夢の中へ
風が運ぶのは軽やかな音楽。それから、美味しそうな匂いと何を言っているかまでは分からないけれど人の騒めく気配。
その風に、ふわりと懐かしい香りが乗っている気がした。
「時間がありません。急いでください」
執事姿のキャラスティを手招くのは、少しだけ緊張しているような何処か嬉しそうな表情を見せる水色の少女、カレンだ。
ランゼの時と同じように「初めて」だけれど「知っている」カレンの後を遅れまいとキャラスティは小走りで忙ぐ。
「レオネル様は大丈夫です。王妃様の加護がお守りしています」
コクリとキャラスティが頷けばカレンはにっこりと微笑んだ。
「ここです」
整えられた庭を抜け、クレマチスのアーチをくぐり立ち止まったカレンが指したのは高い所まで蔦が絡まる塔だ。
「今夜はここの守衛と使用人に睡眠薬入りのお酒を出しています⋯⋯良かったちゃんと効いています」
数時間だけですが。カレンはそう言って塔の扉を開いた。
この最上階に彼らが居る。
三日前の昼間に覗き見た彼らは記憶を書き換えられた状態だった。
カレンは夜の間、彼らの記憶は正常なものに戻っていると言った。そして、彼らに根付いてしまっている「記憶の種」に囚われているのだとも。
ざわりとした緊張にキャラスティは塔の最上階を見上げた。
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カレンとの出会いは昨日の事。
いよいよ「聖女」の宴を明日に控え、レオネルは母親であり王妃であるハミルネの元を訪れた。
まだ幼いレオネルはランゼの「魅了」の影響を受ける事なくいるが、万が一に備えてハミルネの加護を授かる為にだ。
静かに目を閉じ祈るレオネルにハミルネは優しい手つきで幾重にも加護を授け、その小さな身体を抱きしめた。
静かだけれど確かに愛情が込められた親子の語らい。それはお付きとして付いてきていたキャラスティ達にハリアードの両親を重ねさせ、その心に寂しさと温かさを思い出させる光景だった。
やがて、ハミルネは名残惜しそうにレオネルから離れると手を伸ばしキャラスティ達にも同じように加護を授けてくれると言ったのだ。
「クレア王妃はレオネルを抱きしめてくれたと聞きました。どうか、わたくしにも貴女達を抱きしめさせて」
手招いたキャラスティ達をハミルネは一人一人を強く抱きしめ加護を授ける。
じんわりと広がる温かさはハミルネの優しさそのものだった。
「貴女達に合わせたい者がいます──ハルトール、お入りなさい」
ハミルネの呼びかけに緊張が走った。
レオネルはキュッと唇を噛みキャラスティの手を握ったが、はっとしたようにその手を離した。
それはキャラスティも同じ。ハリアードでの聖夜祭でキャラスティとレオネルは手を繋ぎ「きっかけ」をセルジークに与えてしまった事で彼らは攫われたのだ。もし、ハルトールも「言葉」を与えられていたら⋯⋯この場で狙われるのはハミルネだ。
そんな二人の様子に「心配はいりません」とハミルネはハルトールを呼ぶ。
カツン、カツンと硬質な足音を立てて現れたのは澄んだ空のような色のその瞳に深い憂いを浮かべたレオネルと同じ金色の髪の青年。
ハミルネの傍らに立った彼はゆっくりと頭を下げた。
「レオネルが兄ハルトールです。我が国の憂いに巻き込んでしまい申し訳ありません──カレンこちらへ」
呼ばれた水色の少女が二人の元に歩み出るとキャラスティとレイヤーはわずかに身を硬らせた。
──彼女は⋯⋯続編の「ヒロイン」よね。
──ええ、でも「ヒロイン」は彼女ではないわ。
ハリアード王国での自分達の「ゲーム」は強制終了した。
しかし、ランゼはフリーダ王国で「ゲーム」を始めたのだ。それは続編の「ヒロイン」カレンの物語ではなく、ランゼが「ヒロイン」としての「ゲーム」を。
