075 貴重な男子(※伊月高校1年1組の場合)
東京特区には、二つの共学校が存在する。
ひとつは進学校として名高い伊月高校。
特区内外から優秀な女子がこぞって受験する勉学の頂点校である。
そしてもうひとつが、文武両道を標榜する若宮高校。
ここへ通う女子は中学時代、勉学以外の何かで業績を残している。
この両共学校を並べて評するときには、智の伊月、文武の若宮と呼ぶ。
ちなみに男子は、その選考基準に当てはまらない。
その学校へ通うに相応しい人材だと、地元中学校からの推薦で決まるのである。
そう。拒否権のない推薦で……決まるのである。
GWが明けた五月のとある朝。
伊月高校一年一組の教室で、数人の女子たちが教室の隅に集まって、小声で話をしていた。
「ちょっといま、若宮に行った友達から、カイトメッセンジャーが来たんだけど」
「えっ? あのもう一つの共学校?」
「そう。なんか、ヤバいことになっているんだって」
「男性がらみ? だとしたら、拡散するだけで危険だよ」
「ネットにあげると、爆弾処理班が動き出すよね。そしたらすぐ特定されて退学……ああ、コワ」
「あれって自制させるための都市伝説じゃないの?」
「普通にお咎めなしなら、もっと男性絡みのネタがネットに上がってるって」
「あってもすぐ消えるから、だれかが消しているのは確実だよね。いつもカラURL踏むこっちの身にもなってもらいたいよ」
「それより、若宮の話だよ。どんなの?」
「そうそう、それ」
「はやく聞かせてよ」
彼女たちは周囲をうかがったあと、一層身を寄せ合った。周囲に聞かれていい話ではないのだ。
「えっとね、今年入学した男子がひとり、不登校になったんだって」
「えっ? もう?」
「マジで? それって最悪級の出来事じゃん」
「担任、詰め腹切らされるよ」(※註:強制辞職)
学校が始まってまだ、1ヶ月と半分ほど。
こんな短期間で男子を一人、不登校に追い込むのだから、なにか問題があったはずである。
「でもなんで? 学校だって、必死になるでしょ」
「そうだよね。車で送り迎えして、完全個室で授業くらいの手を打つでしょ」
「それが、心を病んで、診断書が提出されたんですって。だから従わざるを得ない感じ」
「ちょっ、おまっ!」
「最悪のパターンや!」
「腹かっさばいて、腸で縄跳びするくらい見せないと、収まらないでしょ」
「やあ、おはよう!」
突然、後ろから声をかけられ、彼女たちは1メートルくらい飛び上がった。
もちろん、実際に飛んだのは数センチほどだが、それくらい驚いたのだ。
「そ、そそそ宗谷くん、お、おはようございます」
「錦野さん、おはよう。今日はバスの運行時間が変更になっていたでしょ。大丈夫だった?」
「どど、どうして知って……らっしゃるのでしょう」
「班外交流のとき聞いたしね。西から通ってくる生徒は少ないから、気になってたわけ」
「ご、ご心配おかけ……かけかけ」
彼女は特区の中でも、西の端と言われるあたりに住んでいる。
今日は道路工事のため、いつものバスのルートが変更になり、運行時間が大幅に変わってしまっていたのだ。
もちろん事前告知はしてあるものの、朝のルーティンゆえにうっかりさんも多い。
「大丈夫だったらいいんだ。またね」
「は、はい。ごきげんよう」
去っていく男性の後ろ姿を見て、何人かの女性が「ほぅ」っと息をはいた。
みな言いたいことはわかる。
「貴重よね」
「貴重すぎて、どこにもいないと思う」
「天界から降臨した天使や」
「宗谷くんのネタがネットに出回らないのって、クラスの女子が一丸となって情報を漏らさないようにしているからよね」
彼は普段、班員を尊重して多くのことを彼女たちに任せている。
だが、こうやって他の女子への配慮を欠かさない。
男子の中には、愛でるだけで「視線が気持ち悪い」と言われることもあるのに、彼だけは「そんなに見られたら、脱ぎたくなっちゃうじゃないか」と軽口までたたいてくれる。
ちなみに実際に言われた女子は鼻血を出してぶっ倒れた。
何を想像したのか、あえて聞くまでもない。
そのとき彼は「こんなことになるとは……一度言ってみたかっただけなんだ」と謝っていた。
古今東西、そんなことを「言ってみたくなる」男性など、皆無であろう。
あまりに尊すぎるため、その場で数人の女子が膝をついて拝んでいた。
「……はあ、心臓が飛び出すかと思った」
「ほんと。でも今日一日、幸せになれそう」
「その精神病んじゃった人と比べると、雲泥の差よね」
「そうそれ! それでどうなったの?」
「この話って、まだみんな知らないでしょ?」
集まった彼女たちがゆっくりと頷く。
若宮高校で不登校になった男子が出たという話はまだ広まっていない。
少なくとも、彼女たちはだれひとり、聞いたことがない。
「診断書があるってことは病気なわけ。つまり病気療養でまずは処理しようということになったのだけど、男子がひとり教室から消えるわけじゃない。クラスの女子が騒いだのよ」
「あー、でも病気療養はいい落とし所ね。あとで補講すれば、どうとでもなるし」
「あたしは、読めてきたよ。クラスで騒いだってことは、ごまかせなくなったか」
「そうなのよ。で、不登校の理由を知らなかった女子にも伝わってね。戦犯探しが始まったわけ」
「戦犯なら、予兆を見過ごした担任かな」
「なんのための班員よ。普段から近くにいるんだから、問題が起きる前に動かなきゃ」
「……とまあ、そういう意見があちこちから出たんだけど、当然責められた方はたまったもんじゃないじゃない」
「そりゃそうね。男子を追い込んだなんて広まった日には、もう表を歩けないどころか、家族全員で特区外退去もあるわけでしょ」
「それが特区に住む条件だからねえ。男性が安心して住める街の特区で、男性を精神病にまで追い込んだら、普通に退去案件よね。というわけで、スケープゴートを出すことにした。だれだと思う?」
「「「特区外女子っ!」」」
「せいかーい!」
「そりゃ、分かるわよ」
「あたしでもそうする」
「特区外生の『心得ない』行動によって……という流れを作りたかったんだけど、ほらっ、あそこって結構スポーツ盛んじゃない?」
「盛んというか、何割かは、スポーツ推薦組だよね」
「体育会系の縦の繋がりがあって、それが結構バカにできないらしくて、安易に手が出せない状況らしく、いまそのクラスで特区在住と特区外生の対立がおこっているんだって」
「うわっ、天下分け目か」
「雰囲気最悪って感じ?」
「暴発した瞬間……つまり公になった瞬間、だれか、もしくはどこかが処分されるから、動くに動けない。もう決壊ギリギリのラインで止まっている感じらしい」
「…………」
「…………」
「…………」
「どう思うって聞かれたんだけど、どう返したらいい?」
「「「ノーコメントでっ!」」」
彼女たちが視線をやれば、班員の女子と楽しそうに話す先ほどの彼の姿があった。
彼と班員との距離は、嫉妬するほどに近い。
それでも彼は、一切嫌がる素振りを見せないのだ。
「あの班員たち……特区外生なのよね」
「特区外生にも優しく話される男子」
「「「「やっぱり、貴重だわっ!」」」」
彼女たちの心はひとつになった。




