聖女宮の異変
それは夜と朝が入れ替わる頃の事。
突如、フリーダ王国王都の空に大きな雷が鳴り響いた。
それは咆哮にも似て、何事かと空を見上げた人々は驚きに絶句した。
空を覆う灰色の雲。
その雲間を真っ黒な蛇が泳いでいた。
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静かな寝息を立てる大切な人。
辛い後継者教育で落ち込んだ時も、思い通りに出来ず悔しかった誕生日会の日も、湖の帰りに賊に襲われた時もそばに居てくれた。今だってこんなに遠いところまで助けに来てくれた。大切な思い出を守ってくれた。
小さくて後をついてくるだけの女の子だったのに⋯⋯守りたいのに守られていたのだとレトニスはキャラスティの頰をそっと撫でた。
「まだ起きないの? はい、熱いから気を付けて。レトも本調子じゃないんじゃない?」
「リリー、ありがとう。俺は大丈夫。リリー達が庇護の力で守ってくれてるんだろ?」
「あー⋯⋯なんだか実感ないけどね。キャラを守れるなら信じてみようかなって」
温かい珈琲を渡しながらリリックはレトニスの隣に座りまだ目覚める気配のないキャラスティの頬をツンツンと突きながら苦笑する。
リリック、ベヨネッタ、レイヤーがキャラスティを抱き抱えたレトニス達と再会したのはほんの数時間前。
感動の再会もそこそこにリリック達は「試したい事がある」と唐突に祈り、レトニス達は「庇護の力」の加護を与えられた。
温かい流れを感じながらも一体何があったのだと首を傾げたレトニスに「これでランゼの力から守られるんだって」とリリックは胸を張ったのだった。
「私、狸なんだって。ベネは馬、レイは孔雀」
「たぬき⋯⋯うん。かわ、いいよね」
「レト、顔が笑ってるわよ」
昨晩、リリック達は「聖女」のパーティーへとレオネルが参加し、キャラスティがカレンと共にレトニス達が閉じ込められている塔へと潜入していた間、王妃ハミルネの呼び出しを受けて王宮に登城していた。
そこでハミルネから「貴女達から庇護の力を感じる」と言われたのだ。
なんでもリリック達にはフリーダが信仰するマーナリアを女神の元へ導いたとされる女神の眷属「狸、馬、孔雀」が守護に付いているのだとか。
そんな事を言われても正直実感はないし、なんとなく胡散臭いと現実主義のリリックは苦笑いしたが「面白いじゃない」とレイヤーが俄然やる気を出し、意外とノリの良いベヨネッタが「楽しそう」だと言い出してキャラスティの帰りを待つ間、三人で「庇護の力」を扱えるようになるのだとあれこれと試していた。
その結果、このフリーダ王国の加護のおかげか目に見える形で「庇護の力」が現れリリックは更に苦笑したのだった。
確かに、ランゼの不思議な力を目にして来たのだから今更なのではあるのだが。
「なんだか私まで妙な事になっちゃったな⋯⋯そりゃキャラにだけ辛い思いをさせたくないし、キャラを守れるなら良い事なのかな」
「庇護の力だってね。俺はキャラとリリーに守られて来た。リリーにピッタリだと思うよ」
「当たり前よ。私は──」
「姉だから。だね」
「そうよっ」
笑い合う幼馴染。二人は眠るもう一人の幼馴染を見て微笑んだ。その瞳は慈しみと愛情が満ち溢れ、早く目覚めなさいと語る。
「キャラは起きたのか? ⋯⋯なんだまだじゃないか。レトニス、替わろう」
「⋯⋯アレクス、お前絶対キャラに何かするから、嫌だ」
「なっ⋯⋯馬鹿を言うなっ、俺はお前じゃないっ」
「はいっ僕が替わるよ! 僕は安心安全だよ」
「いや、俺が替わるのが一番安全ではないか?」
「いやあ前世からの付き合いが長い俺が替わるのが適任だと思わないか?」
「⋯⋯私からしたらみんな危ないわよ」
「皆さん女性の寝顔を眺めるなんて、破廉恥ですわ⋯⋯」
「全員、向こうの部屋に戻りなさい。正気になったと思えばすぐこれなんだから」
騒がしく押し寄せる彼らに冷えた視線を向けるリリックとベヨネッタの後ろでポキポキと指を鳴らすレイヤー。それは自分達にとっていつもの事だと誰とも無く吹き出せば顔を見合わせて笑い合った。
そんな彼らを眺めてカレンはクスクスと笑い、カレンのスカートの影から「お前らには任せられない。僕様がキャラスティの面倒を見るぞ」と、レオネルがベッドへ乗ろうとすればレオネルの兄達、フリーダ王国王太子セルジークと第二王子ハルトールが「何故ベッドに入るんだ!」と叫びながらレオネルを慌てて止め、苦笑いを零した。
「⋯⋯見苦しい所をお見せした」
「いや、我々も⋯⋯」
アレクスとセルジークは肩を並べ気恥ずかし気に苦笑を交わす。
互いの立ち位置は攫った王子達と攫われた王子達だった。
