イタコのドロシー・その2
動きを止めたアルウラネはその後、何を思ったのかスニーカーから飛び出した。
何事かと見守る一同を尻目に、足元に来たアルウラネはペシペシと私の足を叩いた。彼女の『掴み上げろ』の催促の仕草だ。要求通り掴み上げると、アルウラネは私に掴まれたまま物言わぬ植物に戻ってしまった。
いや。
植物は元から物言わぬものだが、いつもは煩いくらいに雄弁に『語る』小松菜のような葉も、今は沈黙している。
ということで私は今、小松菜をそのまま引っこ抜いて握っているような、何とも間抜けな絵面で呆然と玄関に佇んでいる。
「……えーっと。まあ皆さん取り敢えず中へどうぞ」
何が何だか訳が分からないが、小松菜になってしまったアルウラネを握ったまま、三人を家の中へ招き入れた。
私に先導されているドロシーが「あらあら。なかなか賢いのねぇそのコ」と愉快げに言っているのが気になった。
案内した客間に入ったドロシーに、我が家の勝手知ったるローガンが座布団を勧める。
本来なら家主の私がするべきことだが、どういう訳かアルウラネが私の右手に絡みついて離れないのだ。
「ありがとうございますローガンさん。そしてアーチーさん、笑点じゃないんだから座布団は一枚でお願いします」
「はあ? 何馬鹿なこと言ってやがる。商店じゃねえのは見りゃ分かるわ」
……なんだギネス級の凄い長寿番組なのにこっちには『無い』のか。テレビが見れないから知らなかった──ではなく。
この男、どうしてこうも偉そうなのか。おまけに部外者な筈のアーチボルドは、座布団がペラいだの何だのと文句たらたらだ。本当に何故ついて来たんだろう。カエレ。
態度のデカいヤンキー男と違い、ピンク頭で翡翠の目をしたゴスロリなドロシーだが、そこは何というかちゃんとした霊媒師だ。どこから出したのか、いつの間にかその瞳によく似た翡翠の数珠を握り、背筋をピンと伸ばし正座をしている。
そんな彼女の対面にローガンとアーチボルドが座った。
私はといえば客間の入り口に立ったまま、へばりついたアルウラネを引き剥がすべく右手をぶんぶん振り回している。葉を引っ張るとまた絶叫されるかもしれないからだ。
「ちょっといい加減離れてってばあ。もう一体何なの訳分かんない」
「そんなに振り回してもアルウラネは離れないわよ。そのコは貴女の傍が一番安全だと知っているのね」
「安全?」
「貴女に接触していれば『何が起こっても飛ばされない』って知っているのよ。ああ来るわ。まだ招んでもいないのに随分と強引ねぇ。ほらタクミいいから早く隣に座りなさい」
「えっ? く、来る? 何が?!」
「人じゃないわねどちらかというと妖【誰が妖怪だ】」
「ひええっ!」
ドロシーの声が途中から『おっさん』に変わった。と同時に彼女はいきなり白目を剥いた。
それを真正面で目撃した私も一瞬白目になった。
客間は異様な雰囲気になっている。
私はアルウラネを右手に引っ付けたまま 、いきなりおっさんボイスを発した白目のままのドロシーに対し、イタコの口寄せってこんな感じだったっけ? とビクビクしている。
当のドロシーは何かに憑依されトランス状態に陥っているようで、本物の小松菜になってしまったかのように微動だにしないアルウラネに代わり、ゆらりゆらりと上体を前後に揺らしている。
アーチボルドは胡座に肘を突いた姿勢で頬杖を突き、そんなドロシーを胡散臭そうに見ているが、ローガンだけはいつもと変わらず無表情なままだ。
そうなると必然的に、この場で唯一冷静沈着で平常心であろうローガンが、ドロシーの『中の人』との対話を試みることになる。
「お前は誰だ?」
「【おれはやもりだ】」
「えっヤモリ? 爬虫類の?」
「タクミ、そのヤモリじゃない。おそらく『家守』だろう」
「【そうだ。家守だ。それにしても次から次へと姦しい。特にこの口寄せ巫女の声が耳に付いて目が覚めてしもた】」
「目が覚めたのなら丁度良い。家守が何か説明をして欲しい」
「【それよりおれに勝手にくっついているこの日本かぶれの変な鳥居はなんだ。おれをなめとるのか】」
「何だとっ!?」
変な鳥居、にアーチボルドが即座に反応した。
『鳥居』と言われて今の私たちの頭に浮かぶのは、日本の特異点に設置された『ゲート』の事だ。鳥居がくっついている『家守』とはつまりこの家そのもの──。
「ナメてんのはどっちだ! あの鳥居はウィッチの技術の粋を集めた特製ゲートだぞ! ヤモリだかトカゲだか知らねえが、いきなりゲートから現れたてめえが勝手に吸収したんじゃねえか!!」
「【おれの知った事か。また追い出されたいかアーチー】」
「なっ!」
ドロシーの姿で『家守』がにやりと嗤った。名指しで露骨に煽っているところを見ると、家守はやはりアーチボルドを南極に飛ばした張本人のようだ。
気色ばんで腰を浮かしたアーチボルドをローガンが制した。
「アーチボルド。話が進まないから少し黙ってろ」
「ちっ」
「もう一度聞く。家守とは何だ。さっき妖怪ではないと言っていたようだが」
「【人の言う妖怪とは妖やもののけの事だ。おれは家守だ】」
家という物で起きている怪現象だから『物の怪』ではないか。
私の頭は?で一杯だ。イタコを仲立ちとしているというのに、家守とはどうも会話が噛み合わない。
ローガンもそう感じたようであっさりと質問を変えた。
「家守、この家の尋常でない強固な守りはお前の仕業か? それにタクミが招き入れないと侵入できず、タクミが忌避するものを排除しているのもお前がやっているのか?」
「【そうだ。家が壊れるのは不快だ。そこに住まう者が不快なのはおれも不快だ。不快なものは遠ざけて当然だろうよ。まあ単純にただおれが気に食わないから追い出す時もあるが】」
「家守、特異点は理解できるか?」
「【捩れた穴だな。分かる。今も開いたままだ。そこから時々不快なものが出てくる】」
「その特異点から出現するその『不快なもの』を家の中に侵入させないのと同じように、庭への侵入も防ぐ事が出来ないか?」
「【何故おれがそんなことをしなくてはいけないのだ。家守のおれが守るのは家とその住人だけだ。庭のことなどおれの知った事ではない。もういいか? おれは眠い】」
「ちょ、ちょっと待って!」
なんて気まぐれな!
