アル、雨の日の反撃
ある朝、突然呼び出しを食らった。
アレクシア様がいる所長室には結構な頻度で呼ばれるが、問題は呼ばれた先にある。研究棟にある研究室に呼ばれたのだ。
勿論、『検疫』の為にアレクシア様に連行された事はあるが、研究所に直接呼ばれたのは初めてだった。
研究棟には『隔離フロア』があり、そこには出現した転移物を隔離・保管・飼育する部屋以外にも、スプラッタな光景が広がる解剖室や標本室がある、転移物にとってはとても嫌な場所だ。
私が呼ばれたのは、魔女の館にあるお役所然とした部屋と変わらない、研究員の部屋のひとつだったが、私が忌避し恐れる場所にあるのは違いない。
ローガンと共に訪れた『第三研究室』のドアを叩き、おっかなびっくり入室する。
そこにいた銀縁眼鏡の男が、いきなりその手に持っていたものをこちらへ投げつけた。彼が投げたそれは私の顔面に見事にヒットし、その後ぱさりと床に落ちた。
「貴様これは何だ! ふざけているのかっ!」
「ふざけているのはそちらの方だ。人を呼びつけておいていきなり何だ」
呆然と立ち尽くす私に代わって、ローガンが床に落ちた『ノート』を拾い上げ静かに抗議した。
「私は『観察記録』を寄越せと言ったんだ! 何だその小学生の夏休みの宿題のようなものはっ!」
第三研究室所属の研究員、信長・オダ氏はローガンを無視し、顔を真っ赤にして、私が提出した『観察日記』の出来に苦情を述べた。
銀縁眼鏡の奥の碧眼で、私を睨みつけている『オダさん』は、あの有名な戦国武将とは全く関係ない。
過去に「有名人と同じ名前ですね」と彼に向かって発言し、その場でオダさんにもの凄くキレられ、まだこちらの日本に来たばかりだった私は、成人男性のあまりの剣幕に恐ろしくて泣いてしまったのだ。
それ以来、苦手だった研究棟がさらに苦手になり、その後はアレクシア様からの指令が無い限り、足を向けることはなかった。
因みにオダさんにキレられた時の担当官は、『琥珀の王子様』こと太郎・キンブリー・ヤマダで、守護神ローガンではなかった。
オダさんがキレた理由はごく個人的なものだ。
オダというのは割とよくある姓だが、何思ったのか、彼の両親が『有名人の名前』を彼につけた。しかも彼が小学生の間、彼の持ち物全てに『織田信長』と名入れをしたのだそうだ。
両親による虐待でないことを祈るが、そのせいでいろいろあったらしい彼は、自分の名前が好きではないらしく、暗い少年時代を送った後やがて気難しく扱い難い大人となり、最終的にこの魔女の館にやってきたのだった。
──とアレクシア様が、オダさんにキレられベソをかく私に、笑いながら教えてくれたのだ。
で、そのオダさんが私を呼びつけ激昂している原因が、この『アルウラネ観察日記』だった。
我が家の庭の除草作業中に、発見され捕獲された不思議植物アルウラネは、今現在私の所有物になっている。
アルウラネは基本、我が家の敷地内から外へは出ないので、その存在はつい最近まで一部の人間しか知らなかった。
ところが先日、出現した転移物──ドラゴン──をローガンがその場で射殺し、その死骸の調査解体の為にやってきた調査員の中にオダさんがいて、彼はその時に私の頭に乗っかって、一緒に野次馬を決め込んでいるアルウラネを発見したのだ。
オダさんは即座にこちらに向け突進して来たが、彼はアーチボルドと違って、腕一本指先ひとつ縁側の中に入ることが出来ない。
当然その場で「見せろ寄越せ」と大騒ぎになり、即刻ローガンに庭からつまみ出されてしまった。
納得できない彼は、所長であるアレクシア様にも掛け合ったようだが相手にされず、それならば、と私にアルウラネを観察・記録することを頼ん……命令したのだ。
オダさんには『甲種特』に命令する権限はないが、「まあそれくらいなら」と軽い気持ちで引き受けたのが、先程私の顔面にクリーンヒットした『観察日記』である。
