嵐のクリスマス
夢を見た。
会社の同僚や学生時代の友人たち、祖母や両親などといった親しい人が総出演するなんとも賑やかな夢だった。入れ替わり立ち替わり現れる彼らは、皆笑顔で「おめでとう」と言い、お茶目な祖母に至っては、白いポンポンのついた赤い三角帽子を頭に被り、いかにも『自分で包装しました』的なプレゼントを抱えている。
祖母の隣には、何故か笑顔のローガンがいて、祖母から受け取った包みを私に差し出してくるのだ。空になった祖母の手の上に、ローソクの乗ったケーキの皿が現れた。
年に一度の特別なクリスマス、ゆらゆらゆれるローソクの明かりに照らされた祖母はとても幸せそうだった。
──私も幸せだった。
「痛い」
寒いと痛さも倍増する。
布団を鼻まで被って寝ていた私は、額を高速で叩かれ目を覚ました。
「……アルおはよ」
と言いつつ、夢の続きが見たくて、ごろりと寝返りを打って枕に顔を埋める。
──あと五分。あと五分だけ。
「ギャ!」
今度は後頭部をしこたま叩かれた。スナップを効かせた鞭のようなアルウラネの根の一撃はかなり強烈だ。
今年のクリスマスの朝は、あまり幸せな目覚めとは言い難い。
「今日はお休みなんだよー。もー」
渋々起きると、掛け布団の上によじ登ったアルが、葉を揺らしながらぴょんぴょん跳ねだした。寝ぼけ眼でよく見れば、アルは飛び跳ねながら縁側に面した障子の向こうを指している。
「ギャギャギャ!」
「……わー。やな予感」
カーディガンを羽織り、恐る恐る障子を開けると、サッシの曇ったガラスの向こうが白くなっている。
雪だ。
「なんだ、驚かさないでよ。また何か『出た』んじゃ無いかと思ったよ」
サッシの鍵を開けろと、ガラスをペシペシ叩いているアルを奥の間に放置し、私は居間にいきエアコンとこたつのスイッチを入れる。
台所のガス台にやかんをかけ、お湯が沸くのをぼんやり待ちながら、昨日のことを思い返していた。
昨日の魔女の館は、朝から少し浮き足立っているようだった。
昼時の社員食堂では、今夜は恋人と友達と家族と過ごすという楽しげな会話が飛び交っていた。私はクリスマスイブについては、クリスマスほどの思い入れはないので特に話題にもしなかったし、ローガンの口から語られる事もなかった。
午後からもいつもと同じく資料室で仕事をし、仕事を終えると「お先に失礼します」「お疲れ」と、いつもと変わらない挨拶を交わし、いつも通りそのまま我が家へ帰った。
ローガンとは我が家で同じ鍋を突ついたが、あの突発的な鍋パーティーはアレクシア様の気紛れの産物で、私たちはそもそもクリスマスだからと家に招いたり、食事に行ったり、プレゼントを贈りあったりということをするような親密な間柄ではないのだ。
そういう訳で、巷で一番盛り上がるであろうクリスマス・イブの昨日、特別なチキンもクリスマスケーキも何も無い、ごく普通の一日を過ごしたのだ。
そこまでの思い入れがないと言いつつ見た、今朝方のあの夢。
祖母ばかりでなくローガンまで登場し、しかも彼から笑顔でプレゼントを渡されるなんて、願望とは何と恐ろしい。
「……今日が休みでよかった」
顔を赤くしながらこたつでインスタントコーヒーを飲んでいると、居間に入ってきたアルがまだ何か言い募っている。
「ギャギャギャギャ!」
「なあに? そんなに雪が気になるの?」
「ギャ!」
「もー仕方がないなあ」
コーヒーカップを持ったまま、アルがさっきまでいた奥の間ではなく、廊下を挟んで居間の正面にある客間へ行きサッシを開けた途端、彼女は私の足元をすり抜け縁側からそのまま庭へ飛び出した。
ぽすんと音がしたので縁側の上から覗いてみれば、アルの体は雪の中にすっぽり嵌っている。少しすると、彼女は雪の上で鮮やかな緑をゆらゆら揺らし始めた。
「♪♪〜♪〜♪」
雪の中からくぐもった歌声が聞こえる。
ごきげんそうで何よりだが、冷たくないのだろうか。それに心なしかアルの歌や葉の揺れに合わせて、彼女の周囲の雪が粉雪のように舞っているようにも見える。
揺れる葉の風圧のせいなのかな?