続編。その内容を浮かべたキャラスティとレイヤーの手の平に力が入った。
ハリアード王国での物語は「ヒロイン」が攻略対象者であるアレクス達と恋に落ち、意地悪なライバル令嬢を断罪する。
フリーダ王国での物語は「ヒロイン」がセルジークを始めとした新しい攻略対象者と「災厄」を討つ冒険をしながら恋をする。
ハリアード王国でライバル令嬢だったキャラスティ達は断罪後、咎人の地へと流され、旅の途中にその地へ訪れた「ヒロイン」と出会い、最後は「ヒロイン」の盾となりその命を落とす。それが、キャラスティ達悪役令嬢の役割。
好きな人に拒絶され、断罪されて追放されたのだから退場だけで良いのに。悪役は物語に必要だとしても追い討ち過ぎるだろう。
しかし、ランゼはハリアード王国での攻略を失敗した。キャラスティ達が「ゲーム」の通りにならないよう動いただけではなく、攻略対象者達もまたこの世界を生きる者として意思を持っていたから。そして、ランゼ自身も「ゲーム」のランゼではなかったから。
その事にランゼは気付かず、気付こうともせず⋯⋯自ら「災厄」になろうとしているのだ。
──ううん。既に「災厄」になってしまっている。恐らくランゼはそれを認めた上で「災厄」を取り込み操ろうとしている。
フリーダ王国へ逃亡してからのランゼは「聖女」を名乗りながらもその権力にものを合わせた街や聖女宮での振る舞いはこの国の人々が信仰する「聖女」からはかけ離れている上に、記憶を書き換える事ができ、加護の力を増大させるランゼのそれは彼女が「災厄」になった証明のようではないか。
キャラスティは隣に立つレオネルを見つめ、レオネルも真っ直ぐにキャラスティを見返して頷いた。
「カレンと申します。この様な形でのお目通り、申し訳ございません」
深々と頭を下げたカレンがその顔を上げると、何故か彼女は頬を赤らめ、瞳を潤ませワナワナと震えたかと思えばキャラスティの手を取り突然その前に傅いた。
「ああっ! 女神様! 私にも分かります! その御魂はまさしく女神様!」
「め、めが、み⋯⋯」
「⋯⋯落ち着きなさい、カレン」
呆気に取られたキャラスティに縋るカレンを引き離すハルトールの視線も何処か夢心地に細められキャラスティは苦笑いを返した。
しかし、興奮した様子のカレンは止まらない。
まるで恋する乙女のように熱く語り出す。
曰く、キャラスティは女神の生まれ変わりだと。
曰く、キャラスティは救世主であり、自分は彼女の下僕なのだと。
曰く、キャラスティこそが救世の女神であると。
──……これはどう反応すればいいの?
「カレン、気持ちは僕にもよく分かります。後で存分に祈らせてもらいましょう。その為にも我々は立ち向かわなくてはならない事があるのだよ」
「そうですよカレン。女神⋯⋯コホン、キャラスティが困っているではありませんか」
ハルトールとハミルネに窘められたカレンはハッとしたように目を瞬かせて俯いたが、再び顔を上げると両手を組み祈るようなポーズでキャラスティに祈る。
その表情は先程までとは打って変わって真剣そのもので、その様子に思わずキャラスティは背筋を伸ばしてしまった。
なんだかこの二人はとても厄介な気がする。いや、もしかするとフリーダ王国の国民や王族は皆そうなのだろうか。チラリとハミルネを窺えば二人と同じようにこっそりとキャラスティに向かって手を組んでいた。
「島の聖女に救国の少女、今度は女神だって。どんどんキャラに属性が増えるわね」
「レイ、面白がってるでしょ」
こそりと耳打ちしてきたレイヤーにジト目を向けると、レイヤーは肩をすくめて笑う。
「⋯⋯兄上は、聖女から「言葉」を受けていないのですか?」
