「甲種人型特殊転移物F」あるいは「タクミ」と琥珀の王子様
甲種人型特殊転移物F。
長ったらしいので『甲種特』と略されることが多い。
この何だか最終兵器みたいな名前が、こちら側での私の登録名になる。
いや、私には親から貰ったちゃんとした名前があるのだが、とにかく書類上ではそうなのだ。秘匿書類をやり取りする時のコードネームのようなものだ。
甲種は生物、乙種は無機物という分類で、特殊というのは、これまでの転移物とは違い、ある程度の知力を備え、意思疎通が可能だからだそうだ。
ある程度というのが『どの程度』を指すのか分からないが、このもやもやした気持ちは何だろう。
それよりも。
甲種で人型と言いつつ、最後に『物』とくるのだ。
穿った見方をすれば、特異点から出現したものは『人間ではない』と考えているとも取れるネーミングだ。
因みに、秘密兵器ばりの、お堅い漢字の最後のアルファベットは、女性を表すフィメールのFだ。
某巨人の出てくるお話のように『雌型』と分類されていたら、私は多分大暴れしていたに違いない。とはいえ巨大化できないので、せいぜいガラス窓を割り歩き、盗んだバイクで走りだす程度になるだろう事が大変口惜しい。
特異点からの出現初日に、恐ろしくも美しい魔女様に拉致された私は、『検疫』という名の洗礼を受けた。外来生物にする対処ということであれば、至極当然のことである。
全てを白日の下に晒され、悟りを開いた私はその後、ケセラセラと、ゆるく脳天気に生きてきた。
そんな私が珍しく後ろ向きな考えになっているのは、つい先日、特異点から出現した猫又もどきを、私のお目付役こと監視役の担当官殿が、何の躊躇いもなく撃ち殺したことに起因する。
私の危機を回避する為だったと分かっているが、もしこちら側の誰かと私が争うことになった場合、あのどでかい銃の銃口が、私に向けられるであろう事は想像に難くない。
何しろ私は『甲種人型特殊転移物F』なのだ。
担当官殿とは約四ヶ月の付き合いで、少しは打ち解けていると思われるので、引金を引く前に「言い残す事はあるか」とかハードボイルドな雰囲気で、弁明くらいは聞いてくれるかも知れないが、それでもやはりホールドアップさせられるのは私の方だろう。
「ということで、問答無用でいきなりぶっ放すのは勘弁してくださいね」
社員食堂で、昼食のざる蕎麦を啜りながらお願いする。行儀が悪いが誰も咎めるものはいない。
向かい側で天ぷらを摘み上げた箸が止まった。私より羽振りがいい担当官殿は、天ざるを食しているのだ。
「意味が分からない。何故俺がタクミを撃たなきゃならないんだ」
「もう! 担当官殿は顔も硬いけど頭も固いなあ。もしもの話ですよ、も・し・も、」
「俺の頭は充分すぎるほど柔軟だと思うが。顔は表情筋が死滅しているだけだ」
「ぶほっ」
危うく鼻から蕎麦を出す所だった。
担当官殿は最近、自虐ネタも披露してくれるようになっている。
「タクミに銃口を向けるなどありえん」
「え、なになに? それは私に惚れてるからとか? やだあ」
わざとらしく身をくねらせると、仏頂面の担当官殿が、ふっと口の端をあげる。
無愛想で残念イケメンの社畜担当官殿の、とてもレアな表情を目撃できて眼福だが、好物の茶菓子を食べるときにも見せる表情なので、最近では有り難みが少ない。
おまけに何だか可哀想なものを見る目で、こちらをじっと見ている。
そんな目で見ずとも、冗談に決まっているではないか。額面通り受け取るとはやはり頭が固い。
心の声が伝わってしまったのか、担当官殿が至極真面目な表情──通常使用の仏頂面──で、真っ直ぐこちらを見つめたまま、ひと言ひと言、私に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「俺は何があってもお前の安全を最優先させる」
残念イケメンの『残念』が取れた瞬間だ。
半年前の私なら、顔を真っ赤にして悶え苦しんだだろう。今でも若干心拍数が上がるのが悔しい。
夏の空のように、どこまでも澄んだ彼の青い瞳は、私のどんよりと濁った目などとは、比べものにならないほどとても美しい。
「──ようにとアレクシアに言われている」
成る程。
アレクシア──魔女様の命令か、それは逆らえないだろう。だがそんなことは百も承知だ。
特異点観測研究所、通称『魔女の館』。
刑務所か軍事施設を囲っているような、仰々しい塀に囲まれた特異点──我が家──の隣にある建物で、私の新しい職場でもある。
そこに所属するものにとっては、所長である魔女様の命令は絶対だ。
民主主義の世の中にあっても彼女の権力は絶大で、この世界にはパワハラの概念はないのか? と思ったが彼女は特別だ。果たして彼女が特別なその理由は?
