005 自宅へ
記憶をたよりに細道を進み、森を出た。
ここはもとの世界のどのあたりなのかと、記憶を探る。
「千代田区、中央区、港区のあたりが特区になっているのか。ここは、その中でも海に近いあたりみたいだな」
大自然が目の前に広がっているので信じられないが、ここはれっきとした東京のど真ん中だ。
俺の住む家は、この先にある住宅街の中。
空気もうまいし、車も走っていない。東京でこんな景色が拝めるとは思わなかった。
目の前の光景にやや感動しつつ、俺は家に向かって歩いた。
住宅街には、立派な家が立ち並んでいた。どの家も庭が広く取られている。
「この辺りは、高級住宅街なんだな」
もとの世界であれば、タワーマンションなどが一種のステータスだが、ここは違う。
周囲を見渡しても、高い建物はない。存在していないか、高層階に住むのに価値を見いだしていないかだろう。
住宅街の中をしばらく歩いて、ようやく自宅に到着した。
「家が大きい……庭も広い」
自宅は大きな洋館だった。
なぜこんなところに住んでいるのか記憶を探ったら、ちょっと驚いた。
「タケくん、おかえり」
「ただいま、姉さん」
玄関に入ると、姉が出迎えてくれた。
家のセキュリティは万全で、敷地内にだれかが侵入すると、すぐに通知がくる。
これはだいたいどこの家でも同じだと思っていい。
俺には母と姉がいる。関係はどちらも良好。
父親はいない。母は、人工授精で俺たちを産んだようだ。
科学の発展度合いは、もとの世界と大差ないと思う。
ただ出産や子育て、それに人工授精に関わることだけは、もとの世界よりかなり進んでいる。
とくに出産のリスクはかなり軽減されているようだ。
それと身の回りの機械化も進んでいる。これは人口が少ないため、必要にせまられたゆえの発展だろう。
そして先ほど俺が驚いた、わが家がこんなに大きい理由。
どうやら俺は、母の妹家族と同居しているらしいのだ。
特区に住むには、金銭面でかなり無理をしなければならない。
叔母は特区に住む資格があるにもかかわらず、金銭的理由でそれが叶わない。
せっかく俺という男子がいるのだから、それを存分に活用しよう。
そう考えた母は大きな家を借り、叔母と二人の娘を呼び寄せたらしい。
ちなみに男子が家族にいる場合、税制面でかなり優遇されるため、母の負担は少ない。
これは、生活苦によって男子を売ったり、劣悪な環境に置いたり、特区外に住むしかなくなったりするのを防ぐためである。
その優遇措置をうまく利用して、叔母家族の住居もちゃっかり確保したあたり、なかなかやり手な母だと思う。
叔母も叔母で優秀らしいので、このへんは血筋かもしれない。
「タケくん、今日も北の森に行っていたの?」
「うん」
どこに出かけたか家族には話してあるが、詳しいことは何も告げていない。
一人になりたくて出かけているのが分かっているため、母と姉は静観してくれている。いい家族だと思う。
もっとも俺が携帯しているスマートフォンによる位置情報で、すべて把握されていると思うが。
それと叔母家族は、なるべく家で俺と顔を合わせないようにしてくれているらしい。これは叔母家族の配慮だ。
叔母には二人の娘がいるが、家の中で会えば挨拶する程度の間柄。
記憶によると、一緒に遊んだり、出かけることもないようだ。
母や姉とは出かけるので、向こうが遠慮しているところが大きいのだと思う。
叔母とは普通に話すが、二人の娘と話した記憶はあまりない。
小学生のちっちゃな女の子たちなので、この辺は、できれば関係を改善していきたい。
「明日はタケくんの入学式でしょ。今日は母さんも、早く帰ってくるみたい」
「へえ、珍しいね」
いつも帰りは深夜になっているのが分かるだけに意外だ。
「プロジェクトが一区切りついたって言ってたし、それでだと思う」
母は流通のオートメーション化を推進する仕事をしている。
特区の流通は一種独特で、母はそれの開発に携わっているらしい。
おそらくは開発関係だが、詳しい話は教えてもらっていない。ただ、部屋にあるプログラム関連の書籍と普段の言動から、推し量るのみだ。
実はこの特区内の地下に、巨大な『流通トンネル』が整備されているのだ。
もとの世界の地下鉄ほどには、作るのは難しくなかったのだろう。結構、網の目のようにトンネル網が整備されている。
そこで日夜休みなく、さまざまな物資が行き来しているのだ。
たしか百年ほど前のマンハッタン島では、地下に圧縮空気を利用したシューター網が完備されていたらしいから、そんな感じだろうか。
マンハッタン島のシューターは郵便物を届けるのがせいぜいだったし、よく郵便物がシューター管の中で詰まり、そのたびに地面を掘り返していたらしいので、結局使われなくなったようだが。
特区の地下にあるのはもっとハイテクで、完全に機械制御されたベルトコンベアの上を荷物が移動するようだ。
地上を大型輸送車が走ることが少ないのは、その功績といえる。
母たちが流通の効率化のため、日夜頑張っているのだから、頭が下がる。
「俺も将来、母さんみたいな職に就こうかな」
どうやらこの身体の持ち主は、かなり頭がよいようだ。望めば研究者にもなれるだろう。
「母さんは喜ぶかもしれないけど、タケくんは無理しなくていいのよ。中央省の特区管理官とかでもいいんだし」
「……そうだね。特区管理官なら、男性相手の仕事がメインになるからいいかもね」
ためしに将来について話を振ってみたが、やはり賛成はしてくれなかった。
男性が一般の企業で働くのは、精神的な面であまりよろしくない。
就職先として多いのが、役所の職員などのいわゆる地方公務員。
これには教師なども含まれる。
地方公務員の中でも、特区に関連した中央府に勤めている男性が多いらしい。
国家公務員に就職する男性がそれなりにいる。これは官僚も含まれるが、男性の政治家やその秘書などで独特の世界をつくっているらしい。
他には医者や芸術家、芸能人なども多い。
自営業もいるが、繁盛すると口コミで話が広がり、商売がやりにくくなるそうだ。冷やかし客が多いのだろう。
いずれにしろ、一般企業に就職したあと、数年で退職する男性が多いらしく、統計でもそれがしっかりと現れている。
姉はそれを知っているので、賛成しかねるのだろう。
「タケくんは、特区の中だけで働ける場所がいいと思うよ」
「そうすると、地方公務員かなあ……」
俺たち家族が住んでいるこの特区――東京特区だが、正式な住所として存在している。
同じような特区が他に三つ。仙台と大阪、それと博多にある。
ほとんどの男性は、四つの特区のどれかに住んでいる。
特区に住める女性はかなり少なく、男性一人に対して女性十人から二十人程度。
時代によって上限が変わってくるようで、いまはギリギリの二十人に設定されている。
もちろん許可証さえあれば特区外から通勤することも可能だし、所定の手続きをすれば、観光で中に入ることもできる。
別段、行き来禁止とかではない。
ゆえに日中は、特区外から通勤や通学にやってくる女性が大勢いる。
このような女性を制限する制度は、男性を過度に怯えさせない措置である一方、女性たちの競争心を煽る側面も持っているようだ。
特区には男性がおり、最先端の技術がふんだんに注ぎ込まれた住みやすい場所。
それなのに自然も豊富という最高の環境が用意されている。
女性はみな、特区に住むのを憧れる。
それが無理ならば、特区で働くことを夢見るのである。
ちなみに四つの特区のうち、東京特区が一番、住人が少ない。
早くから発展してきた東京は、残念なことにこれ以上、特区の面積を広げられないのである。