コーヒーを飲みながら縁側でアルの歌声を聴いていたが、そろそろ着替えようと部屋の中に引っ込んだ。
奥の間の布団を片付け着替えをし、再び暖かい居間に戻ったところで携帯電話が鳴った。
画面に表示された名前を確認し明け方の夢を思い出しどきりとするが、そもそもこの電話は彼との会話以外には使用する事のない専用電話のようなものだ。
とはいえ、今まで個人的なことで電話を貰った事は一度もないではないか。落ち着け自分。
「お、おはようございますローガンさん」
『大丈夫か?』
開口一番、挨拶をすっ飛ばしたローガンに確認された。
「え? はい大丈夫です。特に何もないですよ? そちらで何か異常が検知されたんですか?」
『ああ。早朝に異常があったようなんだが、磁場の揺らぎが小さすぎて、深夜担当の観測員が見逃していたらしい。今し方交代した観測員が、申し送りの際にデータの異常を発見して、俺に連絡を寄越してきた』
「そうなんですか。雪は積もってますけど、本当に何も現れてませんよ?」
『雪? 今現在研究所の周囲に雪はない』
「えっ?」
『タクミ、念の為、庭には出るな』
「はい、わかりまし……あっ!」
『どうした』
「アルが庭に出ちゃってます!」
電話を持ったまま縁側に飛び出すと視界が真っ白になった。
「え、うそっ! どうしようローガンさん! 庭が物凄く吹雪いてますっ!」
縁側から向こうは強風がビュウビュウ音を立て、舞い上がった雪で庭が霞んでいる。家守効果で縁側から内側に雪が吹き込んでくることはないが、縁側のすぐ先の雪の中に飛び込んで、ごきげんで歌っていた筈のアルの姿が見えない。
「アルー!」
呼んだが返事はない。
このまま吹雪の中に放置すれば、人間ならいざ知らず、植物のアルは凍ってしまうかも知れない。
「ローガンさん、アルを探してきます!」
『タクミ?!』
私は電話を客間に放り出した。
そのまま玄関へ向かい、下駄箱から庭仕事用の無骨な黒い長靴を引っ掴んで縁側に取って返し、その場で足を突っ込んで庭に飛び降りた。
放り出した電話からローガンの声が聞こえたが、吹雪の音で何を言っているかまでは分からなかった。
吹雪いているとはいえ、我が家の庭の面積が広くなるわけではないので、強風でどこかに飛ばされでもしていない限り、アルが叫んでくれれば居場所が知れる。
「アルー! 返事してっ! アルーっ!!」
叫びながら何かがおかしいと気がついた。
強風で巻き上がった雪が、さっきから顔にビシビシ当たっているのだが少しも冷たくないのだ。
「雪、じゃない?」
虫とかだったら嫌だなあ、とこれまでの経験則から鳥肌を立てつつそっと顔を触ってみたが、それらしきものは何も掴めない。
とその時、長靴が何か硬い枝のようなものを踏みつけた。
そうっと足をどかし、雪を掻き分け緑の葉が現れた事にほっとした私は、そのままアルを掴んで雪の中からずるりと引き抜いた。
「ギャアアアアアアアア!! ァキャ?」
「……アルさんや。『抜かれると叫ぶ』のは、アルウラネの条件反射か何かなの? 兎に角無事でよかった」
「キャア」
腕の中にアルを抱え『アルウラネの絶叫』のせいでズキズキする頭を押さえながら縁側へ引き返していると、家の横からローガンが庭に入って来る姿が見えた。
その時、理由はわからないが吹雪がぴたりと止んだ。
突然クリアになった視界の中のローガンはいつものスーツ姿だ。20センチ程積もった雪を物ともせずに、無表情のままこちらへざかざか一直線に進んでくる──のだが、何故か彼が歩みを進める度に、モーセが海を割ったかのように雪が彼の左右に分かれていく。
やっぱりこの雪は何か変だけど、こっちに向かって来るローガン、なんだか怒ってる?
