転移物詐欺と魔女の呪い
「お前は俺のものだ!」
──などと面と向かって言われれば、乙女ならときめく事があるかも知れない。私も一応その乙女の端くれなので、普通なら頬を赤らめる案件だろう。
但しどちらの場合も『イケメンに限る』の注釈付きでそれ以外は問題有りだ。
今私に向かってその言葉を発した相手はイケメンではないし、私の置かれた状況を考えると発言自体も問題だ。
「タクミはお前個人のものじゃない。そもそも彼女は『もの』じゃない。誰かと勘違いしているんじゃないのか?」
無表情が常態のローガンが珍しく顔を顰めている。彼の隣で私も顔を顰めた。
ローガンの言う通り、転移物の『甲種特』である私は日本政府に帰属するのであって、決して目の前で偉そうにしている中年親父個人の所有物でもなんでもない。というか誰なんだこのおっさん。
「間違いなものか! 渡された写真と同じだ。それは俺の転移物だ!」
親父が吠えた。
「写真? 誰から渡された」
「俺に話を持ってきた男だ! 人に擬態する珍しい転移物だから間違えるなと渡されたんだ」
「……擬態」
なんということだ今回私はミミックの内臓どころか本体扱いされているのだ。
人身売買は違法じゃないのかとか、とんだ鬼畜野郎だなどと考えていたが、どうやら親父は私が人間だとはこれっぽっちも思っていないようだ。誰だ!? そういう誤情報をばら撒く奴は!!
庭の草刈り作業の時のお礼ということでローガンを食事に誘い、研究所の通用門を抜けて繁華街へ向け少し歩いた所だった。路肩に駐車中のワンボックスカーを訝っていると、そこからいきなり男たちが飛び出してきたのだ。
立ち入り禁止区域の国有地に通じる細い道路は、研究所に勤務する者や特定の業者しか利用しない。その日が休日だった事も災いしたようで人通りもなく、何の変哲もない作業着姿だが、やたら人相の悪い剣呑な雰囲気を纏った男たちに、あっという間に行く手を塞がれてしまった。
先程から捲し立てているのは、その男たちを掻き分けるように現れた中年親父だった。
中年親父は仕立ての良さそうなスーツを身に着けているが、何というか成金臭がぷんぷんと漂っていてその言動も合わせてとても下品だ。
親父は大きな宝石のついた指輪を嵌めた人差し指で、私を指して再度吠えた。
「ちゃんと金は払った! 早くそれをこっちに寄越せ!」
成る程。
どうやら彼は『転移物詐欺』の被害者のようだ。
転移物詐欺。
文字通り転移物の売買に纏わる詐欺である。
金持ちの蒐集家や一部の好事家に人気のある異次元からの転移物だが、それら全ては元々日本政府の『所有物』だ。
特異点から出現する転移物の殆どは、魔女の館と呼ばれる特異点観測研究所で研究・保管されているが、何度も出現しているものや先のGのように一度に多数出現するようなものは、必要数を残した後は様々な思惑を持った政府によって蒐集家や好事家の手に渡っている。
それは日本に訪れた海外の要人への『土産』であったり、交易としての『売買』だったり『物々交換』だったりする。転移物自体の絶対数も限られている為、手に入れる事が出来るのはごく一部の限られた人間だ。それ故に手に入れた者の虚栄心を擽り優越感を与え喜ばれるという事で、日本政府の重要なカードのひとつになっている。
さて、人間というのは私を含めとても欲深い生き物だ。
我儘を通せる権力や財源があればその欲に歯止めが効かなくなり、やがて正常な判断力を失い目も眩んでしまう。そういった人間は詐欺師にとっては恰好の獲物になる。
目の前の中年親父が『それ』だ。
「誰と何処でどんな取引をしたのか知らないがそれは詐欺だ。転移物はそう簡単に手に入れられるものじゃない。しかも彼女は特別で普通の転移物とは違う。誰であろうと自由に出来る存在じゃない」
「俺は特別に抽選で選ばれたんだ! その男は研究所から来た者だと言ったぞ!」
「それはあり得ないな」
「無いですね」
昔ながらのよくあるパターンだ。『当選した』『あなただけが選ばれた』と特別な優位性を強調する当選商法というやつだ。『研究所から来た者』というのも正確には『研究所(の方向)から来た者』で、研究所の所員でないのは間違いない。
魔女の館に勤務する者にはその職場の性質上、当然守秘義務が課せられている。が、それより何より魔女アレクシアからの物理的・心理的報復を心底恐れているので、こんな事をしでかす命知らずは存在しないのだ。
しかしこのオヤジ、さっきから人の事を『それ』だの『寄越せ』だのと何なんだ。ムカつく事この上無い。
「そ、そんな筈はない! とにかく大金を払ったんだ力づくでも持って帰るぞっ!」
「悪いが」
ローガンがショルダーホルスターから標準装備の凶悪な得物を取り出した。
黒光するそれは対転移物用の特別製の大きな銃で、それを見た男たちが怯んで一歩下がり、唾を飛ばしながら叫んでいた中年親父は一瞬にして色を失った。
隣から漂うローガンの静かな殺気に私の背中の毛も逆立った。
「俺は自己判断で『甲種特』に対する脅威の強制排除を許可されている。今すぐ立ち去って警察かそれに準ずる機関に被害届を出す事を勧める」
「お、おお俺を誰だとおも」
ローガンの手元でカチリと小さな音がした。
硬直する中年親父を放り出し、作業服の男たちが我先に駐車中のワンボックスカーに飛び込んだ。スライドドアの閉まる音ではっと我に帰った親父が、慌てて助手席のドアに飛びついた。彼がきちんと乗り込まないうちに車は急発進し、やがて見えなくなった。
