魔男と門の話・その2
特異点は日本固有ものではなく、実は世界の所々に存在する。
といってもそれはせいぜい一メートル四方の、非常に範囲の限定された小さなものだ。
大抵はそこだけ磁場が狂っていて長居すると気分が悪くなるとか、その場に踏み入れた者が姿を消してしまう所謂『神隠し』に遭うという些細なもので、日本の特異点のように異界から何かが出現するといったものではなかった。
何かが出現するわけではないが、危険な場所には違いない。
だがいくらKEEP OUTと柵で囲っても、好奇心旺盛な者の侵入が跡を立たない。勝手に侵入したとはいえ、その人物が神隠しに遭えば国や地方自治体が管理責任を問われ、不明者の家族から訴えが起こされ裁判になり賠償金などなど大金を毟り取られる事になる。
なんとも訴訟大国に有りそうなお話だが、かといって何もない場所に警備員を常駐させるのも人件費の無駄というものだ。
その他にも様々な理由から『ウィッチ』が特異点にゲートを創って鍵を掛け、そこを侵入不可領域に変えた。つまり特異点という名の落とし穴に彼ら彼女らがゲートという『魔術的な蓋』を施したのだ。
意外と簡単に対策の取れた諸外国のそれに比べ、日本に存在している特異点はかなり特殊だった。
特異点と呼ばれているが、日本のそれは『点』ではなく広範囲な『面』だったのだ。現在国有地になっている立入禁止区域の半径二キロ圏内のあちらこちらから、甲種乙種問わず様々な転移物が出現していたそうだ。
その広大な出現範囲を一か所に集約したのが日本の『ゲート』だ。
ゲート設置後の転移物の出現範囲は、以前の半径二キロとは比べ物にならない程──児童公園ほど──に狭くなったが、広範囲のものを集約したため強力な力場が発生し、ゲートを完全に閉じることが叶わなかった。
その対策としてゲートを囲むように魔女アレクシア様特製の『檻』が設置されたが、転移物は開いたままのゲートからぽろぽろこぼれ落ちるように出現していたのだ。
現在はその檻の中にみっちり詰まるように我が家が出現し、ゲートの上に鎮座している状態だ。
「それでだ。俺らウィッチが総力を上げて創った特製ゲートの具合はどんなもんだと見に行けば、ゲートの代わりにオンボロな家がおっ建ってやがるし中にも入れねえ。そりゃあ家主に苦情のひとつも言いたくなるだろうが」
それでさっきの『壁ドン』なのか。理由は分かったがそんなことより。
「ちょっ、ちょっと待ったあ!!」
私はローガンの隣の席で勢いよく挙手した。
現在私たち四人 (私、ローガン、魔女アレクシア様、魔男アーチボルド)は資料室に居る。
冷気と共に登場した魔女様の予定では、アーチボルドが着任の報告に所長室に訪れた後私たちを呼び出し、彼と顔合わせを済ませて我が家訪問、という段取りだったようだ。
だが、我が家の特殊な仕様──私の許可なく家の中には入れない──の書かれた資料を読んでいなかったアーチボルドが、いきなり特攻をかましたおかげでグダグダになり、魔女様が面倒臭いのでこのまま資料室で話をしよう、とアーチボルドの耳を引き千切れんばかりに引っ張り現在に至る、という訳だ。
なので私の正面、魔女様の隣に座っているアーチボルドの耳は魔女様の折檻のせいで真っ赤になっている。
「今さらっと流したけど、神隠しとか全然些細じゃないから」
「お前んとこじゃどうか知らねえが、こっちじゃ特異点以外でも物理的に人が消えるなんざ、珍しくも何ともねえんだよ。それに日本以外のゲートはもう鍵が掛かってて開かねえよ」
「物理的って……なんてバイオレンスな。マジですか? 担当官殿」
「マジだ」
ローガンが無表情のまま肯定する。
「おい! てめえこら何でローガンに確認すんだ」
「それは魔男さんがマックスで胡散臭いからです」
「魔男? 面白いな。これからは私もお前をそう呼称しよう『まおとこ』」
「そりゃあないぜアレクシア。ちゃんと謝ったじゃねえか。てかなんか違うニュアンスになってねえか?」
「タクミ。このあたりの話は初期のレクチャーにあった筈だが私の記憶違いか? ん?」
魔女様はアーチボルドを華麗に無視し、私に笑顔を向けた。ただし目は笑っていない。
しかしこれくらいは日常茶飯事なので、私もあははと笑顔で返答する。
「私はてっきりゲートと特異点は同じものだと思ってました。ゲートってそのまま『門』って意味だったんですね。成る程門扉付きなら、さっきの魔男さんの『鍵をかける』発言も納得です」
「うむ。そうだな、タクミは実際にゲートをその目で見たわけでなかったな」
「魔女様、因みにゲートってどんな物なんです?」
門といって私の貧相な脳味噌に浮かぶのは、武家屋敷や皇居の大手門だ。後は猫型ロボットのなんちゃらドアとか。あれも時空を超えるゲートのようなものだ。
