076 昔の俺とママ会秘話(※宗谷聡美の場合)
俺の誕生日。
レストランの個室で、真琴、裕子、リエの三人と食事を楽しんでいるときのこと。
「武人くんの小さい頃の話が聞きたいかな」
せっかくの誕生日だし、「なにか俺に質問ない?」と尋ねたら、そんな答えが返ってきた。
しかも、「これはアレだよね」「うん。誰が聞く?」と目線だけで、彼女たちはやり取りしていた。
俺の質問が想定の範囲内だったのか、それともあらゆるシチュエーションに対応できるよう、事前に準備していたのか分からない。
だが、その用意周到さが恐ろしい。
そのせいで、ついうっかり、「俺」の記憶の方を探ってしまった。
「小さい頃かあ……幼稚園のとき、一人でいる女の子がいてね。声をかけようと近寄ったんだ。そしたら他の女の子たちに囲まれちゃって……あのときは困ったなあ」
いまでも覚えている。鮮明に思い出せると言っていい。
七人くらいの女の子が腕を組んで、俺を取り囲んだのだ。
口々に「何すんの?」「近寄らないでくれる?」「せんせいに言いつけるよ!」と、憤怒の形相で俺を睨んできた。
幼稚園児の中で、俺は身体が大きい方だったし、じゃれてきた男の友人たちをじゃれ返して泣かしたこともあったりして、同年代の女の子たちから、乱暴者扱いされていた。
俺としては、そんな気はまったくなかったのだが、暴れて手のつけられない子が、女の子を泣かそうとしていると思われたようだ。
これは大変だ。だが、男の子は頼りにならない。
ならば数で攻めるしかないと、女の子たちが一斉に俺を囲んだわけだ。
なぜか俺が悪いことになり、みんなの前で謝った。苦い思い出である。
思い起こせば、あの頃からもうすでに、俺は女子と相容れない状況だったのだと思う。
「……やっぱり小さくても、女は女ね」
「就学前は、まだ異性を意識しないって言われているけど」
「ぜんぜん違うんだね!」
「あっ」
彼女たちの反応を聞いてようやく、俺は失態に気づいた。
ママ会秘話 ~宗谷 聡美の場合~
「幼稚園のとき、タケちゃんが親切で女の子に声をかけたら、周囲の子たちが放っておかなくて……あとで園長先生が家に来られて、しきりに頭をさげるのよ。あのときは困ってしまったわ」
「幼稚園児とはいえ、女ね」
「女の勘? 本能で、ここは引けないって分かるのよ」
「いいなあ。物心ついたときに、男の子が近くにいる環境って、すごく恵まれてるわ」
ここはとあるレストラン。
今日は久しぶりの『ママ会』の日。
集まったのは、中学三年時に同じ班だったメンバーの母親たち。
話題はいつも、子供たちのこと。
聡美はいつもせがまれて『タケちゃんネタ』をこの会で披露する。
母親は、子供たちのプライバシーなど、関係ないのだ。
今日は幼稚園時代の話らしく、聡美自身も当時を懐かしがるように、続きを語った。
「幼稚園って、小中みたいに学区があるわけでもないでしょ」
「そうよね。だから男の子が通う幼稚園は、軒並み倍率が凄いとか」
「先着順じゃないのに、若い申し込み番号を得ようと三徹とかするんでしょ?」
「そうそう。真冬なのに幼稚園前にテントが列をなすとか」
「ああ、あったわね、テント。だいたい地域住民の通報で追い払われるのだけど」
聡美は苦笑している。
当然、園の中で待つことはできないため、歩道で並ぶわけだが、数日も泊まれるような準備をしてくる者は、もはやキャンプと大差ない装備になってくる。
道路の無断占有と見なされるのだ。
「歩道にテント張ったら、そりゃそうね」
「毎回見に来るのも面倒みたいで、一番いいタイミングで追っ払うみたいよ」
その場は解散させられるが、それでもしばらくすると集まってくるらしい。
その姿はもう、稲架掛けした稲に集まってくる雀と何ら変わりない。
「そういえば武人くんって、どこの幼稚園に行ったの?」
「家の近所よ。男の子は多くないけど、こぢんまりしてて、上の子が下の子の面倒をよく見てくれる縦割り保育が特徴のところなの」
「やっぱり、近所の方がストレスが溜まらないのかしら。たまに一時間もかけて通う子の話とか聞くけど、毎日往復だけで大変よね」
「そうよね。ウチの場合、歩いて行けるところだったし、住宅街の中にあったから、あまり目立たなくて結構穴場だったって、いまでは思ってるわ」
「そうなのね。でも縦割り保育って変わっているわね」
「縦割りだから、上の子が絵本とか読んでくれるのよ。それも毎日」
「へえ、たのもしいわね」
「タケちゃんと同学年の子がそれを見てるでしょ。来年はっ! って感じで、年少さんなのに、一生懸命文字を覚えるんですって」
