その名はアルウラネ
朝八時。
一般的な公務員の就業開始時間は朝八時半だが、今日は『一般的な仕事ではない』ので若干時間が早い。
「ローガンさん、今日はよろしくお願いします」
「ああ」
私とローガンの手にはギラリと鈍色の光を放つ得物が握られている。
ローガンの表情……はいつもと変わらないが、心なしか面白がっているような気がしないでもない。一方の私はといえば、これから始まる戦いの果てしなさを感じ、遠い目をしていると思う。
──それはこの場に駆り出されている調査員有志諸兄も同じだろう。
さて。戦いに挑む私の出で立ちは、いつにも増して軽装だ。
つば広の麦わら帽子、長袖Tシャツにジャージに長靴。首にはタオルが巻かれ、得物──草刈り鎌──を握る手には軍手装着、という完璧な草刈りスタイルである。サブウェポンとして先っぽが二股に分かれた草抜きグッズも装備している。
社畜なローガンも今日はスーツを脱ぎ捨て私とほぼ同じ格好をしている。
但し彼は長袖の私とは違い半袖のTシャツ姿だ。男らしい広い肩幅や、鍛えられた逞しい腕の筋肉の形がしっかり確認できる上に、厚い胸板が薄いTシャツで強調されていてどきりとする。
しかしローガンは、軽装にも関わらず標準装備のショルダーホルスターはそのままで、そこに鎌とは違う凶悪な得物がぶら下がっているのを目の当たりにした私は、先程とは違う意味でどきりとした。
ホルスターに納められているのは、猫又を爆散させた、例の対転移物用のどでかい拳銃だ。
「……作業し難くないですか?」
「問題ない。それに何かあった時鎌では心許ない。刃物が役に立たない転移物もいるからな。この間のゴキ」
「はい問題ないですねっ了解ですっ!」
咄嗟に言葉を被せたナイスな私。最後まで言わせてたまるかい。
今回の除草作業は、転移物の視認・確認・捕獲時に雑草が邪魔、という意見を何度か受け、ようやく行われる事になったものだ。
普通の官公庁ならばこの手の作業は業者に発注するのが通例だ。
しかし場所が国有地な上に特異点そのもので、未知な危険を承知で請け負ってくれるような民間業者がいない。それでどこをどう回ったのか、なんと自衛隊に話が行ったらしい。
彼らからは「庭の手入れは家人の仕事ではないのか」という至極真っ当な意見を頂戴した。
常日頃我が家に対して『国有地だ』『国の所有物だ』と言っている癖に──と思うところもあるが、言っても詮無いことだと諦めた。
そういう経緯があって家人が除草作業をする事になったのだが、一口に除草といっても我が家の庭は昔畑であっただけに結構広い。それはもう無駄にだだっ広い。
特異点への影響が未知数な為、除草剤等の薬剤の使用は禁止されている。ならば草刈り機を使用すればいいようなものだが、単純にその手配が間に合わなかったのだ。
それでやむなく昔ながらの方法、『人力』で作業する事になった。
その時点ですっかりやさぐれていた私は、「いくらなんでもひとりじゃ無理だ」「やってられるか」とぶうぶう文句を垂れた。
ローガンが「手伝おう」と名乗りを上げてくれたが、それでも無理だとぐずると、アレクシア様が「機械がなくても人手はある」と人海戦術を提案したのだ。
転移物に慣れているということで、調査員たちに白羽の矢が刺さった。
上司であり『魔女の館』の絶対権力者、魔女アレクシア様からの「やれ」という鶴のひと声だったが、調査員たちは渋った。当然だ。
特別な国家公務員の彼らにとって『草むしり』など、高い矜持が許さなかったのだろう、最終的にはくじ引きで参加者を決めたようだ。
グレーの作業服を着た調査員は四名、草刈り鎌のほかに四十センチほどの金属棒を持っている。彼らは嫌々参加しているという態度を隠そうともしない。
