危険なサウリ・クルス
新たに発生した特異点に『ゲート』を設置する為、フィンランドへ行っていた修復師アーチボルドが帰国した。
しかも『客人』を連れて。
普通であればまず所長室に向かい、上司であるアレクシア様に『帰国』の報告をするのが、社会人として会社員としては当たり前のことなのだが、何故かアーチボルドはいつも一番最初に私のところへ突撃してくる。
今回もその例に漏れずいきなり資料室に訪れ、帰国の挨拶もそこそこに、連れていた『客人』をいきなり私に紹介したのだが。
……連れて、というのは正確ではないかもしれない。
何せ老人の腰には『縄』が巻かれ、その先を握ったアーチボルドが、彼を罪人のように引っ立てていたのだ。
「ほらタクミ、会いたかったんだろ? こいつがサンタクロースことサウリ・クルスだ」
「アーチー! この悪童め! いいかげんこの縄を解かんか!」
「うるせえなジジイ、わかったよ」
サンタクロースことサウリ・クルス、とアーチボルドが私に紹介した老人は、例の赤い服ではなく、床まで届く毛皮のロングコートを纏っている。
確かに顔貌は、映画や物語の挿絵で見るサンタクロースそのままだが、子供たちにプレゼントを配る時の、慈愛に満ちた柔和な笑顔はなく、豊かな白髭に覆われた顔を真っ赤にして、怒り心頭の様子だ。
老人は縄を解かれた後もぶつくさ文句を言っているが、アーチボルドは「へいへい」と軽く流している。そんな二人の様子を見ていたローガンが、呆れたような声を出した。
「アーチボルド、フィンランドから『ヨウルプッキ』を連れて来たのか?」
アーチボルドからはサウリ・クルスと紹介を受けたが、新たにローガンの口から出た、聞き慣れない言葉に疑問が湧く。
「ローガンさん、ようるぷっきってなんですか? この方はサンタクロースさんじゃないんですか?」
「サンタクロースで間違いじゃない。本来は『サウリ・クルス』だが、一般に浸透していくうちにその呼び名が変化したんだ」
「……サウリクルス、サウリクルース、サンタクロース……サとクとスしか合ってません。下手なダジャレですか」
「まあそんなところだ」
ローガンが薄く笑う。釣られて私も「えへへ」と笑った。
視界の端で、アーチボルドが怪訝な顔しているのが見えたが、この際そんなことはどうでもよろしい。
私はローガンのレアな笑顔を堪能するのに忙しいのだ。
「……タクミ」
「はいなんでしょう!」
「………。そのサウリ・クルスはフィンランドに棲む、ヨウルプッキという妖精の長だ」
「えっ! よ、妖精?! しかもなんだか偉い人っ!?」
魔女、霊媒師に続いて、遂に妖精が現れた。
目の前のサウリ・クルスという『ヨウルプッキ』は、私の抱く妖精のイメージとは、随分かけ離れている。しかし伝説のサンタクロースが『実は妖精の一種』だと言われれば、納得できないこともない、ような気もする。
それよりも、トナカイのソリではなく、普通に飛行機に乗って日本に来たんだろうなとか、飛行機に『妖精料金』とかあるのだろうかとか、余計な事が気になって仕方がない。
「なんじゃい。そこの娘はわしを知らんのか。悪ガキアーチーの仲間ではないのか」
「悪ガキいうなジジイ。タクミはウィッチじゃねえよ。サンタクロースに用があるみてえだから連れて来たんだ」
「わしに用?」
妖精ヨウルプッキの長、サウリ・クルスが怪訝な表情で私を窺っている。
確かにアーチボルドがフィンランドに発つ前に、『サンタによろしく』とは言ったが、『用があるから連れてこい』などとは一言も言っていない。
しかもサウリ・クルスは私が想像していたサンタクロースではなく、ヨウルプッキという妖精なのだ。当然用など何もない。
アーチボルドがニヤついているので、これは大掛かりな悪戯に違いない。その為にわざわざ妖精を捕らえて連れて来るなど、全く傍迷惑な男である。
「あ、いえその。私の世界のサンタさんは、クリスマスイブに子供たちにプレゼントを配って歩く、聖人だという伝説があるので、本物が存在するなら見てみたかったというか」
さすがに『用がない』とは言えずそう答えると、サウル・クルスは白髭を撫でながら、至極真面目な顔で下卑たことを言った。
「プレゼントを配る? タダでか?」
「聖人なので」
「ふん。物好きな奴もいたもんだのう」
「サンタ……サウリ・クルスさんは、そういうのとは違うんですよね?」
「わしらヨウルプッキは、家々を訪問して食い物や飲み物を『貰う側』だ。まあわしは気が向けば、その家で持て余している悪童や怠け者を成敗してやったりもするがな」
「……成敗?」
この世界のサンタクロースは何やら物騒だ。
「おおそうだ娘。折角日本まで出張ってきたのだ、特別に『タダで』誰か成敗してやってもいいぞ」
サウリ・クルスの『成敗してやる』の言葉に、迷うことなく赤毛の中年男の顔が浮かんだ。
その名前は、面白がって妙な噂を垂れ流す、トマシュ医師とかトマシュ医師とかトマシュ医師とか。次点は目の前の『悪童』アーチボルドだ。
ううむと本気で悩んでいると、頭上からローガンの声が降ってきた。
「止めておけ。妖精の『成敗』は、タクミの思っているものとはかなり違うぞ」
「何言ってんだローガン。ジジイにちょっと蹴られるだけじゃねえか」