このまま消えて貰っては困る。私にはまだ確認したい事があるのだ。
「【何だ家主】」
「えと家守さん? あなたは我が家が元の日本に建っていた時から憑いてたの? それともこっちに来てから家に憑いたものなの?」
もうこの際、我が家が元々幽霊屋敷やお化け屋敷だったという事でも構わない。家守が『転移物』で、こちらに来てから家に成り代わったという方が問題有りだ。どちらかはっきりさせないと、私のミミックの内蔵疑惑が完全には消えないではないか。
「【さあな。そうとも言えるしそうでないとも言える。おれたちはそもそも現に存在するものではない。この珍妙な口寄せ巫女のような者には感じられるかも知れないが、見えない気配のようなものだ。ただあちらでは出来なかった現への干渉がこちらでは出来る。出来るからする。ただそれだけだ】」
「わああ! 何言ってんのかさっぱり分からないっ!!」
がくり、とドロシーの頭が大きく傾いだ。
霊媒師の力を借りて現に現れていた家守が、眠ったか何だかでその気配を消したからだろう、私の手の中のアルウラネももぞもぞと動き出した。彼女は私の手から離れると何事も無かったように、葉を揺らしながらスタタタと何処かへ走って行った。
頭を上げ「ふうう」と息を吐き出したドロシーの顔を覗き込んだ。
「ドロシーさん大丈夫ですか?」
「平気よぉ。でもなかなかに強烈だったわねぇ。久々に疲れたわ」
「話していた内容は覚えているんですか?」
「モチロン。霊を降ろすというのは彼らに主導権を渡して、自分は部屋の隅っこで観察しているようなものなのよ。言いたいことが済めば大抵の霊は出ていくし、そうで無い質の悪いものは強制的に追い出して祓っちゃうけどね。そういう力があるのよ霊媒師には」
「あの調子では、以前アレクシアが言っていたように『タクミの指示に従う』かどうかは怪しいな。タクミだから守るのではなく、家の住人だから守るという雰囲気だった。そもそも人間には大して興味はなさそうだったな」
「何だか微妙に話も通じてませんでしたしね」
「それは家守が人の道理から外れたものだからよ。あれは付喪神に近いわね」
「付喪神って?」
「歳を経た道具に宿る精霊みたいなものね。精霊っていうと綺麗なイメージがあるけど、付喪神はどちらかというとやっぱり妖怪だわね」
だわね、と最後まで言い終わらないうちにドロシーの姿が客間から掻き消えた。
直後どすんという音と共に、庭で「痛ああい!」と悲鳴が上がった。
縁側を挟んで庭に面している客間の障子を開けると、雑草がなくなって剥き出しになった地面の上に、ドロシーが尻餅をついている姿が目に入った。それを唖然と眺めている私とローガンの後ろで、アーチボルドの大爆笑が聞こえる。
「何なのよぉ! 身体を貸してやったのにこの仕打ち! やっぱりアレクシアの所にある物なんて碌なもんじゃないわあっ!!」
それでもアーチボルドのように『オーロラの彼方』に飛ばされないだけマシだと思われる。
今回のNGワードは『妖怪』。
どうやら家守には妙なこだわりがあるようだ。
家の意思の正体がはっきりしたが事態はこれまでと何ら変化せず、これからもゲートを通り異次元から厄介な転移物が出現し続けるのだろう。私に安寧の日々が訪れるのはまだまだ先の話のようだ。
「この有様では家守をコントロールなど出来そうもないな」
「そですね」
目の前の庭で悪態を吐くドロシー、ひいひい言いながら客間で笑い続けるアーチボルド、それに加えアルウラネの楽しそうな歌声も玄関の辺りから微かに聞こえ始めた。アルウラネは先程中断した『遊び』を再開したのかも知れない。
現場はなかなかに混沌とし始めていたが、相変わらず平静を保っているローガンの隣で、私はアレクシア様に強制的にさせられそうだった『魔女の修行』とやらから逃れられそうな予感に、人知れずほくそ笑んだのだった。