「『朝起こしに来るようになった』とか『その時顔を叩かれ微妙に痛い』とか『花瓶から出損なって玄関を水浸しにした』とか『あまりに人懐こいので名前をつけた』とか『歌いながら縁側で踊る様子が可愛い』とか『雨が好きで庭に出て家に入れなくなってしょげてた』とかそんなことは心底どーでもいいんだっ!」
一歩一歩私に近寄りながら、息継ぎなしで一気に捲し立てるオダさんに、私の横に立つローガンがすっと大きな手を翳し「それ以上近寄るな」と牽制している。さすが守護神、私が泣かされても知らん顔していた太郎とは大違いだ。
「だって、他に何書いたらいいんですか? 成長記録っていっても、あれから『アル』は大きくなったりしないですよ?」
「そこに『歌を歌っている』と書いてあるじゃないか! 私が知りたいのはその『呪歌』の内容だっ!」
「じゅか?」
「そうだっ! アルウラネは呪文を旋律に乗せ歌う。稀に呪歌を歌いながら地面に円を描き、そこに妖精の輪を発生させるんだ。私はそれを解明し論文を仕上げたいんだ! 隠し立てするな!」
「不思議植物の言葉なんか分かりませんっ! そういうのは、いろんな声が聞こえる霊媒師の分野でしょう?!」
「ミディアムの連中は嫌いだ。貴様は『甲種特』だろう! 異界の力で何とかしろっ! でなければ大人しくアルウラネを寄越せ!」
「無茶振りキター! オダさんにもアルの言葉は分かんないんでしょ? 手元に置いてどうするつもりなんですかっ」
「馬鹿か。薬草の使い道といえばひとつだろうが。呪歌の解明が出来ないなら、生のまま磨り潰して『魔女の霊薬』の材料にするに決まっている!」
「んな?! アルはうちの子です! オダさんの鬼畜! 人でなしっ!」
「何だと!? この、」
「オダ研究員、そこまでだ」
一歩前に出たローガンが、オダさんの前に立ち彼を上から見下ろした。
「タクミにアルウラネの言葉は解明できない。それに『寄越せ』というが、彼女がNOと言っている限り話はこれで終わりだ」
ローガンはそう言うと、未だ鼻息荒い私の背をそっと押し「帰るぞタクミ」と出口へと促した。
第三研究所を出るとき、背後でオダさんが小さく何かを呟いているのが聞こえた。
威圧を発動したローガンに言われ、オダさんはアルを諦めたのか、その日、社員食堂で再び顔を合わせても、何も言ってこなかった。
もし何か言ってきても私が「NO」と拒否している限り、彼にはどうにも出来ない。
私に招かれない限り家に入れないのは勿論の事だが、もし私が家の中に招き入れたとしても、『私の所有物』は何ひとつ勝手に家の外に持ち出す事は出来ない。持ち出したのがバレれば厳罰に処されるからだ。
我が家及び我が家にあるものは、私個人の持ち物だ。
だが同時に、立入禁止区域にある国有地に存在する『国の財産』でもあるからだ。
何週間か振りに雨が降った。
超近距離通勤だが、足元の濡れる雨の日は少しだけ憂鬱だ。そんな私を尻目にアルは朝からソワソワしている。
人間のような行動を取るが、彼女は植物なので雨が大好きなのだ。
「庭に出るのは構わないけど、前にも話したよね? 私が帰らないと、家の中には入れないよ?」
「ギャ?」
我が家に憑いている『家守』は、去るものは追わないが来るものは拒むのだ。
私は再度アルに同じ事を伝え、魔女の館に出勤した。
その日は雨のせいか、何だかとても落ち着かない。
私の様子がおかしい事に気付いたローガンに「どうした?」と問われたが、自分でも理由が分からないので答えられない。
この不安感は俗に言う『虫の知らせ』的なものだと思うが、私に知らせを寄越すような親類縁者は、この世界には存在しない。ローガンにどう説明していいのか分からない。
「トイレっ! ちょっとトイレに行ってきますっ!」
心がざわついて居ても立っても居られなくなり、私は資料室を飛び出した。