「魔術で構築されたものだからな、物質的な意味で形というものはないが、ここのゲートは鳥居の形をしていたぞ」
「鳥居ってあの鳥居ですか?」
「そうだ。ここが日本だというので、ゲート製作者のウィッチがそのようなかたちに見えるよう創ったのだ」
「へー」
「どの位置からでも、例えば上空から見ても鳥居を正面から見たかたちに見えるんだ。資料を探せば写真が出てくる。後で見てみるといい。もしかするとタクミの知る鳥居とどこか差異があるかも知れないな」
魔女様の説明をローガンが補足する。ナイスコンビネーション、さすがです。
「そんなウィッチ渾身の至高のゲートを台無しにしたのがお前の家だぞ。分かってんのか?」
アーチボルドが私に人差し指を突きつけた。
指差しは一般的に失礼な行為だコノヤロウ。その指折ってやろうか。
「いいかげん執念いぞアーチボルド。タクミは好き好んでこちらに来たわけじゃないんだ。そんなことはお前も理解ってるだろう」
「んだよローガン、そいつの味方すんのか」
「当たり前だ」
おうふ。
ありがとうございます。今日のローガンは本物のヒーローですね。
「ローガン、魔男は放っておけ。話を戻すぞ。我々は当初、質量の大きいタクミの家土地が、ゲートごと特異点に蓋をしたと考えていた。実際約半年間は転移物の出現はなかった。だが最近の転移物の出現具合を鑑みるに、蓋をしたというよりは、タクミの家土地がゲートそのものに成り変わったのではないか、と私は考えているのだ」
「えっ」
魔女様の言葉を受け、アーチボルドがここぞとばかりに身を乗り出した。
「そこで俺様が呼ばれたわけだ」
「…胡散臭いセクハラ魔男がですか?」
「魔男いうな! あん時はプルプル震えてたくせに、お前意外と面白い奴だな。タクミとか言ったな、俺のことは『アーチー様』と呼んでいいいぞ」
「で、その魔男なアーチーは一体『何様』で?」
「……」
「……」
あ、あれ?
ローガンと魔女様がこちらを凝視している。
魔女様はアーチボルドと私の正面に座っているので視線がこちらを向いているのは理解るが、私の隣に座っているローガンも、しっかり私に顔を向けている。
魔女様がとてもステキな笑顔で、何故かアーチボルドの脇腹をぎゅうと抓った。
「何故だろうアートボルド。私は今お前を無性に虐めたいのだが」
「いでっ‼︎ もう虐めてるじゃねえか! 爪を立てんな千切れるっ!」
「魔女様⁈」
「アレクシアだ。『アレク』と呼んでも構わんぞタクミ」
「いや構いますって。もう! 何でそんなに名前呼びに拘るのかさっぱりですけど、分かりましたよアレクシア様」
「ふむ。まあそれで良しとしようか」
魔女様──アレクシア様が艶やかに笑った。先程とは違う本物の笑顔だ。彼女の隣に座るアーチボルドは「訳が分かんねえ」とぶつぶつ言いながら、抓られていた脇腹を摩っている。
鬼畜で腹黒くおっかない上司ではあるが、なんだかんだとこの半年間一番私の世話を焼いてくれたのはアレクシア様だ。彼女が心から喜んでいるのが分かりなんだか照れ臭い。
──と。
一見ほんわかと丸く収まったようだが、私の隣に座るローガンの圧が凄まじい。墓穴を掘るとはこういう事を指すに違いない。
………。
ブルータスお前もか。っていうか公私で使い分けるという事で話はついていた筈ではなかったのか?
できるだけ『個人』を意識しないよう、必要以上に親しくならないようにと考えていた。その方が『何かあった時』にお互いを切り捨て、忘れ去る事が簡単にできるではないかとの思いがあったのだ。
何せ私は、琥珀の王子様こと太郎・キンブリー・ヤマダの一件以来ずっと、この世界の人と深く関わるのが恐ろしかったからだ。
しかし。
「そんな睨まないでくださいよ……ローガンさん」
溜息を吐きつつ上目遣いにローガンを見上げ、私はそのままカチンと固まった。
「は? 笑ってる? あのローガンが?」
アーチボルドが私の心の内を代弁するセリフを吐いた。
今まで軽く口角を上げるだけの微微笑しかしなかったローガンが、私を見つめ目を細め笑っているのだ。
拙い。
顔を中心に上半身に血液が集まってくるのを感じたが、まるで金縛りに遭ったかのように笑顔のローガンから目が離せない。
「……なあアレクシア、こいつら何なの?」
「お前のようなガサツな奴には分からんさアーチボルド」
「ふうん」
その会話で金縛りが解け、私はローガンから視線を外し正面を向いた。
きっと顔が真っ赤になっているに違いない。その証拠にアーチボルドが私の顔を繁々と覗き込んだ後、にやにや嗤っている。くそう。
そういえばアーチボルドが呼ばれた理由はまだ謎のままだな、と私は赤い顔のまま彼を睨みつけた。