「皆さんも、今日はよろしくお願いします」
「………」
へんじがない。しかばねのよう、ではない。
最近研究所職員が私に対して塩対応なのは、チンピラ風な『有名人アーチボルト』を何処かへ弾き飛ばしたことが影響している。
因みにアーチボルドからは先日、衛星経由でやっと電話連絡が入った。彼はどうやら『極点』に飛ばされていたらしく、こちらに帰還するのにもう少し時間がかかるとの事だった。電話口で怒鳴り散らしていた修復師アーチー様はかなりご立腹だった。
ヤダナーアイタクナイナー。
一先ず頭の中から怒れるアーチボルドを追い出し、こっそりローガンに話しかけた。
「調査員の皆さんが持っているあの黒い棒はなんですか?」
「バトンだな。スタンガンだ」
「……スタンガンで雑草を刈るんですか?」
「雑草じゃない。転移物対策だろう」
「『何かが出る』こと前提ですか? そういうの『フラグを立てる』っていうんですよ」
「………あまり俺の傍から離れるなよタクミ」
「やだなあ。ローガンさんまでフラグ立てないでくださいよ、もー」
軽口を叩いたものの、武器らしい武器を持っていない私はさっとローガンに近寄った。
ローガンが鉄道草やセイタカアワダチソウなどの、背の高い雑草をざかざか刈っていく。社畜なローガンは今や草刈りマシーンと化している。凄い。
嫌々参加の調査員の面々もさっさと『仕事』を終わらせようとしているせいか、尋常でないスピードで草を刈っていく。
ローガンの後ろを着いて行きながら、私はエノコログサ (ネコジャラシ)などの比較的背の低い雑草を抜き、蹲み込んでローガンが刈り取った後に残った根っこや、地面にぺたりとへばり付くように生えるチチコグサや、黄色い花を咲かせたタンポポをほじくり返し、オオイヌノフグリの小さな青い花を見つけほっこりしていた。
おやこちらの花は鮮やかな紫だ。
──などど、必死な男性陣を尻目に私は雑草を観察しつつ、ほこほことサブウェポンを地面に突き刺していたが。
………うん? タンポポ?
タンポポは春でエノコログサは夏。
ここ数日暖かいが、今は秋の終わりの晩秋で初冬といってもいい季節だ。
これまでは『庭』としての認識しかなかったが、改めて雑草たちを見ると何かおかしい。
雑草は場所や季節によって生える種類が変わる。
だが庭には今の季節に咲くはずのない花が咲き、生える事のない草が生い茂っている。おまけに山間の田舎育ちの私が、これまで見た事のないものまで生えているのだ。
目の前のそれは、青々とした小松菜のようなの葉の根元に、紫色の茄子の花のようなものをつけている。
それでも雑草には違いないと、葉の根元をぐっと掴んで引っ張れば、思いの外するりと抜けた。
「うーん。葉っぱは小松菜で花は茄子、そんで根っこは……朝鮮人参?」
土が着いたままだがその根は白く数本に枝分かれしている。その姿はなんとなく人形でなんだか妙な具合だ。
しげしげと眺めているとふと手元に影が差した。いつの間にかローガンが私の掴んでいる雑草を覗き込んでいるのだ。
「……タクミ、それは庭に元から、こちらに来る前から生えていたものか?」
「さあどうですかね。私もちょっと見たことない種類です。面白い形してますよね」
「マンドレイクだ」
「あ、それなら知ってますよ。引っこ抜くと悲鳴をあげるっていうトンデモ伝説がある草ですよねー」
「こちらでは伝説じゃない」
「はい?」
「成長したマンドレイクは抜くとき大きな『音』を出す。タクミのそれは、まだ若芽のようだから音がしなかったんだろう」
「………はあ」
真面目な顔で語るローガンに突っ込むべきだろうか。音を出す時点で十分普通ではないのだが。
