269 姉の受験(1)
「「行ってきま~す」」
玄関口で、俺と姉は出発の声をかけた。ただし、家にはだれもいない。
母は少し前、仕事に出かけた。
このかけ声は、わが家のルールみたいなものだ。
「姉さん、電車で向かうんだよね?」
「そうよ。大学は電車で十分、駅から歩いて十五分ってとこかしら。駅から無人タクシー使えば五分くらいだと思う」
「了解、了解。俺は歩きで問題ないよ」
姉は今日、特区にある『女子大』を受験する。俺は、そんな姉の受験のつきそいだ。
なぜ、こんなことになったのかと言うと、昨晩……。
「タケちゃん。明日と明後日だけど、用事はないわよね?」
「えーっと……学校は休みだけど、課題はあるかな?」
伊月高校はいま、入試の後処理中。
合否が決まるまで、先生方は超忙しいのだ。
学校は休み……というか、登校自体が禁止されている。
絶対に間違えない処理をするのだから、そっちに集中してもらいたい。
その間、俺たちは家で課題をやるように言われている。
「よかったわ。用事はないのね」
いつになく、母の圧がすごい。
俺は戦々恐々としながら、ゆっくりと頷いた。
「明日と明後日、亜紀の大学受験があるのは知っているわよね」
「もちろんだよ。毎日勉強している姿を見ていたし、ギリギリまで志望校を悩んでいたのも知ってるよ」
姉は結局、特区と特区外の女子大を一つずつ受験することにしたらしい。
共学はさすがに諦めたようだ。本当にギリギリまで悩んでいたようだが、泣く泣く諦めていた。
「それじゃ、入試のつきそいお願いね」
「えっ!? 大学受験で弟が姉のつきそいするの?」
そんな過保護、見たことないのだが。
「タケちゃん……あなたは他人の受験を応援して、家族の受験は応援しないのかしら?」
「あ~……それはそうだけど、弟が保護者役って、聞いたことがな……はい、行きます」
なぜだろう、母の圧が(以下略)。
ということが、昨晩あった。
あまりに急な話だったので、あとで姉に聞いたら『心を鬼にして、タケちゃんを付き添わせることにしたから』とか言われたらしい。
心を鬼にしてとは、どういう意味だろうか。
姉と一緒に最寄り駅で降りる。
駅前は商店街が多く、これから通勤・通学に向かう女性が駅に向かって歩いている。
受験に向かう人もいるため、早朝なのに歩道が混んでいる。
「タケくん。やっぱり、無人タクシーを使った方がよかったんじゃない?」
「みんな使うから、並ぶでしょ。十五分くらいなら、歩いた方が早いって」
「でも、みんなこっち見てるよ」
「いいんじゃない? それより姉さん、時間は大丈夫?」
「余裕をもって家を出てきたから、問題ないわよ」
姉は、この日のために準備してきた。
時間からなにから、すべて頭に入っているのだろう。なんとなく、余裕がうかがえる。
昨日までの方が、よっぽど心配そうな顔をしていた。
「そういえば姉さん、今日は落ち着いているけど、吹っ切れたの?」
「だってタケくんが一緒に来てくれているのだもの。私の中で、受験の比重が下がった感じ?」
「それ、まずいんじゃないの? いまから試験受けるんだよね?」
「それくらい、平常心ってことだと思う。……周囲見た? 他の受験生の方が大変みたいよ」
姉に言われて周囲を見回すと、多くの人がこっちを凝視していた。スマートフォンを構えた手が震えている人もいる。
「そういえば大学って、全国から受験生が集まるんだっけ。生ではじめて男性を見たって人も多いのかな」
「そうだと思う。あの人たち、ちゃんと試験受けられるのかな」
さすがに試験が始まれば集中するだろう。するよね?