私を呼ぶのはおそらく『家守』。あるいは『門』。
エレベーターが待ちきれず階段を駆け上がり、一階に着くと廊下を走りそのまま玄関ホールから外に飛び出した──ところでローガンに腕を掴まれ引き戻された。
「この雨の中どこへ行く気だ」
咄嗟にトイレに行くと言ったが、やはり様子がおかしいと後を追ってきたようだが、それどころではない。
腕。掴まれたままじゃ動けない。早く、早く行かないと。
「離してローガン! 家! 家に行くの! なんか変なのすっごくざわざわするの!」
「……分かった俺も行く」
ローガンに解放されると、私は後ろも見ずに雨の中へ飛び出した。ローガンも私同様、傘も刺さずに表へ出て走り出した。
あっという間に体格のいいローガンに追い越され、彼がどんどん先にいく。私はその背中を見ながら全速力で駆けた。
ゼエゼエ息を切らし、やっと我が家の玄関が見えたところで、聞き覚えのある悲鳴が上がった。
「ギャアアアアアアアアアアア!!!!」
アルだ。
彼女が凄まじい声で絶叫しているのだ。アーチボルドの時の比ではない、離れているのに頭が割れそうになり、目の前がチカチカして吐き気までする。
私は玄関を開けるのももどかしく、家の横を通って庭に出た。
所々水溜りのできた地面の上、白衣の男が倒れている光景が目に飛び込んできた。
その身体の傍には、見覚えのある銀縁眼鏡と、G捕獲に使用してた虫取り網のような捕獲道具、他にもそれらしき機械が転がっている。
この男、私が仕事で留守の間、雨好きのアルが庭に出ているのを見越して、実力行使に出たのだ。
が、アルの姿が見えない。
「アル! どこ?!」
横たわっている研究員オダの白衣の裾が動いて、小松菜のような葉っぱがぴょこりと姿を現した。
「キャア」
泥だらけになったアルがスタタタタと私に駆け寄って来た。しゃがんで掬い上げ「よくやった」と褒めてやる。
ピクリとも動かない『オダ』が、どうなっているかなど興味はない。当然だ。彼はアルを無理やり連れ去ろうとした『誘拐犯』なのだから。
オダの側にしゃがんで生死確認をしていたローガンは「息はあるようだ」と雨の中、彼をごろりと仰向けにした。
仰向けにされたオダは白目を剥いていて、顔半分は鼻血で血まみれ、嘔吐の跡もある。耳からも出血しているし、悪夢にでも出てきそうな凄まじいご面相になっていた。
「酷い有様だが、アルウラネの悲鳴をまともに食らえば、まあこうなる。仮にもアルウラネで論文を書こうかという人物が、何故予想できなかったのか分からないな」
「日記に雨の日のアルの行動を書いてたから、『今日なら家に逃げ込まれなくてチャンス!』とか思っちゃったんじゃないですかぁ? 『織田信長』のくせに短絡的ぃ」
私がオダをフルネームで呼びこき下ろしていると、何処かへ電話をかけながら、珍しくローガンが苦笑した。
ローガンが電話を終えた後、十分ほどで警備部所属の黒服の男たちが現れ、オダを抱え上げた。アルの反撃にあって満身創痍のオダだが、彼はこれからさらに厳罰に処されるのだろう。
どんな罰かは知らないが、いつの間にか庭に来ていたアレクシア様が、それはもう塵屑を見るような目で、オダを眺めている時点で『お察し』である。彼も太郎のように (物理的に)首を切られるかも知れない。
『魔女』はそれくらい恐ろしい存在なのだ。
だが今回は少しも可哀想とは思わない。下手をすればアルは、生きたままゴリゴリ磨り潰されていたかもしれないのだ。
「びしょ濡れだなタクミ。今日はもう上がって良いぞ。風邪をひくなよ」
「鞄は後で俺が届けてやる。着替えて身体を温めろよタクミ。じゃあなアル」
「はあい。ありがとうございます」
「キャア」
過保護がいつもの倍である。
庭から去って行くふたりを見送りながら、私はありがたく半休をいただく事にした。