一体いつの間にこんなものが生えていたのか。
私は握りしめていた小松菜なマンドレイクを投げ捨てた。
そのままぺしょりと地面に落ちたが、ぷるりと震えると葉を揺らしながら二本の根で器用に立ち上がった。マンドレイクに顔は無いが、こちらをじっと見つめる様な仕草をした後、じわりと後退ると次の瞬間凄い勢いで走り出した。
呆然とする私を尻目に、マンドレイクの逃げた方向に先回りしたローガンがさっと捕獲する。持ち上げられた朝鮮人参な根がじたばたと踠いている。
「若芽には違いないが、これはどうやらアルウラネのようだな」
「アルウラネ、ですか?」
「見た目はそっくりだがマンドレイクの亜種だ。抜くとき音を出すのは同じだが、抜いた後動きまわるから捕まえ難い薬草だ」
「動く、薬草……?」
「煎じると『魔女の霊薬』の材料になるんだ。アルウラネは活きがいい分、マンドレイクより薬効が上がるらしい」
「Oh………」
そりゃあ動き回るくらいだから、確かに活きはいいだろう。
『煎じる』の言葉を理解したのか、ローガンに掴まれたままのアルウラネが物凄い勢いで暴れ出した。庭の除草作業メインなので、調査員たちも捕獲用の道具は持参していない。
何か (容れ物)ないか、ということで、今は使用していない糠漬け用のタッパーを家から持ち出し、そこにアルウラネを押し込んだ。匂いが残っていたのか、蓋を押し上げそうな勢いでアルウラネが悶えている。
「ごめんよー。我慢してね」
念の為逃げ出さないように、荷造り用のビニール紐も持ち出して、タッパーをぐるぐる巻にする。
がたがた震えるアルウラネ入りのタッパーを縁側に放置し、再び除草作業を開始した。
幸いその後何の異常もなく、参加者全員の勤勉な働きで正午を迎える前に作業は終了した。
調査員たちが解散する前に、自腹で用意していた六缶パックのビールを感謝の言葉とともに全員に手渡すと、彼らの表情が少し和らいだように見えた。やはり感謝の品は絶大な効果があるようだ。これを機に塩対応も改善してくれると有り難い。
もちろんローガンの分も用意していたのだが、彼は自分のビールを調査員たちに渡してしまった。
「俺はタクミの担当官だからな」
その理屈はよく分からないが、ローガンにはまた今度、お礼に食事でもご馳走させて貰おうと考える。
今回、調査員たちに『お願い』してくれたアレクシア様には、捕獲したアルウラネを献上しようと所長室へ持参したが、タッパーに密閉されていたアルウラネはすっかり元気を無くし瀕死状態になっていた。
微かに糠の匂いがしている希少植物を差し出されたアレクシア様は、美しい眉を顰めひと言「要らん」と仰られた。
ではこのアルウラネはどうしたものかと悩んでいると、アレクシア様はにやりと、悪い魔女の笑みを浮かべ私に言った。
「家人の手入れした庭に生えていた『ただの雑草』だ。家人が好きにしたら良い」
どうやらアレクシア様は、私同様、国の態度に思うところがあったようだ。
「煎じるのも良し、そのまま枯れさせるも良し。ああ、花を愛でるのも良いかも知れんな」
「ええー? このヘンテコな朝鮮人参の花をですか?」
小さな紫の花は可愛いが、得体の知れない『動く植物』などとても愛でる気にはならない。
口を尖らせて、ぐんにゃりしているアルウラネの根を突いていると、その根 (手?)が弱々しく震えながら私の指に絡み付いた。
「………」
そんな訳でアルウラネは現在、我が家の玄関に置かれた花瓶に大人しく挿さっている。
私が玄関を行き来する度に小松菜のような葉をゆらゆら揺らす様は、一世を風靡した『フラワーロック』のようで面白く可愛らしいが、このまま成長するとやはり大きな音を出すようになるのだろうかと、ちょっぴり心配している。