213 仲居さん
温泉からあがって部屋に戻ったとき、大事なことを思い出した。
「そういえば、仲居さんってどうしたんだ?」
この部屋に仲居さんがついていない。
なぜだ? ちょっと考えてみよう。
ここに来たとき、従業員たちから大歓迎を受けた。その中には、仲居さんたちもいた。
この旅館に仲居さんはいる。ではなぜ、俺の部屋に来ないのだ?
「宗谷様、なにか忘れ物ですか?」
部屋に入って、すぐに出てきたからだろう。警備の人たちが怪訝な顔をした。
「俺の部屋、仲居さんがいないんです」
普通、部屋に仲居さんがつくはずだ。そして設備の説明を一通りしてくれて、お茶を一杯、淹れてくれる。
「仲居は不要と伝えてあります。なにかご不便なことがありましたか?」
「不便というか、仲居さんがいないと、旅館に来た気がしないんです! 旅行の雰囲気を味わうためにも、いてくれるとありがたいんですけど」
「……少々お待ちください」
警備の人がどこかへ通信した。しばらくなにかを話している。
「仲居を手配しました。お部屋でお待ちくださいとのことです」
「そうですか! ありがとうございます」
部屋で待っていると、コンコンとノックの音のあと、「しつれいしまーす」と元気な声が聞こえてきた。
入って来たの20歳くらいの若い女性だった。ちょっと愛嬌のある顔をしている。
「本日と明日を担当させていただきます、山崎冬花と申します。よろしくお願いします」
「あっ、どうも。なんか催促しちゃったみたいですみません」
「いえいえ、待っていたんですよ」
「待っていた? 俺が呼ぶのをですか?」
「はい。きっと呼んでいただけるだろうと思って、ずっと待機していました」
「あっ、そうなんですか」
なんかこの仲居さん、距離が近い。
「いまお茶を入れますね」
テキパキと急須と湯飲みを出して、茶葉を入れていく。
その様子を眺めていたら、不意に扉の方を振り返り、しっかり閉まっているのを確認すると、仲居さんは小さく頷いた。
「……?」
ちゃぶ台に湯飲みが置かれ、俺と仲居さんの距離が近くなる。
彼女はそっと顔を近づけて……「久しぶりね、タケくん」と言った。
「……えーと、どちらさま?」
俺のことをタケくんと呼ぶのは姉だけだ。
そして目の前の仲居さんは、姉ではない。ではだれなのか。
「覚えてないかな? もう10年くらい前だものね」
10年くらい前というヒントに、俺は昔の記憶をさらってみる。
あの頃の知り合いは多くない。しかも俺のことを「タケくん」などと親しげに呼ぶ人は限られている。
公園デビューはしていないし、近所の女の子ではない。
一番可能性が高いのは、小学校なのだが。目の前の彼女は明らかに年上……。
「あっ、もしかして、トーカちゃん?」
「嬉しいわ、思い出してくれたのね」
ふわっと笑ったその顔に、見覚えがあった。
「やっぱりトーカちゃんか。その笑顔、記憶の通りだよ」
家庭で俺の面倒を見てくれたのは、特級ヘルパーの郁美さんだ。
そしてこのトーカちゃんは、学校で俺の面倒を見てくれた上級生のお姉さん。
俺が小学校1年生のとき、トーカちゃんは小学校5年生だったはずだ。
トーカちゃんが卒業するまでの2年間、俺は彼女に面倒を見てもらった。
「あの頃はまだ、同年代の女の子にそれほど嫉妬の目を向けられなかったけど、いまそう呼ばれると大変なことになるわよね」
トーカちゃんはふふっと笑う。
そう、彼女はトーカちゃんだ。
小学1年生に、同じ1年生男子の面倒を見ろと言われてもできるわけがない。
班員制度ができるのは小学校3年になってから。
小学校1、2年は、学校側が用意した補助要員が面倒をみてくれた。
そしてトーカちゃんは、俺の補助要員。
なんでも言うことを聞いてくれる優しいお姉さんだった。
「久しぶりだね。俺が抱っこしてと言ったら、また抱っこしてくれるのかな?」
当時、俺が両手を出すと、すぐに抱き上げてくれた。
「えーっと……いいの?」
「俺はいいけど……じゃ、久しぶりに抱っこしてくれるかな?」
多分潰れると思うけど。
「うーん……したいのはやまやまなんだけどね、山の方から監視している人がいると思うのよ」
そういえば、奥のカーテンが開け放たれていた。
もしかして、俺の着替えも見られていた?
「じゃあ、それは人目がないときにして、ちょっと聞きたいんだけど、どうしてトーカちゃんがここに?」
俺が真面目に質問したのに、トーカちゃんはプッと吹き出した。
「動画を見てまさかとは思ったけど、あのタケくんがねえ……あっ、わたしの話よね。中学まではそれなりに優等生だったのよね。だけど、高校からは通用しなくなって、卒業後は特区にいられなくなったから、ここで働いているの」
トーカちゃんはここで偶然働いていて、今回、俺が奉活に来ることが分かって、本当に驚いたらしい。
俺についての話は旅館の従業員ならだれでも知っているらしく、昔の記憶とのギャップに最初は戸惑ったそうだ。
「7歳の頃と比べられちゃ、かなわないな」
「それでね、女将さんにアピールしたの。普通の仲居さんなら普通の対応をされてお終いでしょう? けど、わたしならいい印象を残せるからって」
「それで俺の担当になったわけか」
「そうなの。女将さんも最初は半信半疑だったけど、タケくんの写真ならいっぱいあるからね。それを見せて信用してもらったわ」
「いつの間に俺の写真を……あとそれ、ネットに流すと大変だから気をつけてね」
小さい頃の写真は、俺が気づかないうちに撮ったものだろう。
小学校のときは、スマートフォンの持ち込みは不可だったけど、隠して持ち込んだのだろう。
改めてトーカちゃんを見る。
どうやら背は、俺がとっくに追い抜かしてしまったようだ。
ややタレ目なところと、柔らかく笑うところは昔とそれほど変わっていない。
仲居さんの着物を着ているから、それなりの歳に見えるが、俺より四歳上のはずだ。いま二十歳だと思う。
長かった髪はそのままだが、昔と違って結い上げている。
「変わったところと、変わってないところがあるね」
「そうでしょう? 七年も経っているからね」
俺とおなじ言葉を返してきた。
「それでさ、このあたりの観光名所ってどこ? このあと行きたいんだけど」
「それでしたら、近所をいろいろ案内できます。いかが致しますか、お客様」
「仲居さんが案内してくれるなら、一緒に行きたいな」
「ご要望とあらば、どこまででもお付き合いいたします」
というわけで、トーカちゃんとデートならぬ、観光名所めぐりが急遽決まった。




