異世界の流行性感冒がMな件・その2
人目も憚らず大声で「帰りたい」と泣き喚いた。それはもう盛大に。
だがいくら帰りたい戻りたいと喚いてみたところで、そもそも帰る手立てが無いのだからどうしようもない。どうしようもない事を論っても仕方がない。そんなことは理解っている。
思えば我ながらいろいろ限界だったのだろう。
高熱のせいで気持ちが不安定になっていたところに、アーチボルドが漏らした失笑で理性の箍が外れ、無駄だ無理だ仕方がないと納得したふりをして諦め仕舞い込んでいた『本心』が溢れたのだ。
溢れたのは心だけではない。涙は勿論だが鼻水も溢れ出るし瞼も腫れて酷い有様で、とにかく成人女性としてはとても残念な姿になった。目も当てられない。
そしていきなり私に『本心』をぶつけられたアーチボルドは、さぞかし面食らった事だろう。
私の泣き声はどうやら病室の外まで響き渡っていたようで、看護師から連絡を受けた担当医師と、彼に連絡を受けたローガンが病室にすっ飛んできた。
ローガンが病室に飛び込んできた時、私は頭のキノコを揺らしながらベッドに座り込んでえぐえぐ泣いていて、彼が入ってきた事に気が付いていなかった。アーチボルドはベッドの側に跪いて、私を泣き止ませようとひたすら謝罪の言葉を述べている最中だった。
無言でベッドに近寄ってきたローガンは、問答無用でアーチボルドの頭を鷲掴んで持ち上げ、そのまま腕を一振りして彼を入り口に向け投げ飛ばした。
目の前で起こったあまりの出来事に、私はベッドの上でびくりと固まってしまった。
ローガンが片手で大の男を持ち上げた事にも驚いたが、常に理性的な彼が『家守』並の容赦のなさで、アーチボルドを私の前から『強制排除』した事にも驚いたのだ。
不意を突かれたアーチボルドは、入り口近くの壁に激突し床に倒れ込んだが、すぐに身体を起こしローガンに食ってかかった。
「……ぃってえ。ローガン! いきなり何しやがる!」
「何をしているのか聞きたいのは俺の方だ」
静かだがとても冷たい声だった。
「彼女泣かせたのはこれで二度目だアーチボルド。三度目は無い」
アーチボルドにそう宣言したローガンは、ベッドの上に静かに腰を下ろした。そして固まったままの私に手を伸ばすと、その大きな身体に抱き込んだ。
「心配ない大丈夫だ。もう誰もお前を傷つけない」
ローガンは私をしっかり抱いたまま、そう呟いて後頭部をゆるゆる撫でた。
その手があまりにも大きくて優しくて哀しくて。止まっていた涙がまた溢れ出す。
ちっとも大丈夫じゃないし来るのが遅いとか、スーツの下の凶悪な武器が顔に当たって痛いとか、シャツに鼻水がついてしまったとか、キノコが生えてなければもっとぎゅっとしてもらえるのにとか余計な事を考えながら、堪えきれずにしゃくり上げ、私はまたわんわん声をあげて泣いた。
そうやって子供のように大声で泣いてすっきりしたのはいいが、今頭が割れそうに痛い。
「……超絶頭が痛いれす」
ローガンの腕に抱かれたまま顔を顰めていると、担当医から呆れ声でお叱りを受けた。
「もお。君一応病人なんだから大人しくしてなきゃダメでしょ。はい鎮痛剤飲んで」
「ごべんださい」
「タクミ、自分で飲めるか?」
「あい」
返事をしたものの泣きすぎで鼻声な上若干呂律も怪しいし、涙と鼻水でびしょ濡れのタオルと交換で手渡されたコップを持つ手が震えている。
力の入らないその手をローガンに支えられ、なんとか水と錠剤を飲み込んだ。
「食事は摂れそうか?」
「いらないれす」
「……分かった」
「頭痛い〜」
「今薬を飲んだばかりだ。もう少ししたら効いてくる」
「あい」
「横になるか?」
「あい」