彼らが「記憶の種」から解放されたと報告を受けたセルジークはこのレオネルの王子宮に駆けつけ開口一番にハリアード王国での愚行とランゼに抗えなかった己を謝罪した。ランゼに操られる屈辱を知るアレクス達はそれを受け入れ、今はもう互いの蟠りを一切水に流し信頼関係を築く段階へと変化している。
「我々はこれからの話をしなくてはなりません」
穏やかで柔らかい声。けれど強い意志が乗せられたセルジークの言葉に全員が表情を引き締め頷いた。
黒幕であるランゼは既に「災厄」へと落ちている。
いくらフリーダ王国が風火水土の加護が与えられる国だとしても、彼女のそれは加護ではなく悪魔の力そのもの。今まではただその力に翻弄されるだけだったが、カレンが「真の聖女」としてその力を解放した。それはランゼに対抗する希望の光。
そして、希望をより輝かせる存在。それがフリーダ王国で崇められている「聖女マーナリア」が信仰する「女神サクラギ」の魂を持つキャラスティだ。
「女神サクラギ」であるキャラスティの覚醒を待つ為にも、彼女を何としても守るのだとセルジークは告げた。
「皆さんが「記憶の種」から解放された事、私とハルトールがカレンによってランゼの影響から解放されたと気付かれるのも時間の問題です⋯⋯邪魔をされたとランゼは確実にキャラスティを狙って来るでしょう」
そう語り、セルジークは顔を曇らせた。ランゼに対抗する為にキャラスティを守る。それはキャラスティにハリアード王国とフリーダ王国を背負わせる意味を含むのだ。
「⋯⋯私は、キャラスティに背負わせて良いのか⋯⋯迷いがあります」
苦しげに零す兄達を見上げたレオネルはグッと手の平を握った。
兄達は「事」に対して多くの意味と責任を理解している。
キャラスティを「聖女」だと思った自分はフリーダを救ってくれと簡単に願ってしまった。
それがキャラスティに危険な役目を背負わせる事になるのだと考えもせずに。
俯くレオネルの頭にレトニスの手が乗せられ、顔を上げたレオネルはむにっとその頬を摘まれた。
「な、何をするっ!」
「俺は絶対にキャラを守り通すよ」
「でも! 僕様はっキャラスティが危ない目に合う事まで考えが及ばなかった。簡単に⋯⋯願って⋯⋯」
「レオネルはその時それが最善だと思ったからだろ? 俺は⋯⋯俺達はキャラにだけ背負わせる事は絶対にしない」
レトニスの優しい笑顔と真剣な眼差しにレオネルはくしゃりと表情を崩して抱きつく。
レオネルにとってはライバルのレトニス。悔しいけれどキャラスティを想う強さは認めてやるとレオネルは力を込めた。
「良かったねレト。レオネル様に嫌われてると思ってたのに。懐いてくれているじゃない」
「なっ、リリック! 僕様はっキャラスティにコイツらが相応しいか見定めているんだ。情けない奴らにキャラスティを任せられないからな!」
「そうだね。レオネルに認めてもらえるよう努力するよ」
希望が光っただけ。ランゼの力に必ず勝てる保証は何もない。
それなのにレトニスだけでなく、何故かアレクス達の表情には自信と余裕が見える。
彼らは信頼と信用に固く結ばれている。それを結んだのはキャラスティだ。
「ハリアードの方々は⋯⋯お強いですね」
「我々も、そう有りたいものだな」
「僕達もなれるはずです。彼らのように」
「この国を護り、導くのはセルジーク様とハルトール様。そしてレオネル様です。私は信じています」
「信じる」。カレンのその言葉にセルジークは微笑み、ハルトールは優しく目を細めた。
「なりたい」のではなく、「なる」のだ。彼らのようにと。
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そよそよと風に揺れる花壇の花とゆるゆると葉をなびかせる木々を眺めるサクラギは神秘的な微笑みを浮かべ、とても綺麗だった。
いつの間にかに現れた紅茶を手にしたキャラスティも同じように「いつもの中庭」を眺めて静かな時の流れにその身を委ねていた。
自分とは違う。けれど同じ。
言葉を交わさなくともサクラギとキャラスティは互いが一つなのだと理解している。
「⋯⋯あの子はとうとう落ちてしまった」
サクラギは表情を変えず呟いた。
「あの子はね、良く言えば向上心があったんだよ。けれどそのやり方は誉められるものではなかったかな。子供だからでは済まされない事をしていると気付こうとしなかった」
悔しそうに唇を噛むサクラギは眉を寄せて視線を落とす。
「私はあの子から「ブローチ」を取り戻したかった。あれはグンジがマナにあげたもの。グンジの気持ちが入った大切なものだから」
「そのブローチは今テラード様⋯⋯グンジさんが持っていますよ」
「うん。グンジが取り戻してくれたんだ」
「時代は違ったけれど、この世界にマナさんも生まれていました。いつか⋯⋯マナさんの元へ届けます、必ず」
キャラスティの真っ直ぐな瞳に見つめられ、サクラギは小さく笑った。
