003 人生を交換しました
「……ここは?」
目を開いたら、視界一面に緑が飛び込んできた。
葉をたっぷりと繁らせた大木が乱立し、日差しをこれでもかと遮っている。
鳥のさえずりが近くで聞こえる。ここは森の中だろうか。
目の前に小さな祠があった。
『どうですか? あなたはいま、宗谷武人くんになりました。記憶はどうですか? 混乱していませんか?』
女神に言われて記憶を探る。うん、問題ない。もとのモテない記憶と、この身体の記憶を持っている。
「大丈夫みたいです」
同時に、ここがどこだかも分かった。
ここは、この身体の持ち主が女性から隠れるためによく利用していた場所だ。
朽ちた祠をコツコツと一年かけて修繕し、いまの形にしたらしい。なかなか器用なことをする。
どうやら最近は、毎日ここで祈っていたようだ。
というか最後の記憶が、ここで一心不乱に祈っていたものだ。
これ、本人の承諾なしに身体を入れ替えただろ。
『よかった。記憶は大丈夫のようですね』
「ちゃんと前の記憶もあるし、この身体の記憶ももんだ……ん?」
なぜこの身体の持ち主が、女性たちから隠れてここに来るのか理解した。
たしかに彼はモテている。モテモテだ。それは間違いない。
イケメンで高スペックなのも女神の言った通りだ。
コミュ力はお察しだが、それは周囲に女性しかいないからで……。
『どうしました、武人くん?』
女神がニマニマと笑っている。
「女神、てめっ、ここ! 日本じゃねえだろっ!」
『まさか、ここは日本ですよ。武人くんの住んでいるのは東京ですし、げんに日本語を使っているじゃないですか』
さも心外だと言わんばかりに、女神がヤレヤレのポーズを取る。だが俺は騙されない。
「日本は日本でも、住所が東京特区になってるぞ。23区にそんな名前の区なんかねえ! そもそもこの世界、男女比がおかしいだろっ!!」
『それはそうですよ。ここは平行世界の日本ですから、多少の誤差はしょうがないですよ。すべて誤差です、誤差。あっ、でも明日が高校の入学式なのは変わりません。共学ですよ、共学。よかったですね!』
女神の言葉も、半分しか耳に入らない。たしかに嘘は言っていないが、大事なことを話してねーだろ、これ。
この身体の持ち主の記憶を探れば探るほど理解できる。そりゃモテるはずだ。
なにしろこの世界では、男が極端に少ないのだから。
「マジかぁあああああ!」
俺は絶叫した。
記憶を整理していくと、いろいろ分かってきた。
「そりゃ、人生を交換する相手を平行世界から探すわけだ。この世界なら、どんな男と入れ替わっても境遇に大差ないわけだし」
男女比がおかしいことで、社会がいびつになっている。
そのせいで、男の考え方ももとの世界と大きく違っている。
『そうなのですよ! ですからとても感謝しています。日に日にやつれていく武人くんを見るのが、わたしはもう忍びなくて……』
女神はよよよと泣き崩れる仕草をするが、普通に嘘泣きだ。
確信犯的に俺をここに連れてきたことから分かる通り、この女神、相当なくせ者だ。
たしかにこの身体の持ち主は可哀想ではある。
春休みだからだろう。最近は日に三度、ここに来ては一心不乱に祈っていた。
このままだったら精神を病むか、自殺していただろう。それだけ本人は追い詰められていたといえる。
不憫に思ったのか、女神は本人の前に一度だけ、姿を現している。
だが彼は、女神を見て失神している。
薄れゆく意識の中に、ムンクの『叫び』もかくやと、慌てた女神の顔がある。
意識を取り戻したあと、本人は女性を恐れるあまり夢を見たと思ったらしい。
それ以降、女神は姿を見せていない。
そんなメンタルで、よく15歳までやってこられたと思う。
「中学時代は……普通に過ごせているが……ああ、そういうことか」
同じ班の女子に、かなり気を遣われている。
情けないことだが、渉外――つまり、他の女子との交渉はすべて班員任せで、接する女性の数を極力減らしていたようだ。
そして中学を卒業する前に、運命は残酷に微笑んだ。
男は無試験で高校に行ける。ただし行き先は選べない。
この特区には男子校、女子校、共学校があり、男性だけは行政による振り分けで、行く高校が決まる。
ごく少数の男だけ、共学校へまわされるのだ。
イケメンで高スペックがマイナスに働いたのだろう。
共学校へ回されるのは、容姿が整っている者が優先されるようだ。(※理由はお察し)
これまで家族に守られ、学校では仲のよい女子に守られていた。
凪の海の中にいたのに、いきなり荒波に漕ぎ出さねばならなくなったのだ。
その精神的ストレスは理解できる。
問題はそれだけではない。
『大学生と共学校の男子は、男性奉仕活動が必須なのですよ。武人くんはそれが心の重荷になっていたのですね』
女神が腕を組んで、うんうんと頷いている。俺の思考を読んだのだろうか。
男性奉仕活動、いわゆる奉活は、国が認める数少ない男性への義務なのだ。
大学では男性の卒業必須単位に入っているし、共学校も同じ。
卒業までに規定の回数をこなさないと「奉仕活動拒否者」と呼ばれる。
そうなると、規定回数をこなすまで卒業延期か、最終的に「奉仕活動辞退者」となって退学。
高校や大学を辞退退学した男性は、世間から後ろ指をさされることになる。
会社や学校に赴いて激励くらいできなければ、将来、女性ばかりの社会で働くことなどできない。
そう言われれば、たしかにその通りだ。
だが、この身体の持ち主にしたら、女性の群れの中に入っていくのが耐えられなかったようだ。
この奉活は昔、義務を果たさない社会人と大学生にのみに課せられていたのだが、女性諸氏の強い……それこそ血を吐くような必死の訴えによって、女性に免疫のある共学校男子生徒にのみ、限定的に開放されたらしい。
入学前にこれならば、たしかに女神もお節介を焼きたくなるだろう。
「いろいろ予想と違ったけど、モテは事実だし……まあいいか」
俺はそう思うことにした。
なにしろ、望まれて女性と話すなんて、俺にとってご褒美でしかないのだから。
これは「あらすじ」にも書きましたが、「やさしい物語」です。
もし現代の若者が、男女比がぶっ壊れた世界へ赴いたとしら、その人はどう過ごすんだろう。
そんなことを思いながら、世界を構築していきました。
世界がこうなった理由を考え、歴史を考え、社会を考えていくうちに「やさしい物語」の原型ができ上がりました。
こうなったらあとは、物語を進めていくだけです。
本作品では、彼と彼をとりまく女性たちの心の動きを丁寧に追っていきたいと思います。
できるだけ、ストーリーにリアリティをもたせてみました。
荒唐無稽な設定だからこそ、実際にそうなったらどんな世界になるのか、想像しながら書いています。
それともうひとつ。
これはモテない男性が、男女比がぶっ壊れた世界に行って、好き勝手生きる話ではありません。
なぜならば彼は、モテない者のツラさ、悲しさ、虚しさを知っているからです。
痛みを知っているからこそ、人はやさしくなれます。
そんな彼と彼女たちの物語を楽しんでいただけたら幸いです。




