タクミとオトモダチ
私の交友関係はとても狭い。
どれくらい狭いかというと、挨拶以外の言葉を交わす相手が、ローガンとアレクシア様、社員食堂のおばさんしかいないという狭さだ。
だが果たして彼らを『友』と呼んでいいのだろうか。
そもそもローガンは『甲種特』を監視する担当官で、アレクシア様に至ってはここの責任者で、私の上司で庇護者で魔女である。
唯一、喧嘩友達と呼べそうな微妙なラインのアーチボルドは今、北欧のフィンランドにいる。
早い話、狭いどころか友達と呼べる者はいないのだ。
私は別に孤高を気取りたい訳ではないので、気軽に恋バナが出来るような友達が欲しいと思ってはいる。
だが私の出自を知る魔女の館の人々は、我関せずと無関心な者、転移物だからと気味悪がる者、アレクシア様やローガンから特別扱いされていると嫉妬しやっかむ者が大半で、とてもじゃ無いが、こちらから気安く話しかけられる雰囲気では無いのだ。
そんな中、最近私に積極的に話しかけてくる人物がいる。
ひとりは、インフルエンザM型に罹った時にお世話になった、トマシュという赤毛の中年医師だ。
ポーランド出身だというトマシュ医師は、あれ以来、私を見掛けると気さくに声をかけてくるようになった。
……なったのだが。
「ねえねえ君、ほらこれ見てキノコだよ。看護師にね、縫合が上手な子がいてね、作って貰ったんだよ。よく出来てるでしょ? いいでしょあげないよ」
と社員食堂で、M型を模したぬいぐるみ (何故か持っていた)の自慢をされたり。
廊下ですれ違った時には、
「あ、そうそう君、タクミくんにだけ教えてあげる。あのね、泣きすぎるとね鼻から脳みそ出てくるんだよ?」
「……先生、嘘つきはヤブ医者の始まりですよ」
「あれま意外と言うねえ君」
という感じになるのだった。
入院時の諸々をネタに、揶揄われているだけのような気もするが、私への呼びかけが『君』から『タクミくん』に進化しているし、さらには「言うねえ君」とけらけら笑った後、「だからね、あんまり溜め込んじゃダメだよう」などと医者らしい助言をするあたり、私を気にかけてくれているのだと感じることが出来る。
そうなれば、もうあのぬるっとした喋り方は別として、素直に「はい先生、気をつけます」と答えるしかないだろう。
そんな風に、ぬるぬる話しかけられて、ムカムカほこほこするトマシュ医師とは別に、もうひとり私に声を掛けてくる人物がいる。
魔女の館一年目の、研究助手のエミリィという女性だ。エミリィの本名は『絵美』で、初対面で「エミリィと呼んでね」と言われ、あいたたたと心が傷んだのは内緒だ。
「あ、市原さん」
「エミリィさん」
市原は私の名字、市原タクミが私の氏名だ。
ローガンは斎・スティーヴンソン、アーチボルドはアール・ベイン、トマシュ医師はクライーチェクという名字がある。因みにアレクシア様だけはただの『アレクシア』だ。
当然エミリィこと、水色の瞳でブロンドの絵美にも『エドガワ』という名字があるが、こちらの世界はファーストネームで呼び合うのが普通で、ファミリーネームが登場するのは、事件事故などで氏名が公表される時くらいだ。
エミリィは笑顔で親しげに話しかけてくるが、『本気で仲良くする気はないわよ』と言外に主張しているのである。それでも『あんた』だの『ちょっと』ではなく、名前を呼ぶだけマシだ。
それはいくらなんでも卑屈な捉え方で被害妄想では無いのか? と言われそうだが実はそうでもなかったりする。
何故かというと、ある日エミリィが友人たちに『心の主張』を吐露しているところを、偶然トイレの個室で聞いてしまったからだ。
不思議と落胆はしなかった。ただ困ったなと思っただけだった。
「ねえ、一緒にお昼食べてもいいかな?」
「いいですよ、どうぞ」
「もう! 市原さんてば、年上なんだからタメ口でいいのに。ねえミスターローガンもそう思いません?」
ううむ。呼び方の違いが実にさり気なく、悪意など微塵も感じさせないが、裏事情がわかっているとなんとも反応に困ってしまう。
仲良くする気のないエミリィが、何故私に笑顔で話しかけているのかというと、話は簡単である。何時何処にいても、私にはもれなくローガンがついているからだ。
私の向かいの席に座り、エミリィをガン無視して、日替わりA定食を黙々と食している『偉丈夫』が、彼女の真の目的である。
ドリルな節子さんたちは、直接私を排除しようと試みて失敗したが、賢い彼女は将を射んが為に『馬』を懐柔する方法を選んだようなのだ。さすが理系の研究助手は頭がよろしい。
特に実害がないのでエミリィには好きにしてもらっているが、話しかける彼女に対し、ローガンが完全な沈黙を貫いているのを見ると『私が』居た堪れない。
ので昼食を終え資料室に帰ってローガンに物申す事にした。
「ローガンさん、いい大人なんだからこうもっと社交性を発揮してくださいよ」
「俺はいつもと同じだが」
「いやまあそうですけど。絵美さんが話しかけた時くらい、無視するのは止めて下さいって」
「タクミは構わないのか」
「何がです?」
「どう見ても俺に話しかける為のダシに使われているだろう?」