「あー……」
「あー……」
「あー……」
子供たちの恐るべき執念である。これは先生も楽ができるだろう。
「だからもう、家でも絵本を読んで、読んでって、せがまれたわね」
聡美の話を聞いた三人のママたちは、見てもいないのにその幼稚園の様子が簡単に理解できた。
きっと上の学年の女の子は、それはもうやさしく、感情ゆたかに絵本を読んだのだろう。
一生の思い出となるほどに、親身になって面倒をみたはずである。
そしておそらく、絵本を読む係すら順番か、見えないところで熾烈な争いがあったに違いない。
彼女たちは考える。
もし自分がそこにいたらどうだろうか。
やはり一生懸命文字を覚えて、家で何度も練習したに違いない。
男の子を独占できることに、それだけの価値があるのだから。
「幼稚園のときはそれでよかったけど、小学校にあがると一人になることもあるでしょ。防犯ベルを持たせてるけど、やはり何度か、大人に声をかけられてね」
「それって、高学年の人がいるときでも?」
「ええ。だから小学生のときだけで、何回電池を入れ替えたか」
「はー……そうなんだ」
「大変ねー」
小学校にあがると、男女ともに防犯ベルを持たされる。
そして低学年の男子には、高学年の女子が数名、登下校の付き添いをする。
もちろん、それでも一人になるときがあるし、高学年の付き添いといっても所詮は小学生。
大人から声をかけられたら、有無を言わさずベルを鳴らすよう、男女ともに徹底されている。
そもそも登下校中の男子小学生に声をかけるのは、何も知らない特区外から来た観光客がほとんどなのだ。
彼女らの話し相手をする義務はどこにもない。
小学生男子への声かけ事案はそれほど多く発生しない。なにしろここは特区なのだから。
それでも何度も防犯ベルの電池を交換したという話を聞いて、聡美以外のママたちは遠い目をする。
やはりイケメンは違うとあらためて認識したのである。
小学生のうちでそれなら、中学ではもっと注目を浴びたことだろう。
最後の砦である高校なら尚更だ。
よく自分たちの娘がと、どこかにいる運命の女神に、彼女たちは感謝を捧げるのであった。
当の女神が聞いたならば、「感謝は甘味で!」と言うだろうが。
幼稚園時代の話を聞かれて、つい「もとの世界の話」をしてしまった。
その後はテンパって、「ああ」とか「うん」とか生返事をしていたら、なぜか真琴たちは納得してくれた。
よく分からないが、危機は去ったと思う。
舞踊会館での立ち回りの影響が抜け切れていないのかもしれない。
もとの世界の技を使った反動で、あっちの記憶が強く出ているのだ。
「やっぱり武人くん、幼稚園時代から苦労していたのね」
「ほんとね」
なんとなく哀れみの目で見られていないだろうか。
彼女いない歴イコール年齢どころか、親しい女性の友人すらいなかったのだから、あの状態が俺にとっての普通。
つまり幼稚園時代だけが暗黒だったわけではない。
「じゃあさ、小学生時代とかどうなの? 女性に困らされたこととかない?」
「小学生? 女性に困らされたことねえ……ああ、あったな。防犯ベル鳴らされた」
下り坂を低学年くらいの女子が走っていて、なぜか俺の目の前で転んだ。
転ぶ直前、俺と目が合った気もしたが、相手は走っている最中だったし、気のせいだろう。
幸い、酷い怪我はしていなさそうだったが、膝をすりむいたようだったので「大丈夫?」と近寄ろうとした瞬間、防犯ベルのヒモを引かれた。
――ピ~~~~~!
鳴り響くベル。
泣きそうな顔の小学生女子。
近寄りかけた俺。
俺のニューロンが仕事をした。
その場から、一気に逃げ出したのだ。うん、あれはツラかった。
あれはたしか、まだ中学二年生のときだったと思う。
後日、「大学生くらいの大男が女子を襲ったが、防犯ベルに驚いて逃走」という不審者情報が近隣の小中学校に出回った。
担任の先生が「みなさんも、注意してくださいね」と言っていたのを覚えている。
不審者情報に書かれていた日時と場所が俺の記憶と合致していたので、大学生くらいの大男は、俺に間違いない。
だがついぞ、不審者として俺の名前が挙がることはなかった。
身体が大きいとはいえ、さすがに十三歳は違うと思ったのだろう。
それでも心の傷は大きかったとだけ言っておこう。
「心の傷は大きかったよ、本当に」
俺はしみじみと言ったあと、ほろりと涙を流した。
なぜか真琴たちも、もらい泣きしていた。
感想欄に「ママ会の様子が知りたい」とあったので、早速書いてみました。