中年親父たちが去った後、魔女の館に引き返すのも何だか癪なので、私たちはそのまま繁華街に足を向けた。向かったのはいつぞやのラーメン屋だ。
色気もクソも無いが、私はこちらの日本の店をあまり知らないので仕方がない。
「もー怖いですよローガンさん。ホントにぶっ放すかと思っちゃいました」
「悪かった。腹が減って気が立ってたんだ」
「子供ですか。そんなローガンさんにはこの特製餃子も進呈します」
「有り難くいただこう」
あちこちで聞こえる店員たちの声や客たちの会話をBGMに、先程の緊迫感は何処へやら私たちはのんびり麺を啜る。
「それにしても写真とかいつ撮られたんだろ……やっぱりあんまり出歩かない方がいいんですかね私」
「大丈夫だ今まで通りで構わないぞ。その為に俺がいるんだ」
「へいいつもお世話になってまーす」
「どういたしまして」
ふざけた口調で礼を述べたが本当に申し訳ないと思う。私の担当官になったばかりにローガンは休日返上で社畜道を極める羽目になり、変な輩を相手にすることにもなっているのだ。
当初『他所の世界から来た意思疎通可能な知的生命体』という事で、私に対する政府の期待値は必要以上に高かった。だがいざ蓋を開けてみれば頭脳明晰とは言い難く、SFじみた特殊能力がある訳でも無いごく普通の一般人で、何の利用価値もなく──。
自分でも政府のがっかり感はよく理解できるし、役立たずの無駄飯喰らいの私を『どうするか』で困った事だろうとも思う。
政府でどのような話し合いがなされたのかは不明だが、私と同時に出現した『家』に私の身柄を『留め置く』事を条件に、特異点観測研究所預かりになった。
政府的には万が一の脅威を考え『外に出すな』と言外に匂わせていたようだ。
ところが私に脅威の『きょ』の字も感じていない、唯我独尊傍若無人なアレクシア様は選任担当官が付いているので「逃亡は不可能」「不測の事態でも対処は容易」と断言し、さらに「そもそもどこへ逃げるのだ?」と政府関係者を嗤った。そんな風に政府の杞憂を一蹴したアレクシア様は、私の国有地外への外出も容認している。
まあ早い話が「監禁や軟禁は必要ないが監視は外さない」ということだ。その外れない監視役というのが、今私の目の前で味噌ラーメンを啜っている選任担当官のローガンなのだ。
表情はイマイチ乏しいがイケメンで真面目で誠実で男らしい。そして仕事とはいえいつも私の気持ちを優先してくれる。
──私には過ぎたいい人だよなあ。
「……タクミ。さっきの奴らなら心配いらないぞ、アレクシアが既に動いている」
「へ? えっ?! いつの間に?」
「魔女とはそういう存在だ」
「そういうってどういう?! なんか怖いんですけどっ? ちょっとローガンさんってば!」
箸を止め詰め寄ったが、ローガンは素知らぬ顔で私が進呈した特製餃子を口に放り込んだ。
翌日アレクシア様に呼び出され所長室に出向いた。
「……なんでまたここにいるんですかアーチーさん」
「うるせえ。ローガンだけ誘いやがってこのエロ女」
「んなっ!?」
この男いつかシメる。
というか家に連れ込んで今度は北極辺りに飛ばして貰おうかな『家守』に。
「タクミ、アーチボルドは放っておけ。それよりこれが『写真』だ。昨日の男から回収した」
アレクシア様が机の上に置かれていた一枚の写真を細い指先で突っついた。ローガンがそれを手に取り写されたものを確認している。
「やはり隠し撮りか。資料添付の公式のものじゃないな」
「当然だ。放し飼いにしているとはいえタクミは今でも『特別』だ。そもそも資料そのものが秘匿性の高いものだ。甲種特の名は伊達じゃない」
「タクミの周囲が雑草だらけだ。服装からして夏だからあの時の写真だな。要人と一緒に居たSPの誰かが撮ったのか。それで? 対処は済んだのかアレクシア」
「ふ。愚問だな」
アレクシア様が極上の笑みを浮かべた。
「私はな、舐めたマネをされるのが死ぬほど嫌いなのだ。自らが囲うものに手を出されてタダで済ませる筈もなかろう? 今頃関係者全員、死ぬ方がマシだと思える『魔女の呪い』の恐ろしさを噛み締めているだろうて」
彼女の言葉にローガンがうっすら笑い、アーチボルドが「うへえ」と顔を顰めている。
魔女の呪いとは一体? 言葉からして恐ろしいが聞いてもいいのだろうか?
「……あのうアレクシア様、『魔女の呪い』って何ですか?」
「ほう? 聞きたいかタクミ。それはな──」
私は聞かなきゃよかったと激しく後悔した。
遠い空の向こう、某国要人にSPとして付き従っていた何処かの誰かがどうなったのかは、私には知る事が出来ない。
ただ日本の新聞に掲載されていた『ナントカ企業の創設者のいとこが自動車事故で重体』という記事を見る事は出来た。小さなモノクロ写真の男はあの日私を『買った』と言った中年親父だった。
この事故が『魔女の呪い』のせいだというなら、転移物詐欺にあった彼にしてみればまさに踏んだり蹴ったりで、大層理不尽な出来事だろう。
だがそもそも『呪い』とはそういう理不尽なものだ。
あの後私は、アレクシア様から魔道具なるものを授けられ「常に身に付けておくように」と厳命された。何やらこれを身に付けていると写真などの記録媒体に撮られた時、私の画像のみ歪んで人相が判別不能になるのだそうだ。
──それって私を撮った写真は須く心霊写真風になるのでは?
「面白えな。早速一枚撮ってみようぜタクミ」
「…………」
どうやら私は魔女の『呪いのアイテム』を手に入れたようだ。