それは彼女が正真正銘の魔女だからだ。
彼女の逆鱗に触れると、首が飛ぶと囁かれている。解雇ではない方向で。
しかも彼女の権力が及ぶ範囲は研究所内に限ったことではないようで、実際、研究所に視察に訪れた政府高官が、魔女様にへこへこ頭を下げるのを何度か目撃したことがある。
恐るべし我が上司。
担当官殿は、そんな絶対権力者のゴージャス美女の魔女様に、物申せる数少ない人間のひとりだ。
所員たちはこのふたりが恋人同士だと噂している。
自らの恋人で信頼できる男だからこそ、魔女様はこの人を私の担当官にしたのだろう。
今、スーツ姿で軽快な音を立てながら日本蕎麦を啜っている、仏頂面の担当官殿は二代目なのだ。
初代の担当官は、物腰柔らかな笑顔の眩しいハンサムで、琥珀の髪とエメラルドの瞳を持つ、物語の王子様のような男だった。
突然出現した意思疎通可能な『転移物』。それを観察監視し、この世界に害があるかないか見極める役目を担う『担当官』。
それまでの甲種転移物は得体の知れないものが多く、凶暴で危険なものも少なからず存在していたようだ。人の形をし意思疎通ができるからといって、安全とは限らないと考えるのも致し方ない事だろう。
小動物のような可憐な私に対し、全くもって失礼な話だが、とにかくそんな風に尻込みする所員たちの中、立候補したのが琥珀の王子様こと、太郎・キンブリー・ヤマダだった。
名前はアレだが、彼はそれはとても優しく、私を姫のように扱った。
この世界に馴染む為と称し、幾度か街に連れ出され、夕食を共にするデートのようなこともした。
男慣れしていない田舎娘は、それはもういとも簡単にのぼせ上がった。
王子様の「君の育った家が見てみたい」「君の全てが見たい」という言葉に舞い上がった私は、魔女様の来訪以後、初めて家に人を招き入れたのだ。彼が担当官になってひと月足らず、私がどれだけちょろい女だったのかが分かろうというものだ。
今までのお礼も兼ね手料理でもてなし、そしてあわよくば私自身でお・も・て・な・し、という下心満載の乙女 (笑)は、気色満面で琥珀の王子様、太郎を出迎えた。
ところが王子様は、玄関から一歩踏み入れると、私を押し除けるように家の奥へ奥へと歩みを進め、案内も無しに家探し同然にあちらこちら物色し始めた。その手にはデジタルカメラが握られていて、そこかしこでフラッシュが瞬いている。
彼は土足のままだった。
訳が分からずおろおろと、従者のように王子様の後ろをついて歩く事しかできなかった、愚か者の私。
そして王子は奥の間に入り、床の間の仏壇に手をかけようとした。そこは祖母や両親、先祖の祀られている、現世における彼らの『部屋』だ。
かっと頭に血が上り、眩暈がして吐きそうでとても気分が悪くなった。
「もうやめてよっ! そもそも畳は土禁なんだから! 出てけよ馬鹿っ!」
私が半泣きで叫ぶと、王子は琥珀の軌跡を残し、その場からふいと掻き消えた。それが夢幻でない証拠に、家中にはベタベタと彼の足跡が残されている。
その事で今度はすうっと血の気が引いた。
この世界に来たばかりで、人ひとりどうにかしてしまうのは流石に拙い。
誘拐? 殺人? 遺棄? とにかく犯罪だ。何の罪に問われるかわからないが、逮捕され裁判にかけられる。弁護士費用はどうしよう。
そもそも特異点から現れた『甲種特』に人権はあるのか? 司法制度が適用されるのか?
パニックになった私は、べえべえ泣きながら魔女様のところへ行き、ことの次第を説明した。
話が進むにつれ、魔女様からいつもの微笑が消えていき、ひんやりとした冷気が漂い始め、所長室全体に霜柱のような物が立ち始めた。
魔女様の怒りを肌で感じながら、やはりとんでもないことをしでかしてしまったのだと、私は過呼吸になるほど泣いてしまったのだ。
私の怒りかこの家の怒りか、はたまたご先祖様の祟りか、琥珀の王子様が発見されたのは地球の裏側だった。
幸いにも五体満足で回収されたということで安堵したが、帰国した彼は研究所で私と対面した途端、化け物に遭遇したかのようにもの凄い悲鳴をあげた。
悲鳴をあげられた事がショックで、私はまたべえべえ泣いた。
後で分かった事だが、太郎・キンブリー・ヤマダはこの家が特異点から出現したその日、真っ先に侵入を試みた男だった。門前払いを食らったあの時の雪辱を晴らし、『成果』を持参して、それを昇進の足掛かりにするつもりだったそうな。
この件については、人選ミスだったと魔女様から謝罪を受けた。
「あの言語道断の痴れ者は首を切ってやった。今後顔を見る事もなかろう、安心すると良い」
太郎は『甲種特』に精神的危害を加えたとして解雇されたらしい。多分。
精神的危害。
端的に言えば私はハニトラ、色仕掛けに引っ掛かったのである。黒歴史だ。大変居た堪れない。
魔女様といえば、ちゃっかり太郎の写真を手に入れ、それは乙種転移物の資料ファイルに収められた。
黒歴史を思い出し、自然と眉間に皺が寄る。
「どうしたタクミ。腹でも痛いのか?」
「いえ。私も担当官殿と同じ天ざるにすればよかったなと」
タクミ。
男名のようであまり好きではない名前。
でも。
君。可愛い人。お嬢さん。
琥珀の王子様・太郎はとても優しかったが、一度も私の名前を呼ばなかった。今思えば、名前を知っていたかどうかも怪しい。
彼にとって私は『タクミ』という『人間』ではなく、特異点から現れた『甲種特』という『物』でしかなかったのだ。
「仕方がない。ほら、食えタクミ」
「……どうせならそっちの海老天くださいよ」
「断る」
私は担当官殿が寄越した南瓜の天ぷらに齧り付いた。
視線を感じて上目遣いに様子を探ると、担当官殿が青い目をゆるりと細め、口の端を上げているのが見てとれた。どうやら死滅したはずの表情筋が仕事をしているらしい。
そんなに優しい顔をして見ないで欲しい。
南瓜の甘味を感じながら、目の前の担当官殿は『甲種人型特殊転移物Fの担当官』であって、決してそれ以外の何者でもないと、私は改めて自分に言い聞かせた。