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異世界の流行性感冒がMな件・その1

 ありのまま今起こっていることを話そうと思う。

 しかし何を言ってるのか分からないと思うのは私だけで、この世界ではこれが当たり前なのかも知れない。


 朝起きて顔を洗おうと洗面台の前に立ち、目の前の鏡を見て愕然とした。

 酷い寝癖はいつもの事だが、頭のてっぺんからキノコが生えているのだ。


 そうキノコ。



「何これ」



 絵本に出てくるような、赤い傘に白い水玉模様のかわいいキノ……。

 いやいや現実(リアル)だと可愛らしさのかけらも無い、如何にも『毒キノコです!』と言わんばかりの禍々しさだ。


 抜いていいものなんだろうか。

 下手に刺激を与えて周囲に胞子が飛び散って大変な事になったりならなかったり。


 頭に浮かぶのは森の中のファンタジーなキノコ群ではなく、どこかで読んだ漫画の中の、洗濯していない大量のトランクスから生えるアレで、思わず身震いする。


 ローガンに連絡を入れるのは必須だが、ヨレヨレのパジャマ姿を晒すわけにはいかないので、頭のキノコに触れないように着替える。

 前回彼から『鶏冠(とさか)』と痛烈な一撃を打ち込まれ赤っ恥を掻いた寝癖は、仕方がないので諦めた。



 いつもの専用携帯、いつものようにワンコールでローガンに繋がる。


「おはようございますローガンさん。朝からすみません」


『おはよう。どうした? また何か出現したのか?』


「はあ。頭にキノコが出現しました」


『……頭に?』


「そーです。私の頭のてっぺんに、現在進行形で、赤地に白の水玉模様で有名なキノコが生えてます」


『了解した。迎えに行くからそのまま……。タクミ、自宅にビニール袋はあるか?』


「? ありますよ」


『胞子が飛び散らないようにそのキノコに被せておいてくれ。頭全体にすっぽり被る必要は無い、キノコにだけでいい』


「……わかりました」


 絵面を想像して泣けてきたが、素直にローガンの指示に従った。





 待つこと十分。玄関チャイムが鳴った。

 いつもより遅いが、()()()()()()()()を考えると速いのではないかと思う。


 私の突然の呼び出しにはほぼ転移物の出現が絡んでいるが、研究所職員が常に特異点を観測監視しているので、私からローガンへ連絡する頃には既に異変を感知している。

 転移物捕獲調査の為の様々な道具の準備はあるが、最長でも十五分以内には駆けつける体制が出来上がっているそうで、大抵の場合連絡後数分から数十分足らずでわらわらとやって来る。


 今回の場合、転移物は関係していないので、当然特異点に異常は発生していない。ローガンは私からの電話連絡で初めて異変を知った事になる。


 予め準備していた訳ではないのに我が家に駆けつけるこの速さ。

 一体ローガンはどこから駆けつけて来るのか。彼の住処は敷地内で間違い無いだろうが、所員宿舎ではない事は知っている。謎だ。



 そんな事をつらつら考えながら玄関を開けようとしたところで、ローガンの指示を思い出し手を止める。


 ──胞子が飛び散らないようにキノコを覆え。


 このキノコ、もしかしてヤバいものなのでは? このまま彼に接近するのは拙いのでは?



「タクミ?」

 

「あのうローガンさん、これ毒キノコか何かですか? 飛んだ胞子が危険ならここは開けない方がいいんじゃ……。」


「心配ない、俺なら大丈夫だ。開けてくれ」



 言われて恐る恐る玄関を開ける。

 指示をした張本人なので、頭にビニール袋を被った間抜けな姿でもローガンは笑ったりしないが、私は死ぬほど恥ずかしい。


「着替えてるな。よしこのまま研究所まで行くぞ」


「えっ!? やだっ!」


 ほぼ脊髄反射だ。いくらなんでもこの格好でその辺を徘徊する勇気はない。


「夜勤明けのスタッフがまだ研究棟にいる。出勤時間前だ、そう人目につく事はない」



 研究棟と聞いてぎょっとする。あそこは一番最初に『検疫』を受けさせられた場所でもある。

 そこは『魔女の館』の中枢で、棟の中には隔離フロアがあり、そこでは捕獲した転移物の隔離飼育研究実験解剖標本保管廃棄──。

 今私は、甲種特が変化した『珍しい新種の転移物』だと捉えられてもおかしくない姿をしている。



 血の気が引いた。



「違う、勘違いするなタクミ。研究棟には人間用の病院もある。これから向かうのは()()だ」


「……ほ、本当に?」


「本当だ。前に言っただろう『何があってもお前の安全を最優先させる』と。俺を信用しろ」


 大変頼もしい御言葉ですが、大きな手に掴まれた腕が痛くてとても怖いです。






 ビニール袋を被ったキノコを頭に生やしべそべそ泣きながら、大柄なローガンに「心配するな」「大丈夫だ」と宥められつつ向かった先は、彼の言う通り研究棟と廊下で繋がった別棟、微かに消毒薬の匂いのする『診療室A』と書かれた真っ白で清潔な一室だった。


 中に入ると、白衣を着た中年の医師が「これいらないよ」と言いながら無造作にビニール袋を取った。

 その後舌圧子と呼ばれる平たいヘラのようなもので、水玉のキノコを上から下から検分し始めた。


「うん。インフルエンザだね」


「へっ?!」


 さらりと言われ涙が引っ込む。私の背後に立って診察の様子を見ていたローガンが、「やっぱり」と息を吐き出したのが聞こえた。


 なんという異世界の脅威。

 こちらの日本ではインフルエンザに(かか)るとキノコが生えるのかそれは知らなかった。


 ……じゃなく!!



