行ってきます!
厳かな空気の中心で傅く金色の少年。
その表情は幼いながらも強い眼差しを輝かせ、その口は固く結ばれている。
彼は表向き「お忍び」で来国したフリーダ王国第三王子レオネル・フリーダ。
並ぶ大人達を精一杯の虚勢で見据えるレオネルをハリアード王国国王ダリオンは王座へと招くと、その手を強く握りしめ、王妃クレアはその小さな身体を優しく抱きしめた。
「気をつけるのよレオネル」
「──っ、はい⋯⋯っ」
「貴方もわたくし達の大切な「子供」。無事を願っていますよ」
縋ってはならない。自分はこの人達の「子供」を攫った国の王子なのだと涙を必死に抑えるレオネルをクレアは再び抱き寄せぽんぽんと背中を宥めた。
「貴方を信じます。息子達を頼みますね」
「はいっ」
顔を上げたレオネルはダリオンとクレアに頷くと背筋を伸ばし最敬礼をもって祖国フリーダへと出立した。
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レオネルの挨拶と時を同じくして王都の片隅で少女達が出立しようとしていた。
友人同士の楽しい旅行へと行くかのような装衣の娘達をよほど心配なのであろう、何度も抱きしめては涙を堪える親達。
そんな親達に少女達は笑顔を見せてはしゃいでいた。
親の心子知らず。遊びに行く子供達は親の心配などどこ吹く風なのだろう。
それは何処にでもある極普通の親子の風景だと人々に映り、微笑まし気に通り過ぎる。
時を知らせる鐘が鳴った。
少女達は頷き合い、尚も不安に立ち竦む親達に元気良く声を上げた。
「行ってきます!」
くるりと方向を変え、走り出した少女達。
彼女達は振り向く事なく真っ直ぐ南を目指した。
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まだ開店前のマッツとリズの店「ノース」ではしんみりとした空気が漂っていた。
「行ってしまったな⋯⋯」
店主の厚意で設けられた席で零されたジャスティン・ラサーク子爵の呟きに同意するように一同は複雑な表情で各々の娘を想い溜息を吐いた。
──あのキャラスティが⋯⋯両国を救う切り札⋯⋯か。
閉じたジャスティンの瞼の裏にたった今、笑顔を見せたキャラスティと、あの日のキャラスティが重なって浮かんだ。
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あの日、「聖夜祭」の夜。キャラスティはエミール・シラバート伯爵に支えられながらトレイル邸へと帰って来た。
静かな聖夜祭の夜を過ごしていた家族はドレスを焦がし右腕に火傷を負ったキャラスティの姿に驚愕し、何が有ったのか、何故レトニスが一緒ではないのか詰め寄ったが憔悴したキャラスティは首を振るだけで部屋へと閉じ籠ってしまったのだった。
当然、彼らの矛先はエミールに向けられた。
その場ではエミールも「まだ詳しくは話せない」と口を噤み、レトニスの不在を口外しない、詮索しない、キャラスティにも何も聞かないようにと釘を刺した。
「これは王命です」
王命。それはハリアード王国の貴族として決して違ってはならない命令。只ならぬ事態が起きたのは明白だが、何も聞くな、何も口にするな、何も詮索するなとの王命に従うしかなかった。
ジャスティン達は不安のまま年を越し、表情と言葉を無くしていたキャラスティが食べ物や飲み物を口元に運べば素直に受け入れる程度に回復し、見舞いに来たリリック達に小さな笑顔を見せる様になった頃、漸く王宮から登城せよと招集されたのだ。
そこでジャスティンは大いに驚いた。
そこには同じ東に属し親交が深いスラー家と北に属するムードン家。北のソレント侯爵、南のベクトラ侯爵、西のグリフィス侯爵。そして東のトレイル侯爵が揃っていたのだ。
そして国王より知らされた「聖夜祭」の夜の出来事。
アレクス王子と次期四大侯爵となるレトニス達がフリーダ王国の王子に連れ去られた。キャラスティはその騒動に巻き込まれ負傷したのだと言う。
「大切な御令嬢に傷を付けてしまい、申し訳ありません」
「息子が付いていながら⋯⋯面目ない」
