056 幼なじみとの再会 (※宗谷里子の場合)
宗谷里子は、閑静な住宅街を抜けて、とあるマンションを見上げた。
田舎ではあまりお目にかかれない、セキュリティの厳重そうなマンションである。
里子が入口にあるオートロックシステムから室番号を打ちこむと、『やあ、待っていたよ』と、スピーカーから応えがあった。
ガラス扉のロックが外れ、里子はエントランスに進む。
エレベーターで五階に上がったところで、訪問先の相手である岡江理央が、両手を広げて待ち構えていた。
「久しぶりだね、リオちゃん」
「サトちゃんも、変わりないようだね」
互いに抱き合ったあと、ガツンと拳をぶつけ、再会を喜ぶ。
二人は、長野の田舎町でともに育った間柄だ。
里子は地元に残り、トラックの運転手になった。
一方の理央は、地元の大学院を卒業したあと、そこで講師として働いた。
その後、特区にある蒼蘭大学で教鞭を執ることになり、地元を離れた。
「部屋に行こう。今日は遅くまで大丈夫なんだろ?」
「まあね。ただし、酒はなしにしとくれよ。職業柄、もうずっと飲んでないんだ」
「それは張り合いがないね。だったら、私も珈琲にすることにしよう」
理央は笑って、友を部屋に招き入れた。
「……というわけで、地元は相変わらずだよ。最低限のインフラと最低限の人員。増えも減りもしない」
「景色も変わらないかい?」
「ああ、少なくとも、大きく変わったところはないね」
理央は遠い目をする。昔を懐かしんでいるのだろう。
ともに野山を駆けまわった。
二人はいま、同じ景色を思い浮かべていることだろう。
「もう十年以上、足を運んでいないなあ。遠くにあるわけじゃないのに、足が遠のくんだよねえ」
しみじみと告げる理央に、里子はゆっくりと頷く。
「来ない方がいいさ。あそこは昔とちっとも変わってない」
「いまさら、私の命を狙う者はいないだろうけどねえ」
理央は若い頃、『地方経済の活性化』をテーマに研究していた。
商取引において、華族の意向が最重要視され、ビジネスの中に古いしきたりや、独自のルールが介在することを問題視し続けてきた。
発表した論文がとある華族の逆鱗に触れ、若かった理央は、その非難を真正面から受けて立った。
世間知らずの華族と、大学講師の理央が論戦を戦わしたのである。理央に軍配があがるのは当然であった。
出るとこに出て勝負をつける方法も、華族にはあった。
身内の力を総動員すれば、白と黒を入れ替えることも可能である。
だが、そうはしなかった。華族はもっと別の方法……大学に圧力をかけたのである。
結果、理央は大学に居づらくなり、同時期に、当時住んでいたアパート周辺で不審者が頻出するようになった。
ゴミ捨て場で小火騒ぎがおき、車のブレーキに細工をされたこともある。
窓ガラスを破って、人の拳ほどの石が投げ込まれたこともあった。
身の危険を感じた理央は、学生時代の伝手を頼り、東京に出てきた。
その後、特区にある女子大の講師になり、准教授を経て、教授にまでのぼりつめた。
当時、仕事で日本中を飛び回っていた里子は、理央のおかれた状況を知るのが遅れた。
彼女が東京へ出ると決めた後に、ようやく知ったのである。
「あれさえなければ、まだ地元にいただろう?」
「そうだねえ。けど、こっちも悪くないよ。そういえば、教室で男性の悪口を言うとね、生徒たちが喜ぶんだよ。あれはすっぱいブドウなのかねえ」
「おいおい……特区でそんなことを言って平気なのかい?」
里子は意外なことを聞いたとばかり、目を開いた。
「ほどほどにしているから、心配いらないよ。それにそういう立場をとっておくと、便利なこともあるのさ。一部の学生は眉をひそめているけどね」
「ならいいけど、ほどほどにしなよ」
「分かってるって。ただ、あのときの研究はまだ続けているんだ。隠れ蓑にはぴったりだろ?」
その言葉を聞いて、今度こそ里子は本気で驚いた。
「いくら特区にいるとはいえ、目立つと華族に睨まれるよ」
「だろうね。でもまあ、発表するつもりはないからね」
そう言って理央は、片目をつむった。
「まあ、それならいいけど……」
「結局、研究すればするほど、現状を変えるのは不可能だって分かっただけ。発表なんてできやしないのさ」
打って変わって、理央は視線を下に向ける。
「やはり華族の力は強いかい?」
「それもあるけど、地方を再生させるには、人のエネルギーが足らないのさ。先頭に立って歩いても、後ろがついてこない。背中を押しても、歩みは遅いままだね。地方に住む女性たちがわれ先にと駆け寄るようなカリスマがある者が旗を振らない限り、机上の空論になることが分かった感じかな」
「我先にと駆け寄るようなカリスマを持った人か……地方じゃそれが華族だからね」
「そうなんだよ。華族の力を削いで、地方経済を正常化させようとしても、そもそも支配された者たちがゆがんだシステムに気づいちゃいない。どだい無理な話だと再認識させられたよ」
「それでいいじゃないか。一人で気負うことはないんだよ」
「そうなのかねえ。……どこかにいないかね。女性たちを引っ張って……いや、彼女たちが我先に駆け寄るようなカリスマを持った人が」
理央は窓の外を眺めた。
そこには見事な夕焼けが広がっていた。
「あら、お母さん、お帰りなさい」
「ただいま戻ったよ」
家に戻ってきた里子を聡美が出迎える。
すでに午後十時を回ろうかという時間だ。
「今日は泊まって来るのかと思いましたのに」
「十分話したからね。子供たちは?」
「アキちゃんはさっきまで勉強していましたわ。タケちゃんはもう寝たのかしら? ……そういえば、美奈代の都合がついたので、あさってBBQしますけど、いいですか?」
「そうかい。それは楽しみだ」
「それとタケちゃんですけど、お母さんの田舎に興味あるみたいですよ」
「ふうん? 武人は、一度もこっちに来たことがなかったか」
「タケちゃんは男の子ですから、やはりアキちゃんと同じようには、なかなか……」
「仕方ないだろうね。でも、田舎に興味を持ったか」
「……? どうしました」
「五年前に来たときと比べて、ずいぶんと変わったなと思ってな」
「一時期、女性不信になったんですけど、中三の班の人がとてもいい子たちでね。タケちゃんが明るくなったの。たぶん、そのせいですよ」
「そうだったのか。最近は身体も鍛えているようだし、心境の変化でもあったのかねえ」
「そういえば、朝早くのランニングを始めたのも、高校に入ってからなんですよ。自覚が出てきたんじゃないでしょうか」
「反対に亜紀の方は、ふぬけてしまったな。もう少しシャンとさせないと」
「受験がありますから」
「だからだよ。そればかりやらせちゃ、人格が偏っちまう。もう少し、いろいろなことを経験させたらいい」
「そういえば、お母さんに言われて、私もアルバイトを始めたんでしたね」
「役に立ったろ?」
「そうですね。働きながら美奈代の世話をして、受験勉強していたんですもの。あの頃は忙しかったわ」
「それでいいんだよ。亜紀には、一つのことばかりしないで、もっと視野を広く持つように言っときな」
「はい、分かりました」
「しかし……武人はどんな将来を選ぶのかねえ」
「さあ、私は無難に公務員がいいと思っているんですけど」
「どうだろうね。そんな小さなところに収まるようなタマじゃない気もするんだが……」
里子の予言めいた言葉に、最近の武人を思い浮かべて、聡美はしばし瞑目した。
いまの武人を見ていると、たしかにありえるのだ。