「ローガンさん『やっぱり』って何?! 分かってたんならなんで教えてくれなかったんですか! すっごくすっごく怖かったのに酷い!!」


「すまない悪かった。だが素人判断は拙いだろう。俺もこの型のインフルエンザ患者を実際に見るのは初めてだったんだ」


「インフルエンザM型だね。ボクもまだ数例しか()た事がないよ。どこで貰ってきたんだろうね?」


「ΑでもBでもなくMですか?」


mushroom(マッシュルーム)のMだよ」


「………」


 まんまキノコ。インフルエンザ()()()()。ふざけてんのか?



「M型は感染力はさほど強くないけど、全く他人(ひと)感染(うつ)らないわけじゃ無いからね。君、一週間入院ね」


「え、でもキノコ生えてる以外は何も異常はないですよ? 自宅療養じゃ駄目なんですか?」


「多分熱とかこれから出るよ。君は『転移物』だし、他にもどんな症状が出るか分からないでしょ。それにほら君ん()、勝手に入れないよね? もし自宅で急変したらどうすんの。はい決定」


 医師に笑顔で押し切られ、家に帰ることも許されずそのまま入院する事になってしまった。





 

 やはり、というか案の定、昼前には診療室の医師とは別に、研究スタッフが病室に押しかけてきた。


 その頃にはインフルエンザ特有の高熱が出ていたが、彼らはお構いなしに次々と質問を投げかけてきた。

 実際何を聞かれて何を答えたのかよく覚えていない。

 覚えているのは「本当にインフルエンザか」「どこから感染した」「キノコを調べたい」「切り取って今すぐ寄越せ」とかである。口々に騒ぎ立てる研究熱心な彼らをローガンが一蹴した。


「彼女の経過観察は随時医療スタッフが行なっている。様子が知りたいならそちらから資料を回して貰え。キノコは熱が下がれば自然に取れるそうだ、それまで待て。取れたら回収して渡す」


 諦めの悪い研究スタッフが「()()()()にも生えているんじゃないか」「()()()()()」と言った時点で、ローガンによって全員が病室から叩き出された。


 その後ローガンは病室の出入り口に陣取り、病院関係者以外の入室をシャットアウトしている。まるでVIP扱いだ。

 私の様子を見に来る看護師たちも、入り口のローガンに若干引き気味だ。大変申し訳ない。

 ……それ以上に、看護師の皆さんから向けられる生温かい視線が物凄く恥ずかしい!






 気がつけば夕方。いつの間にか眠っていたようだ。


 トイレに行こうと起き上がり思わず「げっ!」と声が出た。


「よう」


 さっきまでローガンがいた筈の入り口にアーチボルドが立っている。今のこの姿を一番見られたくない男である。


 再びベッドに潜り込み頭の先まですっぽり毛布を被ると、アーチボルドがベッドに近寄ってくる気配がする。


「な、ななななんでここにいるんですか! ローガンさんは?!」


「ローガンならアレクシアんとこへ行ってるぜ。いくら俺でも病人相手に悪さはしねえよ」


 信用できるか! ちくしょう。守護神ローガン早く戻って来ておくれ。


「……あー…なんだ、こないだは悪かったよ」


「何に対しての謝罪ですか」


「まあ色々だ」


 アーチボルドはこれまで聞いたことのない殊勝な声で謝罪している。


 この状態で無視するのはさすがに大人気(おとなげ)ないとゆっくり頭を出す──が、私の顔が出る前に、ぴょっこり水玉のキノコの傘が毛布から覗いた。同時に「ぷっ」と吹き出すアーチボルドの声が静かな病室に異様に響いた。

 

 普段の彼なら大爆笑していただろう。彼は確かに自分で言った通り病人相手で気を遣ってはいたが、堪えきれなかったのだ。

 アーチボルドに悪気はない、それは理解できる。でも。



 一瞬でかっと頭に血が上った。頭の血管から血が噴き出すのではないかと思った。


「でっ、出てけーっ!! 馬鹿っ大嫌いっ!! わあああああああん!」


 高熱のせいで感情の昂りが抑えられない。

 ここには嫌なものを遠ざけてくれる『家守』はいない。いつも庇ってくれるローガンもいない。

 『誰もいない』。


 わあわあ大声で泣きながら、アーチボルドに手当たり次第にものを投げつける。投げたものは掠りもしない。投げるものも既にない。もう嫌だ。

 

「お、おいタクミ落ち着けって」


「もおやだ」


 一度口に出してしまったらもう止められない。


「やだやだっ! こんなとこ居たくない家に帰る! かえるっ! ……かえりたいよぉ。ぅああああああん」


 変な生き物が庭先にぽこぽこ現れたり、頭にキノコが生えるインフルエンザがある世界なんて嫌だ。転移物って何だよそんなの知らないそんなものになった覚えはない。似てるけどここは日本じゃない全然違う。知り合いも友達も、誰もいない。嫌だ帰りたい。

 ──元の世界に帰りたい。



 私は帰りたいのだ。

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