ローガンは雪が普通ではない事に気がついているにも関わらず、そのことには全く注意を払わずいきなり私の肩を掴んだ。
「俺の指示が聞こえなかったのか?」
彼の表情はいつもと変わらないし声を荒らげている訳でもないが、威圧が漏れているので大変恐ろしい。
「外へ出るな、と言ったぞ」
「ひゃい!」
思わず視線が泳いで自分の足元を見れば、私とローガンの周囲から、ザザッと音がする勢いで雪が遠ざかって行った。やはり気のせいではなくこの雪は『生きて』いて、ローガンの威圧に反応しているのだ。
私も逃げ出したい。
ローガンは遠ざかる雪にちらりと視線を投げかけた後、再び口を開いた。
「反応を見る限りこれは甲種転移物、雪のように見えるが『生き物』だ。タクミ、調査員たちが何故、常に防護服着用なのかは分かるな? 無害に見える転移物の中にも危険なものが存在するからだ」
夢の中ではあんなに優しそうな笑顔でプレゼントを渡してくれたのに、今は怖くてまともに顔も見れない。
「特にタクミ、お前は転移物への対処の方法を知らないし、対処する術も持たない素人だ。俺の指示には従ってくれ」
「ご、ごめんなさい」
掴まれた肩は痛いし威圧は怖いし、今年のクリスマスは最低だ。
縁側に膝を抱えて座り、防護服を着た調査員たちが計器を片手に動き回っている庭を眺める。
アルは私の背中に張り付き、ローガンは縁側近くの庭に立って、私と同じく調査員たちの様子を見ていた。
庭に積もっていた白い雪のような『何か』は、時間が経つにつれ少しずつ消えていく。残った雪に調査員が刺激を与えると、時々竜巻のように巻き上がるが、ただそれだけで、雪自体が反撃に転じたりすることはなかった。
回収する端から消えていく雪のような何かに、調査員たちも困惑しているようだ。
いつもなら、回収される転移物を眺めながらローガンに質問を投げかけ、ああでもないこうでもないと他愛のない会話をするのだがどうしよう。どうすればいいのだろう。
ローガンの威圧は既に引っ込んでいるが、彼がまだ怒っているのかもしれないと思うと話しかけられない。
怖い。
「『あれ』は俺も初めて見る転移物だ」
私が迷っているうちに、視線を『雪』に向けたままのローガンが先に話し始めた。
「……そう、なんですか?」
「偉そうに言ったが俺も『あれ』の対処方法を知らないな。それに無茶はしたが、タクミはちゃんとアルを助け出した。すまない、きつく言い過ぎたな」
注意されたことにいじけて下を向いている子供みたいな私と違って、彼はずっと大人だ。考えなしな行動を取った私を諌めたローガンが謝罪する必要はないのだ。
それなのに。
「……アルを見つけたのは偶然で、あれはただ運が良かっただけです。ローガンさんこそ初めてって言う割にはちゃんと対処できてましたよ? ローガンさんの威圧であのヘンテコな雪が、蜘蛛の子を散らすように逃げちゃってたじゃないですか?」
「あれは俺も意図してやった訳じゃないんだが。それより、そんなに怖いか?」
「怖いですよー。もー泣いちゃうとこでした」
冗談めかした口調で話しているがこれは本当だ。実際半泣きだったのだ。
「……そうか。せっかくの誕生日なのに怖い思いをさせてすまなかったな」
「え?」
「今日はタクミの誕生日だろう?」
「……はい」
甲種特の資料には、出現の日時だけでなく生年月日もきちんと記載されている。甲種特の専任担当官であるローガンが知っているのは当然だ。
「でも最近ゴタゴタしててすっかり忘れてましたよ」
──嘘つけ。
クリスマスは年に一度の特別な私の『誕生日』だ。困ったことに夢にまで見るほど幸せで、特別だった誕生日。
そう、あくまでも『だった』という過去形だ。もうあんな幸せなクリスマスを過ごすことはないだろう。
実際今日もこの有様だし。
「それにもう誕生日で大喜びする歳でもないですしねー」
溜息を飲み込んで何でもない風を装っていると、不意にローガンが私に笑顔を向けた。
「立場上何もしてやれないが、誕生日おめでとうタクミ」
「!」
目の前のローガンの笑顔が夢の中の彼の笑顔と重なった。
我ながら現金なもので、ローガンからの『形のないプレゼント』が、先程までの憂鬱をあっさり吹き飛ばしてしまった。相変わらずなんてちょろいんだろう私。
でもまあ、それでもいいか。
「あ、ありがとうございます」
これまでの誕生日と同じくらい幸せな気持ちになれたんだから。




