272 姉の受験(3)
「起業して、活動できる基盤ができたら、みんながいる土地へ出かけようと思っていたんだ。みんなと会って話したかったんだ。だけど今日、思いがけず叶ってしまったみたい。繰り返しになるけど、言わせてほしい。来てくれてありがとう」
野外音楽堂のステージに立ち、客席をゆっくりと眺める。
彼女たちは、俺が大学受験のつきそいに来るという話を聞いて、わざわざやってきた人たちだ。
だからこそ俺が、みんなに会いに行きたいと言った言葉が刺さったようだ。
このあと、どんな言葉が飛び出すのだろうと、聞く姿勢に入っている。
「じゃあ、せっかくだから、少し話をしようか」
俺がいま使っているマイクは、スピーカーに備え付けられていたものだ。マイクはあと一本ある。
「染野さん。そのマイクを持って、みなさんの声を俺に届けてください」
「分かりました」
染野さんを使ってしまうことになるが、それは許してもらおう。
「俺が質問してもいいし、みんなからの質問も受け付けるよ。マイクを向けられたら、自由に発言していいからね」
いまから質問タイムだ。生動画配信でこれをやると、一番盛り上がる。
「俺と話したい人、手を挙げて!」
元気な声がこだました。
俺が質問したり、彼女たちから質問を受け付けたりして、一時間ほど過ごした。
彼女たちの話を聞いているうちに、俺は『あること』に気づいた。
――そう、気づいてしまった。
「もしかして、俺に来てもらいたくない? ……そういうわけじゃないんだよね?」
これは、一人の女性の言葉を受けて、俺が言ったこと。
彼女は、「実際に会えなくてもいい……見てくれるだけで十分なんです」と言った。
一体どういう意味なのか?
不思議に思った俺は、彼女にもう少し詳しく説明してもらった。
「私たちは、多くを望みません。本当です」
その言葉は、悲痛とさえ言えた。
彼女たちはすでに、『配偶者』を得ることを諦めている。
千人に一人しかいない男性は、特区に住んでいる。
そんな男性と出会い、恋をして結婚できるとは、彼女たちは、はなから思っていないのだ。
それは俺も同意せざるを得ない。
物理的に出会えないのだから、可能性はほとんどない。
だからこそ俺は、地方を巡って彼女たちと会いたい。会って幸せにしたいと思っていたのだが……。
彼女たちは、そこまで求めていないという。
来てくれるのは本当に嬉しいが、恐れ多いらしい。では、どう考え、何を望んでいるのか?
「私たちはそこにいるんです。それを知ってもらいたいんです」
特区の外に住んでいる彼女たちは、男性にとって透明人間だ。
いないのと一緒。生涯目に入らないのだから、存在していても、いなくても関係ない。
男性が特区の外に目を向けることはないし、特区から出ていくこともない。
テレビや動画でも、男性が特区の外に言及したこともない。
彼女たちはずっと透明人間のままなのだ。
なんて悲しいことを言うんだ。俺は涙が出てきた。
彼女たちは夫を求めているか? いいや違う。
会いに来てほしいと? それも違う。
彼女たちはただ、『男性に知ってほしい』だけなのだ。目を向けてほしい。ただそれだけを望んでいる。
なんて健気で、なんてささやかな願いだろうか。
「分かった。キミたちの気持ちは、よ~く分かった! 他の男性が見ないんだったら、俺が見るよ。……いや、俺だけじゃない。他の男性だってキミたちがちゃんと存在しているって、知ってもらう。時間はかかるけど、俺はそれができると思う。だからそんな悲しいことを言わないでほしい! いまは、俺だけは、キミたちの方を向いている! それを覚えておいてくれ!!」
俺はマイクに向かって、そう叫んだ。
彼女たちの願いが、ただ男性に知ってほしいだなんて、あまりにも悲しすぎる。
「さっき俺は、起業してキミたちの土地を巡るって言ったよね。名前はもう決まっているんだ。特区と地方を結ぶ……もしくは、俺とキミたちを結ぶ『架け橋』という意味をこめて『ハートブリッジ』と名付けたんだ」
彼女たちの中から『ハートブリッジ』という声が漏れる。
「キミたちに会いに行く計画……『ハートブリッジ・プロジェクト』だ。どうだい、いい名前だろ? 俺とキミたちはもう、橋で繋がっているんだ。まだ会社も正式にはできあがってないし、活動資金も貯まってないんだけどね。……あっ、今度、俺のポスターを販売するので、買ってくれると嬉しいな。売り上げを最初の活動資金にするつもりだから」
ポスター販売の宣伝を交えてみた。売れるといいな。
ここに来て、彼女たちの様子が変化した。
そこかしこから、『ハートブリッジ』ということばが聞こえる。
それが徐々に大きくなり、『ハートブリッジ』の大合唱となった。
――ハートブリッジ! ハートブリッジ! ハートブリッジ!