「分かってますけど、それ、本人を目の前にして言っちゃいます? まあぶっちゃけ、彼女ちょっとぐいぐい来すぎて鬱陶しいけど、特に実害もないし。ああ見えて意外と人畜無害な人なのかも」
「珍しいな、本音がだだ漏れだぞ」
「トマシュ医師に言われましたからね『溜め込むな』って」
「そうだったな」
ローガンの大きな手が頭を撫でる。
気持ち良くて嬉しいが子供扱いにはがっかりだ。きちんと女性扱いして欲しい、という思いがあるがこれは漏らさない。
「嫌なら排除するが」
守護神ローガンが物騒なことを言い出した。過保護モード発動である。
「いやいやいや。何言ってんですか。さっき実害は無いって言いましたよね私。やめて下さいよ、子供の喧嘩に大人が出て来るような真似は」
自分で自分を子供扱いして若干へこむが、ローガンの『排除』は力技で大変恐ろしいのだ。このままではエミリィがミンチになってしまう恐れがある。
「何を想像しているのか分からないが、平和的に言葉で排除するという意味だぞ」
「いやそれも前に居酒屋で、女性陣に何やらやらかしてましたよね」
言葉でも相手を殺れる男ローガン。
あの時、何を言ってドリルさん達を怯えさせたのか教えてくれなかったが、居酒屋の一件以来、彼女やその取り巻きに絡まれることは無くなった。
「とにかく『強制排除』は駄目です!」
ローガンに啖呵を切った手前、いくらことなかれ主義とはいえやることはやらねばならない。
社員食堂でカレーライスを食べていると、いつものようにトレイを持ったエミリィが、笑顔でテーブルに近づいてきた。
「市原さん、今日は何食べてるの?」
「見たまんま (見ればわかるだろ)カレーですよ、エドガワさん」
エミリィの顔が引き攣った。私の副音声にも気付いたようだ。彼女はまさか、私に喧嘩を売られるとは思わなかったのだろう。
アレクシア様に雷を落とされプルプル震え、アーチボルドに揶揄われべそをかき、いつもローガンに庇われてばかりでなんとも情けないが、私だってやるときはやる女なのである。
「そ、そうだねカレーだね。私は今日は唐揚げ定食にしてみたのよ。隣いい?」
「ローガンさんの隣も空いてるのでそちらにどうぞ」
「えっ? あのでも」
「まあまあ遠慮しないで。あれ? そういえばメニューがローガンさんと一緒ですね、いつも」
「はぇっ?!」
ほほほ。私は知っているのだエミリィよ。
貴女がローガンと同じメニューを注文しているのを!
ローガンは、同じメニューをローテーションするので、合わせるのは容易い。ガン無視され続けているというのに、それでも好きな相手と何か共有したいと行動するところは、いじらしくて可愛いと思う。
──だから彼女の扱いに困っているのである。
現在いじめっ子になっている私は、唐揚げ定食を持ったまま、途方に暮れているエミリィを無視してカレーを食べる。ローガンをチラリと見遣ると、なにやら思案しているようだ。
少しして箸を止めた彼は口を開いた。
「座らないのか?」
「は? はいっ! 座りますっ! 今すぐに!」
ローガンに初めて声を掛けられたというのに、エミリィは何故か私の隣に腰掛けた。
「エドガワさん?」
「私はこっちで! タクミさんの隣でいいです!」
顔を真っ青にしたエミリィは、乙女にあるまじきもの凄い勢いで唐揚げ定食を完食すると、足早に食堂から去っていった。
「……どうしたんですかね?」
「俺はちゃんと社交性を発揮して席を勧めたぞ。タクミが虐めたからじゃないのか?」
「えー。あんなの軽いジャブですよ、虐めたうちに入りませんて」
ローガンの社交性こそ大変威圧感のあるものだったが、そこには触れないでおく事にした。
あれからエミリィは、ローガンとの同席を求めて昼食時に突撃することは無くなったが、彼女が私を呼び止める時の呼び名が「タクミさん」に変わった。
彼女の中でどんな心境の変化があったのか分からなかったが、その理由は意外な場所で判明した。
「死ぬかと思ったって何それ。『座らないのか』って聞かれただけでしょ?」
「違うよ! あれは『さっさと座れ』って意味だよ。もうすっごく怖かったんだから。彼女、なんであんなおっかない人と四六時中一緒にいられるかな」
「市原さんのこと?」
「タクミさんだよっ! バレたらどうすんの! 彼女の不興を買ったアーチボルド様が、ミスター・ローガンにどんな目に遭わされたか知らないの? 話は聞いてたけど話してたのが『あの先生』でしょ? まさか本当の話だって思わなかったんだもん」
「えー何それ。私知らない教えてー」
「不興って。じゃあタクミさんがミスターに命令してアーチボルド様をどうにかしたって事?」
「きっとそうだよ。タクミさんって『甲種特』でしょ? おとなしそうな顔してるけど、あっちの世界ではその筋のアブナイ業界の人だったんだよ」
「ねえねえ教えてってばー」
トイレの個室で再度、エミリィたちの話を聞きながら、私は色々な意味で頭を抱えた。
食堂のアレはローガンの威圧が原因だったが、今やエミリィは『あの先生』から聞いた話を鵜呑みにして、私の『不興を買う』のを恐れている。
……人の黒歴史を何ペラペラ話してんのトマシュ・クライーチェク! しかも事実と違うしっ!! あの変人医師はやっぱり面白がっているだけに違いないっ!
ばかやろーーー!!