不安気なレオネルの声。その言葉にハルトールは頷きレオネルの手を取った。
「レオネル、怖い思いをさせてすまなかった。僕に与えられた「言葉」はカレンが消してくれたよ」
「カレンが⋯⋯」
「僕達には正気を失わせられる「言葉」が常に与えられている。けれどカレンはそれを打ち消す加護を持っているんだ」
「それは⋯⋯まるで、聖女ではないか⋯⋯」
レオネルが唖然とカレンを見れば彼女はコクリと頷いて「私の話を聞いてください」と孤児であるその身の上から暮らしていた教会でのランゼとの出会い、何故「聖女」の力を持ちながら聖女を名乗る事なくランゼに仕えているのかを語ったのだ。
「私なんかがマーナリア様の化身である「聖女」のはずがない。そう思っていましたし、まだそう思っています。だから、ランゼ様に拾われた時、私は聖女様に会えたとその時は心から喜びました。しかし⋯⋯ランゼ様は本当に「聖女」なのか。その振る舞いに疑問が湧きました。そして、疑問はどんどん膨らみました。けれど、私は疑問から目を逸らし、偽りを崇めていた⋯⋯あの方の力、あれは悪魔の力です。ランゼは「聖女」ではありません」
「カレンは決めたのだな」
「はい。女神⋯⋯キャラスティ様にお会いしてもう迷わないと、決めました。私はもう目を逸らしません」
覚悟を決めたカレンの眼差し。それは、厳しさと慈悲の光。
カレンはレオネルの言葉に微笑んだ。
その笑顔は確かに聖女に相応しいものだった。
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それは一瞬のことだった。
カレンに連れられて塔へと入り、彼らの居る最上階の扉を開いたその直後。
目の前に現れたのは黒い影。それが何であるかを認識するよりも先にキャラスティは衝撃を受けた。
それは痛みではなくただ全身を包む冷たさと痺れ。
息苦しさに喉を押さえて膝をついたキャラスティにぬっと影が落ちた。
ゆっくりと視線を上げれば、そこには実体を持たない黒い靄の中に浮かんだ真っ赤な目にキャラスティは見下ろされていた。
──あぁ、これが「災厄」。
理解した時には既に遅く「災厄」はキャラスティに覆い被さって来た。
「……んぅっ! か、は⋯⋯」
首元に絡みつく何かに力強く締め上げられ呼吸が止まりそうだ。
手足を振り回してもその力は緩まず、徐々に意識が遠退き始める中、ふわりと風を感じた瞬間、温かさに包まれた。
「キャラスティ様! ご無事ですか!」
「カレン、さん⋯⋯」
「私が油断していたせいでっ⋯⋯申し訳ありません」
キャラスティを抱き締めるカレンの腕は震え、彼女の声もまた震えている。
そんな彼女を安心させたくて、キャラスティは笑おうとしたのだが、上手く笑う事が出来なかった。
怖い。苦しい。酸欠に視界は歪み、頭が割れるように痛い。
けれど、こうしている間にもまたあの黒い靄が襲ってくるのではないか。
キャラスティはふらふらとしながらも立ち上がった。
──我を望め──
頭の中に声が響く。
──憎め、妬め──
耳障りな囁きに吐き気がする。
──己の欲に溺れろ──
煩わしいその声。耳鳴りのように響き続ける声。嫉妬。憧れ。欲。何も手に入らない。何も報われない──。
──我が「聖女」──
「違う!」
飲まれかけたキャラスティは全身に力を込めて叫んだ。
その瞬間、耳の奥でプツリと音が途切れ、それと同時に眩しい光が部屋を満たした。
身体が熱い。内側から溢れ出る熱に動かされるままキャラスティは黒い靄を睨みつけ腕を横に払う。
弧を描いた軌道は弓を描き、そこに無いはずの弦の音を響かせると黒い靄は四方へ霧散した。
「キャラスティ様っ」
カレンは振り向いたキャラスティに目を見開いた。
この人は⋯⋯誰だろうか。