その笑顔がとても寂しげで、悲しそうにも見えキャラスティの胸がぎゅっと苦しくなる。
サクラギはすっと笑顔を消すと真剣な眼差しでキャラスティを見つめ返し、口を開いた。
「あの子がこの世界のランゼを「災厄」に落とした。私はこの世界を守りたい」
「だから私は「ランゼ」をリセットする」
「そう。「私」ならそうする──キャラスティ、貴女は私。私は貴女」
「私はサクラギさんです。私はキャラスティとしてこの世界に生まれて幸せですよ」
「うん。キャラスティは私だけれどキャラスティの幸せがある。だから──が──れて──から。それが私の役目」
「今、何て⋯⋯」
サクラギの言葉が風に掻き消され、「いつもの中庭」が霞み始める。
キャラスティが咄嗟に伸ばした手がサクラギと触れ合うと彼女は最後に優しく微笑んでくれた。
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「サクラギ⋯⋯さん」
キャラスティは手を伸ばした格好で目覚めた。
身を起こしてサクラギとの夢を思い返しながら彼女に触れたのだとぼんやりと手を開いてキャラスティは「あ⋯⋯」と声を上げた。
そこには今まで無かった五枚の花弁が円を描くように並ぶ痣が浮かんでいた。
「サクラ?」
「前世」の日本でも、この世界でも春を告げるサクラの花。そういえば「ゲーム」のパッケージにはサクラが舞っていた。
「サクラギさん、一体何を言ったのかな」
手の平に浮かぶサクラの痣。
キャラスティはぎゅっと握り窓の外を見る。どんよりとした雲が覆う空に言い知れない不安が浮かびベッドを降りようとしたところで開いた扉からリリックが顔を覗かせた。
「あ! キャラ起きたのね」
「リリー。ごめんね寝過ごしちゃったみたい。レト達は──」
「大丈夫。ほら」
そう言ったリリックの後ろ。安心したかのような表情のレトニス達の姿にキャラスティは安堵の息を吐いた。
「キャラ⋯⋯俺達を解放してくれて感謝している。起きても大丈夫か?」
「今回は僕達が助けられたんだね。ねえ「夢」を覚えてる?」
「そう言えばまだ互いの「夢」を聞いていないな」
「⋯⋯俺は絶対に話さないからな」
「珍しいなテラードが乗ってこないのは」
「⋯⋯そう言う時もあるんだよ。レトニスは話さなくていいからな。大体予想がつく」
「あ、うん。僕もいいかな」
「俺もいい」
「ああ、お前はお前だからな」
「お前ら、俺の扱い段々と雑になって来たな⋯⋯」
テラードが呆れたようにレトニスを揶揄うと同意した笑い声が上がった。相変わらずの彼らにキャラスティは嬉しくなりその頬が緩む。
いつも足手まといにしかならないと思っている自分が役に立てた。それがとても嬉しい。
「キャラ、動ける? 今、今後の話をしていたのだけれど」
「うん。まだ少し怠いけど大丈夫」
「失礼致しますっ!」
リリックが差し出した手を借りてキャラスティがベッドから降りた時だ。居室側の扉が勢いよく開かれ、レオネル専属近衛隊隊長ガイルが飛び込んで来た。
彼は息を切らし、怯えと驚愕の色を浮かべ、セルジークの前に傅いた。
「聖女宮に異変が起きています!」
「何があった」
「はっ。聖女宮が豹変しております。壁に荊棘が茂り、その上空には黒い雲。一帯が禍々しい霧に覆われているとの事」
ガイルの報告に一同が窓へと駆け寄った。聖女宮の方向は黒く染まり、不気味な雰囲気を放っていた。
渦巻く黒い気配と重い空気。それはまるでこの世の終焉を迎えたようで皆の顔色が青ざめていく中、キャラスティはサクラギの言葉を思い出していた。
──あの子はとうとう落ちてしまったか──
ランゼは「災厄」に完落ちした。
これまで悪魔はランゼの為に動き、ランゼは悪魔の力を使う関係。悪魔を「使う側」だったランゼ。それはあくまでもランゼの認識。
しかし、悪魔は悪魔でしか無く「災厄」を起こせるものであれば誰でも良い。つまり、「器」が必要なだけなのだ。
キャラスティは窓に張り付くように外を見つめると目を閉じた。
深く深呼吸したキャラスティはゆっくりと目を開くと窓から離れ、静かに振り返った。
「決着をつけなきゃ」
小さな呟きに全員がキャラスティへ視線を向ける。
キャラスティのその表情は覚悟を決めたもの。その凛とした美しさに誰もが息を飲んだ。
「私が行かなければならないの」
キャラスティの言葉にレトニス達は緊張に立ちすくみ、リリック達は肩を寄せ合い不安気ながらも強くキャラスティを見返す。
苦しそうに眉を寄せたセルジーク達と泣きそうに唇を噛むレオネル。キャラスティはふっと息を吐きさまざまな表情を見せる彼らを見回した。
「キャラスティ様⋯⋯」
恭しくキャラスティの前に傅くカレンに頷いたキャラスティは笑顔を見せた。
それはとても穏やかで優しく、女神のような笑顔だった。