「ヨウルプッキの、それも長のサウリ・クルスの蹴りは、『ちょっと蹴られるだけ』とは言えないぞ」
「お年寄りなのにそんなに凄いんですか? 若い頃格闘技か何かやってたとか?」
「格闘技ってなんだよ。ジジイは『ヨウルプッキ』だ、ってさっきから言ってるだろうが。人間じゃねえの、ほれ」
「こらっ何をするか!」
アーチボルドはサウリ・クルスのロングコートの裾を持ち上げた。
その中から現れたのは、毛皮のコートに負けないくらいの毛並みを持つ、動物の脚だった。
山羊のような蹄があるが、山羊の脚にしては異様に太く、おまけに黒い剛毛に覆われていて、なんというか、とても禍々しい雰囲気が漂っている。
いくら異世界とはいえ、この脚の持ち主を『聖ニコラウス』とは呼ぶことはさすがに憚られる。
「なんだよタクミ、あんまり驚かねえのな。つまんねえ」
「『つまんねえ』って何? 十分驚いてますよ。てか、ヨウルプッキってホントに妖精ですか? 悪魔の使徒とか悪魔本人とかじゃないですよね?ローガンさん」
「妖精だ、間違いない」
「だからなんでローガンに確かめるんだよっ」
「だって連れてきたのアーチーさんだし」
「悪童は信用がないのう」
「うるせえぞジジイ!」
「人面ヤスデみたいに、顔だけ人間とかでもなく?」
「おいこら! わしを蟲と一緒にするなっ! 多少毛深いが体もちゃんと人の形だわい!」
サウリ・クルスは鼻息も荒くそう怒鳴ると、いきなり毛皮のコートの前をがばっと開いた。
「っぎゃーーーっ!!」
サウリ・クルスは確かに人型だったが、コート以外、他には何も身につけていなかった。
父や祖父、近所のおじいさんの裸を見たことがあるので、特段男性の裸がどうのということはないが、そういう問題ではない。サウル・クルスは白髪や白髭なのに、何故か体に生えている毛は黒く、本人の申告通り毛深い体には胸毛がもっさりで、それが視線を誘うようにヘソから下半身に続き………。
とにかく全部まるっと目撃したのだ。
「うう。そりゃあその下半身でパンツは履けないでしょうけど、ワンピースみたいな男性用のパジャマとかガウンとかあるじゃないですか。なんで全裸なんですか、妖精なのに変態なんですか?」
「そんな事をヨウルプッキに言われてものう」
「酷いですぅ。クリスマス目前なのにセクハラなこの仕打ち、もうアーチーさんとは口ききません!」
「なんでだよ! 見せたのはジジイだろ?!」
「頼んでもいないのに、サンタクロースを連れて来たのはアーチーさんですぅ」
「その通りだな」
資料室のドアの方から聞こえた声に、アーチボルドが飛び上がった。彼の背中越しに、魔女の館の主が笑顔で立っているのが見える。
ドアはきちんと閉められていた筈で、アレクシア様から声をかけられるまで、ドアが開く音に少しも気が付かなかったのだ。いくら魔女とはいえ、彼女も大概神出鬼没だと思う。
アレクシア様は、例の素晴らしい笑顔でアーチボルドに問いかけた。
「お前はどうしていつもいつも、私を飛ばしてタクミのところに来るのだ? ん?」
問われたアーチボルドが引き攣っているところを見ると、サウリ・クルスに頼まずともアレクシア様に成敗されるのは確定だ。
「おおアレクシア、久しいな! そうか日本にいるんだったな。ウィッチの長は元気か?」
私に対する変態行為で、再び『お縄』になっているサウリ・クルスが、アレクシア様に声をかけた。親しげに話しかけられた彼女は、アーチボルドに向けたのとはまた別の笑顔を見せている。
「総帥はおかげさまで息災のようだ。それよりそこの修復師に拉致され、無理矢理国外に連れ出されたそうだな。この度は私の仲間が失礼したな。だがヨウルプッキの長よ、裸にコートは犯罪ではないが、それを公共の場で開陳するのは犯罪だぞ」
「うむ、それはすまんかった」
「理解してくれれば良い。さあサウリ・クルス、今からこいつが責任を持ってフィンランドに送り届ける。行くぞアーチボルド、報告は後日聞く」
「……俺、さっき帰ってきたばっかりなんだけど」
「ほう? 私は別に構わんぞ? 但し言っておくが、今回の件は既にラファウの耳に入っているぞ」
「げっ『総帥』に? マジかよ?!」
「奴は電話口で珍しく苛ついていたな。命が惜しければ、さっさと行動することだアーチボルド」
「!!」
アーチボルドは軽口も叩かず、珍しく口を引き結んだ。
音もなく現れたアレクシア様は、すっかりおとなしくなったアーチボルドを引き連れ、サウリ・クルスと共に嵐のように去っていった。
妖精ヨウルプッキの体力がどれほどのものか知らないが、決して遠くないフィンランドへのとんぼ帰りは、さぞ大変なのではないかと思う。私のせいでは無いが、私が原因であると思うと、少し可哀想な気もする。
だが、妖精のコートの中身を見せつけられた事でチャラだ。寧ろ私の方がダメージが大きいのではないかとさえ思う。
サウリ・クルスがアーチボルドを『悪童』と呼んでいたが、彼は童という年齢はとっくに過ぎている筈なので、ちょっかいを出される身としては、もう少し落ち着いてくれるとありがたい。
このお話に登場するサウリ・クルス、ヨウルプッキは、実在するフィンランドの伝承とはなんの関係もありません。