紫紺色の髪、少し吊り目の紫紺色の瞳はいつものキャラスティでも神がかったその表情は冷たさを感じる畏怖の美しさだとカレンは息を飲んだ。けれど、そう思った次の瞬間にはキャラスティはすぐに柔らかな表情に戻り部屋を見回して倒れているレトニス達に駆け寄った。
「カレンさん! みんなを!」
はっとしてカレンも駆け寄るとキャラスティは彼らの胸に耳を当て「大丈夫みたい」だと安堵の息を吐いた。
「でも、なんだろうコレ⋯⋯。ねえ、カレンさんは分かる?」
そう言ってレトニスの額に手を当てたキャラスティの手元を覗き込んでカレンは「あ!」と声を上げた。
その綺麗な額に「記憶の種」が浮かび上がっている。
「これは⋯⋯「記憶の種」です。これが偽りの花を咲かせるのです」
あの黒い靄は夜でも花を咲かせようとしていたのだろうか。だとしたら時間が無い。カレンの冷や汗が背中を伝った。
「花? それが咲く事でレト達の記憶が書き換えられるのよね? 浮かんでるって事は取れないかな」
「あっ」
カレンが止める間も無くキャラスティはヒョイっと「記憶の種」を摘んでしまった。
「触れるけど、んんーっ! 取れないわね。無理矢理取ったら穴開いちゃうかな? それは困るよねえ」
「⋯⋯キャラスティ様って⋯⋯結構思い切りの良い方なのですね」
ついさっき「災厄」から受けた攻撃に恐怖があるにも関わらずキャラスティは臆する事なく「記憶の種」に触れ、戯ける。
意外と肝が座っている。カレンはキャラスティなら彼らの「記憶の種」を取り除けるのだと期待を込めて微笑んだ。
「キャラスティ様は、やはり女神様の魂をお持ちなのです」
「⋯⋯だったら、良いのだけれど」
「絶対そうです! だって先程のお力は女神様そのものでした!」
「さっきの? あの靄を退けてくれたのはカレンさんでしょう? ありがとう」
カレンは唖然とキャラスティを見つめ「覚えていないのですか」と呟いた。
確かに黒い靄を退けたキャラスティは何処か別人のようではあったが無意識だったのか。
それでもカレンは確信していた。キャラスティはレトニス達に植えられた「記憶の種」を取り除ける。キャラスティには女神の力があるのだ。
「キャラスティ様、お願いがあります。彼らの意識の中へ入り「記憶の種」を取り除いてください」
「意識の、中?」
「さあ、祈りを捧げてください。夜明けまで十時間です。朝が来たらまた花が咲いてしまいます」
時計は夜の八時を過ぎを指している。この時期の太陽が上がるのは大体、朝六時。
「急がなくてはならないのは分かるのだけれど、ランゼが来たら⋯⋯それにさっきの「災厄」がまた来ないとも限らないのでは?」
「彼女はこの塔へは来ません。「災厄」も必ず私が退けます」
パーティーは日付が変わるまで開催され、パーティーを終えた後ランゼが塔へ来る事はない。
「災厄」も実体を持たないのを見るとまだ完全体ではないようだった。それならばカレンの力で抑えられる。
カレンの真剣な表情にキャラスティは頷き、両手を組んで跪く。
「彼らを想ってください。彼らはキャラスティ様を待っています」
──アレクス様、シリル様、ユルゲン様、テラード様⋯⋯レト。
キャラスティは静かに瞼を閉じた。
「キャラスティ様とみなさん⋯⋯思い出⋯⋯の⋯⋯想い⋯⋯導き⋯⋯いってらっしゃいませ」
カレンの声が遠ざり、キャラスティは深い暗闇に落ちていった。
ふわふわとして温く深い暗闇。ふと、柔らかい光を感じた。それは段々と広がっているようだ。
突然閃光のような強い光が差し、キャラスティは目を開けた。
「ここは⋯⋯」
丁寧に整えられた花壇とガゼボ。優しい風が通る穏やかな場所。
キャラスティは学園の最奥「いつもの中庭」に立っていた。




