎゅうと掴み、守護神の出現を再確認した。
「悪戯がすぎるぞ、ラファウ」
「やあ久しぶり。いきなり頭を吹き飛ばすなんて、酷いよローガン」
周囲はいつの間にか元の資料室に戻っていた。
不機嫌そうなローガンの問いに、ラファウ総帥は顔が半分のままなのに平然と答えている。
「タクミ、大丈夫か」
「大丈夫、なのかな。よく分かんないですけど、ラファウさんが大丈夫じゃないです」
頭を吹き飛ばされた相手に、大丈夫も何もあったものではない。しかも彼の頭を吹き飛ばしたのは、私の前にいるローガンだ。
いくら『甲種特』を守るのが仕事とはいえ、ラファウ総帥はアレクシア様の夫で、ローガンと彼は親友ではなかったのか?
これは現実なのだろうか。だって総帥様は頭が半分無いのだ。
何がどうなっているのかさっぱり訳が分からない。
「私は平気だよ」
ほら、とラファウ総帥は自分の胸のあたりを軽く叩いた。
すると体全体がさらりと崩れて、そのまま跡形もなく消えてしまった。
だが、何も無くなってしまったというのに、何故かまだそこに居るような存在感は残ったままだった。
「本体じゃないからね」
姿は無いが、どこからかラファウ総帥の可笑しそうな声が聞こえる。
「それにしてもローガン、その銃どうなってんの? ちょっと尋常じゃないよね」
「お前こそ。今もポーランドにいるんだろう? 術だけ飛ばすとか相変わらず無茶苦茶だ」
「いや、今いるのはフィンランド。アーチーボルドとちょっと遊んでる」
ラファウ総帥の『遊んでいる』の言葉が何やら意味深だ。
何しろ彼は、あのアレクシア様の旦那様で、アーチボルドをその名前だけで黙らせた、ウィッチの総帥なのだ。
アーチボルドが五体満足で日本に帰ってくる事を祈ろう。
「残念、もう時間切れだ。今度は本当に会おうね、タクミ」
「は、はい」
そう答えるのがやっとだった。
この世界に来て理解不能な出来事は色々あったが、今日のは群を抜いている。
私はローガンに説明を求めてみた。
「ラファウが使ったのは、特殊結界の中に人を取り込むウィッチの技、としか説明できないな。だが遠隔地に自在に展開して、その中に魔力で練り上げた自分のコピーまで放り込むとか、普通は出来ない。あんなことが出来るのはラファウとアレクシアくらいだろう」
「アレクシア様もできるんですか?」
「あのふたりはウィッチの中でも桁外れの力を持っているからな」
確かにそれならば、アレクシア様が神出鬼没なのも納得できる。
だが。
「ローガンさんは、その、ウィッチじゃないんですよね?」
「ああ違う」
ローガンはそう言うが、普通の人間がウィッチ──アレクシア様やラファウ総帥と同じ土俵に立っているなど、俄には信じられない。
以前の『アーチボルド片手ぶん投げ事件』といい、ローガンはもしや人類最強ではなかろうかと思ったり。
その人類最強な守護神ローガンが苦笑する。
「アレクシアは、結界はまだしも、ラファウが使ったような遠隔操作は『実際に手を下せないから面白くない』とか言っているな」
「ふふ。さすが武闘派魔女ですねぇ」
「そのアレクシアだが、当然さっきのラファウの術は感知しているだろう。今頃所長室で怒り狂ってるだろうな」
「……ひえ〜」
ローガンの言葉通り、アレクシア様の怒りは怒髪天を突き、その怒りの雷が直撃した所長室の床には、いつぞや以来の穴が空いた。
所長室真下の第二仮眠室で悲鳴が上がり、その仮眠室の床にも大きな穴が穿たれたことを見れば、アレクシア様の怒りの程が知れるというものだ。
そしてこれまたどういう『ウィッチの技』なのか分からないが、電話線も繋がっておらず、どこからもかかって来る筈のない、置物と化した我が家の黒電話に、ラファウ総帥から電話が掛かってきたのだ。
「あー、テステス。タクミ、聞こえてる? ラファウです」
最初のベルが鳴った時、もしや元の世界から? と微かな期待を込めて、おっかなびっくり取った受話器の先から聞こえた声に、私はその場に頽れた。
「くっ……聞こえてます」
「あれからアレクが口をきいてくれないんだ。それどころか着信拒否されてるみたいで、電話も繋がらないんだよ。お気に入りの君から、何とか彼女を説得してもらえないだろうか」
知らんがな。
怒れるアレクシア様を説得とか、そんな大それた事が私に出来るわけがない。
「無理です。雷が私に直撃します。死んでしまいます。ローガンさんに頼んでください、親友なんでしょう?」
「ダメ。断られた。君にちょっかい出した事を怒ってるみたいで、取り付く島もなかったよ」
「え。そ、そうなんですか?」
と、喜んでいる場合では無い。何とか総帥のお願いを回避しなければ。
「というかですね、こういう事してるのがバレたら火に油で、アレクシア様ますます怒っちゃうんじゃないですか?」
「はっ! そういえばそうだ。タクミ、アレクには内緒にしておくれ。これ以上愛する妻に冷たくされたら私は死んでしまう」
「……はあ」
冷たく、というのは物理的に『冷凍にされる』って事でしょうか。ワカリマセン。
どうやらこの方は天然のようだ。
妻にベタ惚れとか、尻に敷かれているとかいう以前に、こんな人が総帥で、ウィッチは本当に大丈夫なのか?
「……君、また何か失礼な事考えたでしょ」
「いいえとんでもない。とにかく自力で仲直りなさって下さいね〜。それでは」
さて。
受話器を置いて一旦電話を切り、再度受話器を外して放置する。
どんな魔術で電話をかけてきたのか知らないが、こうすれば電話のベルは鳴らない。本来なら受話器を取ったところでうんともすんとも言わず、何処からもかかって来る事のない電話なので、何ら問題はない。
ラファウ総帥からの再着信を拒否する為の、生活の知恵である。
そもそも『夫婦喧嘩は犬も喰わない』というではないか。
それでなくてもクライーチェク兄弟は、揃って厄介な性格なのだ、出来るだけ関わらないほうがいいに決まっている。
ウィッチの桁外れな力を持たない無力なただの小娘でも、自己防衛のためにこれくらいの『小技』は使えるのだ。
アレクシア様の怒りが沈静化し、ほとぼりが冷めたと思われる頃受話器を元に戻したが、その後再び電話のベルが鳴ることはなかった。
めでたしめでたし。