子供か! と自分に突っ込む気力もなく、ローガンの腕の中から解放されのろのろと毛布に潜り込んだところで、入り口近くに無言のまま立っているアーチボルドが声をかけてきた。
俺様で自信家の彼にしては珍しく、困ったような表情をしている。
「タクミ」
置いてけぼりにされた子供のように不安そうな声でアーチボルドは私の名を呼んだ。そんな彼を無視するのは余りにも大人気ないというものだ。
「アーチーざんは悪くないれす。大騒ぎしてごめんださい」
今回、アーチボルドに悪気がなかったのはちゃんと理解している。彼は堪えきれずに吹き出しただけで嗤ったわけではない。もし逆の立場でアーチボルドが頭にキノコ生やしていたら、私は今回の彼と違って遠慮なく腹を抱えて大笑いする自信がある。
だから彼は悪くない。
そう思って謝罪したのだが。
アーチボルドはポカンとした後キュッと口を引き結び、何故か眉間に皺を寄せている。
「……お前の言った通りだローガン。タクミは超がつくほどのことなかれ主義の呑気者だ。温厚な性格もここまできたらただの間抜けなお人好しだ。くそっやっぱ気に入らねえ」
「そうか」
「もじかじてわだじ喧嘩売られてまず? 今買う元気がないのれローガンざん買っといてくらさい」
「分かった。目を閉じて少し休め」
「あい」
額にローガンの大きな手が添えられる。熱のせいで、いつもは暖かい彼の手が冷たく感じられて気持ち良い。
目を閉じた私はあっさりと眠りに落ちた。
入院初日は大変だったが、それ以降は特に何事もなく入院生活を送っている。
──と言いたいところだが、実際には何事もなくは無い。
あれ以来ローガンがほぼ病室から離れなくなった。夜も当たり前のように不寝番をする始末だ。
勿論彼も着替えなどしなくてはならず、病室から離れる事もあるがそれもせいぜい十分程度で、彼の住処が果たして何処にあるのかますます謎が深くなった。
病気の時は多かれ少なかれ、誰でもそうだと思うが『甘えモード』が発動するので、常に傍にいて何くれとなく世話を焼かれると、照れ臭くも嬉しい限りだが、よくよく考えればローガンは赤の他人で、成人男性でガタイが良くて包容力があって強くてイケメンで頼りになる私の守護神でアレクシア様の恋人──。
とにかくいろいろよろしくない。特別扱いは嬉しいがかなりよろしくない。
守護神の恋人、所長のアレクシア様は入院の翌日に様子を見に来てくれた。
魔女様は私の頭のキノコを見てひとしきり笑った後、「お前は本当に面白い」と大変面白く無いことを仰った。
「アレクシア様酷いです」
「ふふ。あのアーチボルドがまるで騎士のように跪いてお前に赦しを乞うたのだろう? 私も見たかったぞ」
「ちょっと違うような。それにその騎士様はローガンさんにぶん投げられましたけど」
「本人から聞いた。あれには良い薬になったろう。それにしてもタクミは凄いな、ローガンもお前から離れない。キノコが生えて面白さ倍増なところも凄い。ははははは」
……誉めているのか貶しているのか。
アレクシア様は笑いながら帰って行った。
アレクシア様いう所の『騎士』アーチボルドも頻繁に顔を出す。
相変わらず口は悪いが、私を貶すような言葉は一切言わなくなった。代わりに。
「タクミお前、あの凶暴な草どうにかしろよ」
「凶暴?」
「アルウラネだ。あいつ、様子見に行ったら庭に出てたんだが、俺の姿を見るなり飛びかかってあちこち齧りやがった。飼うならちゃんと躾けろよ」
「だって私といる時は噛んだりしないですもん。というか彼女の様子を見に行ってくれたんですね。ずっと気になってたんだー。ありがとうアーチーさん」
「……べ、別に俺は『家』の様子を見に行ったんだ。アルウラネを見に行ったんじゃねえよ」
「ツンデレだな」
「ツンデレですね」
「はあっ!? てめえローガン、マジでいい加減にしろよ! てめえもだタクミ」