俺が原因で落ちたとかだったら、かなり責任を感じるんだけど。
大学に着いたら、別棟に『保護者控室』が用意されていた。「マジで?」と驚いたのは内緒だ。
姉に聞いたら、地方から上京した受験生の場合、保護者がついていることが多いらしい。
「荷物とか大変でしょ」とは、姉の弁。
たとえ一泊とはいえ、旅行ではなく受験しに来ているのである。
「必要ないかな?」と持参しないでやってきて「やっぱり持ってくればよかった」と後悔しても遅い。
特区で受験など、人生を決める一大イベントなのだ。
「まず要らないと思うが一応」なんて感じで荷物が増えるらしい。
結果、一人だと大荷物を抱えて受験会場までやってくることになる。
ホテルに置いておけばいいのにと思ったが、翌日は地元で試験を受けたりするらしく、朝イチでチェックアウトするらしい。
つまり、荷物持ちの保護者がいてはじめて試験に集中できるのだそうな。話を聞いてなるほどと思った。
「じゃ、姉さん。俺は控室の方に行ってるから」
「うん。終わったら連絡するね」
正門の先で姉と別れたのだが、なぜか姉は、他の受験生に囲まれていた。
さすが俺の姉、人気者だ。……でもなぜ?
「どーも、どーも」
保護者控室に入ると、ガシャン、ガシャンと、スマートフォンを床に落とす音が響いた。フラッシュモブの練習かな?
「この席、空いてますかね? ……あれ、みなさん何を見ているんです?」
「各学部の確定倍率が発表されたので、見ているのだと思いますけど……だ、男性の方!?」
「あー、そうなんですか。そういえば姉さんが、出願は入試四日前必着でギリって言ってったっけ」
確定倍率と言っていたので、おそらくこれまでは予想倍率だったのだろう。姉さんは教育学部志望だし、あとで俺もチェックしておこう。
「お、おおお姉様が、じゅ、受験なさるんですか?」
「ええ、そうなんです。今日、明日と受験なんですよ。だから明日も付き添いですね」
「えっ!? 明日ですか? 特区の入試は、ないですよね? どこを受けられるんですか?」
「えっと、新清大学だったかな? そこを受けるって言ってましたね」
「……ああ、なるほど。たしかに偏差値も近いですしね」
そんな話をしていると、周囲の保護者のみなさまが集まってきた。俺も人気者だった。
やはり、みなさん地方からやってきたようで、色々な話が聞けておもしろかった。
一緒に写真を撮ったり、情報交換したりと、姉には申し訳ないが有意義な時間を過ごすことができた。
「もうすぐ試験終了ですね」
俺がそう告げると、保護者のみなさんは一様にガッカリした顔を浮かべた。
「お名残惜しいですけど」とか「このまま時間が止まればいいのに」とか言っている。
娘さんが受験中なんだけど、時間が止まっていいの?
「それじゃ、さっき話した内容は、ネットとかで公開しないでくださいね」
「はい、それはもちろん! ……あの、知り合いに話してもいいですか?」
「それくらいならいいですよ」
みなさん、ご近所さんとか職場とかで、自慢したいらしい。
地方住まいなら、男性と出会う機会は皆無。
一緒に写真を撮ったならば、自慢くらいしたくなるだろう。
そんな話をしていたら、姉から連絡が入った。どうやら試験が終わったようだ。
「それじゃみなさん、お先に失礼します」
俺は保護者控室を出て行った。
みなさん、にこやかに見送ってくれた。
このとき俺は知らなかった。
保護者のみなさんは、ちゃんと約束を守ってくれた。
控室で話した内容をネットで公開する人は一人もいなかった。
彼女らは親しい友人に、今日あった出来事を話しただけだ。
家に帰って念のためにとネットで検索しても、受験生が書き込んだと思わしき「男性が入試の付き添いに来ていた」くらいしか、俺の情報は見つけることはできなかった。
「さて、明日は特区外の入試だっけ。姉さん、大丈夫かな? 今日は調子よかったみたいだけど」
そんなことを呟きながら、俺は就寝した。