野外音楽堂の屋根を揺らすような音量で、彼女たちは叫ぶ。
みんな泣いていた。ステージからだとよく分かる。
彼女たちは大粒の涙をこぼしながら、声の限り、『ハートブリッジ』と叫んでいた。
「……というわけでさ、騒がしくならないよう、野外音楽堂に移動したんだよ」
あのハートブリッジの大合唱のあと、収拾がつかなくなって、待機していた警官たちが強制的に介入してきた。
俺は大学の会議室に戻り、集まった彼女らは解散させられていた。
その後、受験が終わり、姉と合流するまで大人しくしていた。
「そんな大勢の女性が周囲に……男性はタケくん一人だけ? 大丈夫だったの?」
「みんな素直だったよ。警官もいたしね」
「だからと言って……もう、今回の母さんの考えが理解できないわ。本当に!」
「いい宣伝になったし、俺は満足したけどね」
俺としては「儲けた」という印象が強い。
あと地方在住の彼女たちの声が聞けたのも大きい。
なんにせよ、収穫大な一日だった。
ほくほくしながら家に帰り着くと、美奈代さんがいた。
「あれ? 今日は早いお帰りですね」
しかも普段、こっちのリビングにはいないのだ。珍しい。
「武人くん、一体何をしたの? 姉さんが倒れたって、萌から連絡もらって、すっとんで帰って来たのよ」
「えっ!? 母さんが倒れたんですか?」
「いま、ベッドの上でうなされているわ。タケちゃん、タケちゃんがって、うわごとのように」
「…………」
あれ? 何かおかしいなと思っていると、姉がこっちを見てきた。
「ねえタケくん……私、母さんが倒れたことに、心当たりがあるんだけど」
「そう……? ちょっとトイレに」
美奈代さんの横をすり抜けようとしたら、姉に腕を掴まれた。
ゆっくり振り返ると、姉は片手でスマートフォンを操作している。
何かを打ち込んでいるようで、すごい速さで親指が動いている。
「えーっと……疲れたなぁ……部屋に戻って」
逃げるなら、いまだ。
「タケくんは、ここにいなさい」
「はい」
魔王からは逃げられない。
しばらく待っていると、姉はスマートフォンをこちらに向けて、「これタケくんよね。なぜネットに今日のことが上がっているのかしら?」と、いい笑顔で聞いてきた。
「それはもちろん……宣伝のために俺が許可したからで、男性が載っている写真や動画は、本人の許可があれば……」
「知ってるから」
「はい」
姉と目を合わせないように、美奈代さんを見ていると……。
「武人くん、この動画はどういうこと? なぜこんな大勢の女性の前に立っているの? なにこれ、今日の話? これを姉さんが見たの? だから倒れたのね?」
とオロオロしはじめた。
「証拠はいっぱい挙がっているようだし、とりあえず動画の鑑賞会をしましょうか。そのあとでもう一度、説明してもらうわね」
「武人くん、私も聞きたいわ。こんな動画、私これまで見たことないのだけど」
「美奈代さん、それはですね……」
どう言い逃れようかと考えていると、萌ちゃんと咲ちゃんが、「動画ってなんですか?」「わたしたちも見ていいですか?」とやってきた。
姉さんと美奈代さんだけでなく、萌ちゃんと咲ちゃんもか。しかも囲まれた。こうなったら……。
もう、ど~にでも、な~れ~。
「第7章 はじまりたるハートブリッジ」のサブタイトルが、ようやく出てきました。
彼女たちとの心の架け橋になるといいですね!
第7章はもう少しだけ続きます。
それでは引き続きよろしくお願いします。