アーチボルドが伸ばした手が私の頬に触れる寸前、ローガンがその手首を掴んだ。
「触るな」
「ちっ」
………とまあこのように守護神ローガンは「三度目は無い」との宣言通り、アーチボルドが必要以上に私に接近するのを警戒しているのだ。
やはりよろしくない。
あんな風に庇われると心がざわざわするのでとてもよろしくない。
よろしくないと思いつつ、ローガンの優しさにでれでれざわざわしながら四日ほど経った。
熱は入院した翌日には下がっていたが、熱が下がったら取れる筈の頭のキノコに変化はなく、相変わらず私のつむじに居座ったままだ。
「おっかしいなあ。なんで取れないのかな? もしかして君の世界では頭でキノコ栽培してたりする?」
診察の為病室にやってきた担当医が、こてんと小首を傾げてとんでもない質問を投げかけてきた。因みに担当医は赤毛の中年男で首を傾げてもちっとも可愛くない。
「なわけないでしょう。そもそもこれって普通の菌類じゃないですよね?」
「まあねえ。インフルエンザは細菌じゃなくてウィルスだもんねえ」
「そういうことではなくてですね」
「ん〜。ちょっと切ってみる?」
「えっやだ!」
当然の脊髄反射である。
この担当医は普通に人間を診る人間の医者だが、魔女の館に所属している時点で十分普通じゃない事を、この数日で私はしっかり理解したのだ。
「まあまあそう言わず。ちょっとローガン、君そのデカい体で威圧しないで怖いよ。彼女を切るんじゃなくて切るのはキノコの方だから。ね?」
担当医が両手をワキワキさせて笑顔で迫ったところで、ぼてっと重たい音がして頭が軽くなった。見ればベッドの下に赤地に白い水玉の傘を持つキノコがころりと転がっている。
「取れたねえ」
「取れましたね」
担当医が屈んでキノコを回収しようと手を伸ばした時、キノコがむくりと起き上がった。
またか。植物 (今回は菌類)が動くのを目撃したのは二度目だ。
「ありゃ」
キノコは軸の部分をバネのように使って、ビョンビョン飛び跳ねるように移動を始めた。
「変わってるねえM型って」
「インフルエンザとは一体……」
気が抜けた会話をする私と担当医をよそに、ローガンがキノコな『インフルエンザM型』を素早く回収した。菌だかウィルスだかを鷲掴みにするローガンに若干引いたが、生きが良いのは間違いないので「早く寄越せ」と騒いでいた研究スタッフも喜ぶだろう。
その後担当医から「M型は一度罹ると多分二度と罹らないから安心して?」と全く安心出来ない話を聞かされ、さらには「完治したから帰っていいよ〜」と病院からあっさり放り出された。
帰り着いた我が家。ローガンは玄関前まで送ってくれた。
その際彼は、病欠一週間の残り三日も、家でおとなしくするように念押しするのを忘れなかった。守護神の過保護は病気が完治しても継続中だ。
所在不明の住処へ帰って行くローガンの後ろ姿にお辞儀して、玄関を跨ぎアルウラネの出迎えを受け家の中入った。
一歩踏み入れた途端、何処からか懐かしい草の香りが漂ってきた。
雑草だらけだった庭の、夏の草いきれの匂いだ。もうひとりの私の守護神『家守』の仕業だろうと勝手に思う。
懐かしさにまた涙腺が緩んだが、今は取り敢えずお風呂だ。
ゆっくり湯船に浸かる。
「ふい〜」とおっさんくさい声を漏らしながら、人前で大泣きしたという『新しい黒歴史』に蓋をし鍵をかけ、今回私を翻弄した異世界の流行性感冒を思い出し、菌類とか細菌とかウィルスとかの微小な生物について想いを馳せる。
ぼくらはみんな生きている──。
そんな歌を口ずさみながら手のひらを翳し、ここは今後のもしもの為に、インフルエンザ『キノコ型』の謎を是非とも解明して欲しいと切に願った。




