200 体育祭(9)
スタートの合図とともに、50人が一斉に走り出した。
ザッザッザッと規則的な足音が響く。
体育の授業で走る場合、結構足音がバラバラになるのだが、これはきれいに揃っている。
一定のペースで走ることができ、周囲に合わせられる人が多いからだろう。
「これは思ったより、レベルが高いかな?」
そう感じたが、いまのところペースはゆっくりだ。
長距離走の場合、後半にダレないために序盤は抑える傾向がある。
まずは全体のペースに合わせて、途中から自分のペースで走る。後半にギアをアップさせる感じだ。
よくマラソンをすると息が上がって苦しいと言う人がいるが、それは酸素の供給がうまくできていないから。
後半に失速するのはこのタイプだ。
序盤、どれだけ抑えられるかが肝なのだが、スタートを見る限り、みなペースを掴むのがうまい。
「ならば少し揺さぶってみるか」
同じ一歩でも、男の俺の方がほんの少しだけ歩幅が広い。
本来、歩幅を広げるより、ピッチを上げる方が負担が少ないのだが、僅かな時間ならば問題ない。
跳び跳ねる感じを意識して、前に出る。
1キロメートルを過ぎたあたりで、先頭集団ができあがった。
ここで慌ててはいけない。自分のペースに戻し、しばらく我慢する。
ここから3キロメートルを過ぎるあたりまでは自分のペース。先頭集団に埋もれる感じでいい。
酸素供給を意識して我慢を続ける。一旦、酸素供給不足が続くと、それを解消させるのは難しく、デッドゾーンと呼ばれる「苦しい」時間帯が続くことになる。
「よし、ここだ」
全体のペースがまだ上がらないうちに、軽くダッシュして、トップにおどり出る。
引きずられて何人か追ってきた。
とにかく酸素不足にならないように注意しながら、ペースを調整する。
4キロメートル地点に到達する前に先頭集団が追いついてきた。
実はわざとペースを落として、息を入れていたのだ。
深呼吸10回分だが、一息つけた。あとは引き離すだけだ。
先頭集団が俺を抜きにかかる前に、再びダッシュする。
今度は全員が追ってきた。
「残り1キロだしな」
インターバルで息をつけたのが大きい。
歩幅を広くし、筋力で前に進む。
苦しい。息が上がってきた。
だが、先頭集団の半分が脱落した。彼女たちにしてみれば、ラストスパートが早かったのだ。
数百メートルのラストスパートを想定していたのだろう。俺はそれを読んでいた。
とにかく苦しいが、まだ俺の後ろに何人もの足音が聞こえる。
ここでペースを落とすわけにはいかない。
「残り400メートル」
姿勢を正す。顎が上がったり、身体を反らせたり、反対にうつむいたりするだけで、酸素供給がしづらくなる。
毎日の練習は裏切らない。筋肉はまだ行けると言っている。あとは息が続くかだけだ。
「我慢大会だな。だが、それならやりようがある」
どんなに苦しくても、ゴールまで我慢することだ。最後は、気合いがものをいう。
一瞬のことだった。俺の右側から追い抜く人がいた。
スタート前に周囲の女性たちから注目されていたあの成人男性だ。
発達した太ももをしていると思ったが、最後の伸びを見せてきた。
最後の最後まで、力を溜めていたのだろう。
「やらせるかっ!」
俺も短距離走のつもりでおいかける。残り200メートル。
もどかしい。身体が悲鳴をあげる。一歩一歩が、呆れるほど遅い。
気持ちばかりが先行し、男性との差がなかなか縮まらない。
駄目か……と思ったとき、少しずつだが男性との差が縮まった。
しめたと思ったとき、ひらめいた。
「これが若さか」
男性は四十代そこそこ。いくら鍛えているからといって、全盛期の体力、持久力は発揮できないだろう。
一方、俺はこれから伸び盛りの若い肉体。ここ一番での踏ん張りは、俺の方が有利だ。
「うぉおおおおおっ!!」
まだ追いつけると思った瞬間、勇気が湧いた。
俺が追い上げるのと同時に、男性のペースが落ちていく。
ゴール前で並び、そして……競り勝った。
直前までクーラーの効いた部屋で体力回復していたのがよかったのかもしれない。
男性はわずかに失速し、俺は最後の伸びをみせた。それが勝敗を分けた。
パンパンパンと三度、レースの終わりを告げる音が鳴り響いた。
「やあ、君はすごいね。本気を出したのだけど、敵わなかったか」
レース後、息を整えていると、男性がにこやかにやってきた。
「ありがとうございます。もう駄目かと思ったんですけどね、最後に抜けてよかったです」
「負けたけど、嬉しいね。これは本音だよ」
男性は俺と握手して去っていった。
握手したときゴツい手だった。それと手首のところだけ日焼けしていなかった。
5000メートル走は俺の優勝で幕を閉じた。
会場は大盛り上がりだ。
男性が1位と2位だったのも、興奮に拍車をかけたかもしれない。
「宗谷くん、おめでとう」
「ありがとう。みんなの応援のおかげだよ」
クラスメイトに囲まれた。
「一緒に走った人って、プロゴルファーの雲井尊さんでしょ」
「プロゴルファー……?」
「ええ、テレビでもよく出てるわ。結構有名な人よ」
「そうなんだ……」
彼の名前は雲井尊。体育祭の実行委員長の父親らしい。
そしてプロゴルファー。
男性だけのプロスポーツ競技はないが、男女合同ならばいくつか存在している。
リエの母親がやっていたフライングディスクもそう。
ゴルフも男女混合の競技らしく、日本のみならず、世界でも何人もの男性プロゴルファーが存在しているという。
尊さんもその一人というわけだ。
あの日焼けはそのせいなのかと納得した。
「現役のプロスポーツ選手かぁ。そりゃ、鍛えているわけだ」
全盛期の尊さんならば、絶対に勝てなかっただろう。
――ただいまより表彰式を行います。生徒はクラス順に並んでください
長かった体育祭も、ようやく終了する。
俺たち1年1組の順位だが、見事3位入賞を果たした。
1位と2位が3年生であることを考えれば、大健闘と言えるだろう。
このあと、教室で打ち上げが残っている。
学校の外へ繰り出すのは、さまざまな理由からよろしくないということで、今日だけは学校側も黙認してくれている。
お菓子やジュースが密かに……というか、堂々と持ち込んでの打ち上げだ。
「さあ、早めに片付けをして、打ち上げをしようぜ」
片付けは各クラスに割り当てがあるので、それを終わらせたクラスから自由下校となっている。
といっても、ほとんどのクラスが教室に残って打ち上げをするらしいのだが。
俺たちは手分けして片付けをし、実行委員に「OK」を貰うと、教室になだれ込んだ。
この辺のテキパキ具合は、4月の時点からまったく変わっていない。
「団結力あるよな」
俺がそう言うと、淳は「そうだね」と苦笑していた。
最終下校まで、あと2時間ある。
俺たちは、教室で存分に勝利の余韻を噛みしめた。
何にせよ、長い三日間が終わった。




