57.5 タクシーの中(※宗谷亜紀)
無人タクシーは、南地区の舞踊会館に向かっている。
宗谷亜紀は、隣に座る女性を盗み見た。
背中まで伸びた黒く艶やかな髪は、たっぷりと栄養を含んだかのように美しい。
容姿も整っている。モデルもかくやと思うほどだ。
しかも優雅な所作が堂に入っており、人に命令し慣れていると亜紀は感じた。
服の生地ひとつとっても、高級品であることが分かる。
自分たちとは生まれも育ちも違うのだと、並んで座っただけで分かってしまう。
祖母が「華族」と漏らした言葉も聞いた。
特区で華族の話はタブーではないが、テレビや雑誌、ネットでもほとんど扱われない。
かつてこの国を支配していた者の末裔。
そして今なお、地方で多大な影響力を持っている特異な存在。
亜紀はその程度のことしか知らない。学校でも教えてくれないからだ。
実際、これまで一度も会ったことがなかった。
(それがいま、隣に座っている……)
今さらながら、亜紀は緊張してきた。
「そなた、名をなんとする?」
「名前ですか? 宗谷亜紀といいます」
「亜紀とな。われは、紅家の眞世じゃ。見知りおけ」
「は、はいっ……紅家?」
「知らんのかえ?」
「す、すみません。不勉強で」
「まあいい。山名家を本流とした千葉国を預かる里見家は知っておろうな」
「は、はいっ!」
「それに連なる者のひとりじゃ。祖は源氏と心得よ」
「そ、そうですか。分かりました」
亜紀は日本史の授業を思い浮かべた。
(たしか、西は物部氏と藤原氏が多くて東海は平氏、そして関東は源氏勢力が主流だったはず……でも千葉国? 千葉県ってことよね?)
華族は権威と血筋に拘る傾向があるらしく、『氏』から『家』に変わってもそれは同じ。
平民が不用意なひとことを言い、切腹に追い込まれた話を日本史の先生から聞かされていた。
「亜紀とやらは学生かえ?」
「はい、そうです。高三です。来年、大学受験します」
「なるほどのう。そういえば、下々の者は学校に通うのじゃな」
「華族の方々は……通われないので……しょうか?」
「籍は置くが、通常は教師を招く」
「なるほど……もしかして大学も?」
「むろんじゃ。通う者もおるが、われらは忙しいゆえな」
「不勉強でして……忙しいとは?」
「しきたりを覚え、教養を受け、伝統文化を継承し、古典に通じ、儀式に参加せねばならん。昨日は和歌を催す会があった。今日は舞踊よ。明日は下々のために豊穣の祈願をせねばならん」
「はあ……大変ですね」
聞けば、千年以上前から続けている国事もあるらしい。
国事といっても千葉県限定らしいので、厳密には『県事』だろうが、昔はそれぞれ独立国であったため、そのようにいい表しているようだ。
このような儀式や式典は、増えることはあっても減ることはないという。
さらに各人が後世に残すための日記を書かねばならず、これは一般の人が考えている「その日行われた自分のこと」を書くのと違い、業務日誌に近いらしい。
日記は祖先のものが何十年分どころか、何百年分も保管されている。
過去を参照し、今を後世に残すことが華族の使命であるらしい。
それを聞いた亜紀は、自分にはとてもマネできないと思うのであった。
「大学は楽しいところなのかえ?」
「どうでしょう。とても楽しいと伺っておりますが、まだ通ったことはないので分かりません」
「そうか。あの男子は、おぬしの弟のようだが」
「はい。私の自慢の弟です……(ぴろーん)あっ」
「なんじゃ、いまの音は」
「カイトメッセンジャーの着信音です」
「聞いたことはあるの。供の者が使っておったわ。どのようなものが見せてみい」
「は、はい」
スマートフォンの画面には「いま何やってんの?」という文面と一緒に、猫が踊っているスタンプが貼られていた。
「これで会話するわけか。おもしろそうじゃの……おお、そうだ。われもやってみよう」
「はい?」
「どうやるのじゃ? われもできるのであろう?」
胸元から取り出したスマートフォンを掲げ、問いかけてくる。
「え、えっと……私がやれと? ……それ、お借りしますね」
案の定、カイトメッセンジャーのアプリは入ってなかったが、ショップからダウンロードしてインストールすればすぐに使えるようになる。
「このスマートフォンに入っているメールアドレスで登録されますので、あとはパスワードを設定して二段階認証をすればいいですので……はい、私がやります」
説明している最中に顔が不機嫌になってきたので、亜紀はすべての設定を代わりにすることになった。
パスワードは少し悩んだ末、先ほど聞いたフルネームを入れておいた。あとで変えてもらうことにする。
「できたかえ?」
「はい。終わりました」
スマートフォンを返す。
「ではやってみせるがよい」
早くしろとばかりに、目で訴えかけてくる。亜紀は仕方なく、自分のIDを送る。
「この『認証』を押せばよいのじゃな……おお、できたできた」
「いま二人だけの部屋ができましたので、この中でならば、他の人に見られることなく会話ができます」
「ふむふむ……やってみせい」
「はい」
亜紀は『見えてますか?』と送った。
「見えておるぞ。返信は……こうやればいいのじゃな」
少しして亜紀のスマートフォンにも『見えておるぞ』と表示された。
「これで大丈夫です」
「これでぬしとは、いつでも会話できるわけじゃな」
「はい……えっ?」
「ひょんなことから、友人ができた。うむ。今回の遠出は幸先のよいスタートを切れたようじゃ」
「えと……はい。光栄です」
戸惑っている亜紀をよそに、タクシーは目的の場所に到着した。
「世話になったな。これは礼じゃ。それと亜紀とやら、陪席の許可を出そう。心して受け取るがよい」
「ははあ、ありがとうございます」
一万円札を数枚渡され、亜紀が頭を下げている間に、彼女はタクシーを下りて行ってしまった。
「……陪席の許可って、なに?」
頭にハテナマークが浮かんだところで、タクシーのドアがバタンと閉まった。
紅家のお嬢様ですが、ようは里見家の分家ということです。
華族の中では下の方です。ぺーぺーですね。町ひとつに影響力がある程度と思ってください。
その町限定ですが地主ですから、不動産所得は月収1億円を軽く超えていると思います。




