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【閑話】隠れ推し 花森杏奈の観賞生活(1)

 伊月高校一年一組の教室。いまは地理の授業中。

 花森(はなもり)杏奈(あんな)は、宗谷武人の姿を盗み見て、そっとため息をついた。


 杏奈はあろうことか、クラスメイトの男子を『推し』として認識してしまった。

 陰でキャーキャー言うのではなく、人生をかけて推し続けたいと思ってしまったのだ。


 休み時間、推しが隣の男子へ親しげに話しかけた。

 尊い、これはあまりにも尊いと、杏奈は無意識に鼻に手を当てた。


 以前、ぼーっと眺めていたら、鼻血が出てしまったのだ。

 推しを生で直視すると危険がいっぱい。


 斜め後ろから眺めるくらいがちょうど良いのだが、たまに尊い姿を発見して、血が逆流したりする。

 いまの席は、推しを見るのに最適で、だれも杏奈の行動に注意を払っていない。


「花森さん」

「はうっ!! い、いえ、な、なんでしょう?」


「挙動不審だけど、どうしたの?」

「なんでもないです、ええ。なんでも……」


 クスっと推しが笑う。

 杏奈は顔が赤くなるのを感じるが、もうこれはいつものこと。


 この推しは、クラスのモブにも無防備な顔で話しかけてくるのだ。

 噂で伝え聞いた男子学生の行動とは真逆。


 それゆえ杏奈は、もう一年経とうというのに、いまだ慣れずにいる。

 推しは「さっき聞いたんだけどさ」と、人好きのする笑顔を向けてきた。


 それだけで杏奈は卒倒しそうになるが、これまでの免疫が仕事をし、なんとか踏ん張れた。

「花森さんは毎朝、近所のゴミ拾いをしているんだって? すごいね」


「ああ……それは、なんていうか……徳を積むためです、はい」

「徳を積む?」


功徳(くどく)と言いまして、()いことをすると、あとで返ってくるといいますか……」

「ああ、なるほど。女神とかい……そういうのありか。俺もランニングしながらゴミでも拾おうかな」


 推しはふむふむと一人で納得すると、自分の席に戻っていった。

「……っつう! ……はぁ、はぁ、危なかった」


 会話が終わり、これまで意思の力で押さえ込んでいた心臓が高鳴り出した。

 額から汗が吹き出るのをみるに、今日はかなりヤバかったことが分かる。


 推しとの会話を無難に済ませるために、杏奈は自律神経すら操るのだ。

(……しかし、クラスメイトが推しだと、心臓に悪い。無事に生きて二年生に上がれるだろうか)


 推しは誰彼構わず、不意に話しかける。その行動は、とてもフリーダムだ。

 班員は何をやっているのかと小一時間問い詰めたくなるが、主導権は男性側にあるのだから、彼女たちにもどうしようもないのだろう。


(私のこの()()思いは、だれにも悟らせてはいけない。いつも通り、いつも通り……)

 杏奈は呪文を唱え、心を落ち着かせていく。


 他のクラスメイトと一緒に「カッコイイわよね~」「ステキよね~」と言い合えたら、どれだけよかったか。

 運命とは、実に残酷だ。


 入学式のあの日、杏奈は身だしなみに気をつかっていたために、教室に入るのが遅れてしまった。

 教室に駆け込んだとき、たまたま目にしたのが、推しだった。


 ――リンゴーン、リンゴーン


 頭の中で鐘が鳴り響き、天使が踊り、天空から光が差した。

 推しとの出会いは運命である。どれほど注意深く避けようとしても、人は運命には抗えない。


 結果、杏奈はこの重量級の思いをひた隠しにして、クラスメイトを演じてきた。

 ミーハーな女子生徒になりきることで、周囲どころか自分自身さえ騙そうとしたのだ。しかし……。


(話しかけてくるのよね……)


 なぜだろう。なぜ自分の推しはこうも無防備に他の女子へ言葉をかけるのだろう。そして自分にも。

 とにかく推しの行動が心臓に悪い。


 生涯かけて推し続けると誓ったのは間違いではなかったと、杏奈は思う。

 彼は推し続けるに足る相手だと、自信をもって言える。


 だがしかし、杏奈の考える推しは、遠くから眺めるもの。

 こちらが推しているのは気づかない、気づかせないもの。それが推しを観賞する際のマナーだ。


 それなのに現実はどうだ。推しの方からグイグイくる。

 心臓に悪い。悪すぎる!


 ファンと繋がるのは、事務所的にNGのはずだ。

 だがこの推しは、事務所をもっていない。あれ? いいのか?


 この辺はもう、脳がバグって、訳が分かっていない。

 一般人だから仕方ないのだ。だが杏奈は、「事務所はなにをしているの!」といつも憤慨している。


 夏のある日、体育後に汗の匂いを振りまきながら廊下を歩いていた推し。

 周囲の女子が色めきだつのにも気づかない推し。


 ついに鼻息荒く、顔を赤くした女子生徒が、推しの後ろからにじり寄ったことがあった。

 そのときは気づいた周囲の女子が飛びかかって事なきを得たが、だれがいつどこで理性の糸を引きちぎるか分からないのである。


 杏奈は思う。「無防備な推しも尊い」と思えたら、どれほどよかったか。

 事件が起これば、推しの笑顔が曇るかもしれない。


 ほんとうにやきもきさせると、杏奈は思う。

 事務所対応してくれと。……事務所はないのだが。


「花森さん、近いうちクラスの有志で校外清掃しようと思うんだけど、音頭取ってくれるかな?」

「はいいぃ!?」


「クラスの思い出作りってやつ? みんなでゴミ袋持って学校の周囲のゴミ拾いしようって話になったんだよ」

「………………」


 推しの行動は心臓に悪い。本当に悪い。

 とりあえず、後半は何を言っているのか、聞き取ることができなかった。


 後日、「白目むいてたけど、やっぱり気絶してたんだ」と友人に言われた。

 ガクガクと震えているのを『同意』と取ったようで、推しは「じゃ、一緒に頑張ろうね」と笑顔で去っていったとも聞かされた。


 もう一度、気絶した。



この『花森杏奈の観賞生活』では、推しを静かに観賞したい杏奈とグイグイくる推し本人。

幸せだけど、違うそうじゃない的なお話を楽しんでもらえたらと思います。

それでは引き続きよろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 「事情を知らない推しがグイグイくる」こうですねwww
[一言] 似たような重い思いを抱えてる娘は少なからずいそうだなあ 気絶までしちゃうのはこの娘くらいでしょうがw
[良い点] 神様を信仰してるけど、神棚を祀って、たまに参拝するくらいで十分なのに、この神様ときたら気さくに神託を下してくる、 みたいな感じですねーw
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