「御令嬢になんと報いれば良いだろうか」
錚々たる面子に目を白黒とさせたラサーク子爵夫妻に深々と頭を下げ、口火を切ったのはソレント侯爵。続いてグリフィス侯爵、ベクトラ侯爵が次々とキャラスティへの顧慮を口にした。
呆気に取られてしまったが、今聞かされた事は一大事。四大侯爵家の跡取りが誘拐されたのではないか。こんな時に⋯⋯ただの子爵家の娘であるキャラスティを心配している場合ではない。いや、キャラスティは大切な娘だ。しかし、王子と四大侯爵家の跡取りの方がこの国にとってはキャラスティよりも、より重要な存在だとジャスティンは青ざめた。
「ジャスティン、キャラスティを卑下しなくて良い。キャラスティとその友人が息子達の為に頑張っていたと、我々は知っているよ」
「感謝している」と東の統括者トレイル侯爵がジャスティンを労えば他の侯爵達も頷いた。
「驚くのも無理は無い。ラサーク子爵、スラー子爵、ムードン子爵。そなた達を呼んだのは他でも無い。そなた達の娘はハリアード、フリーダの両国を救う救国の少女──切り札──なのだ」
ダリオン国王の言葉にジャスティンだけではなく、スラー子爵とムードン子爵までもが絶句し立ち尽くした。
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ふっ、とジャスティンは我に返って身体を震わせた。
そう。キャラスティは遊びに行ったのでは無いのだ。
「信じましょう。娘達を」
ワインを奨めながらジャスティンを励ますのはセレイス公爵。公爵手ずからの酌に恐縮しながらもグラスに満たされてゆく赤をジャスティンは弱々しい笑顔で受ける。
この一年、キャラスティには驚かされてばかりだ。
キャラスティが幼い頃、不思議な事を言う事はあったが可愛らしい「夢物語」と思っていた。それが形となって実現したのはこの一年の間で、だ。キャラスティが綿と麻を交織し、捺染と言う新しい手法を提案してきたのを試しに作ってみれば好評を得て市井にあっという間に広まった。
王都に出してからは学園から送られてくる定期連絡に並ぶ錚々たる名前にジャスティンは椅子から転げ落ちた。
セレイス公爵家のレイヤーとは食事の招待を受けたり旅行へ行ったりしていたし、レトニスが居るのだから多少は王族や四大侯爵家との関わりが有ったのかも知れないが、彼らが寮の部屋へ訪れるほどの関わりとは一体何なのだろうか。しかも訪れる頻度が高いとジャスティンは頭を抱えた。
娘を信じたいがキャラスティは王族、四大侯爵家の跡取りに不敬を行っているのではないかと暗鬼していた中で起きた誘拐事件ではジャスティンの暗鬼を払拭する勢いで彼らは大変な憤りを見せ、自ら救出に動いてくれた。
そこまでして貰えばジャスティンも理解する。彼らとキャラスティは身分など関係なく互いが貴族が貴族らしく居る為に見ないふりをしている「信頼」で結びついているのだと。
そして、今度は救国の少女だ。あの平凡なキャラスティが国王直々の使命を受けた。
ジャスティンが周りを見渡せばリリックの両親であるオラトリオ・スラー子爵とシェーナ夫人、ベヨネッタの両親であるロナウド・ムードン子爵とナタリア夫人、両家も複雑だと言わんばかりの表情でセレイス公爵からの酌を受けている。
それもそのはずだ。キャラスティと仲の良いリリックもベヨネッタも身分は同じ子爵家。ジャスティンと同じ、まさか自分の娘が⋯⋯の心境なのだろう。
栄誉な事だが複雑だ。
溜息を吐けば益々気が重くなる。
「私の娘、レイヤーは昔から少し変わった子でしてね。いや、ある日を境にからですね。公爵家の娘として恵まれ、恥ずかしながら私も色々なものを与えてましたが、レイヤーはいつも何処か寂しそうだったんです⋯⋯それがキャラスティ嬢、リリック嬢、ベヨネッタ嬢と出会ってから良く笑う様になりました」
重い空気に耐えられなくなったセレイス公爵の独り言のような言葉にジャスティンは顔を上げた。
「皆と居るのが楽しいのだと言っていました」
セレイス公爵は照れながら嬉しそうに口元を緩める。
──キャラスティは良い友人を得たのだな。
「信じて待ちましょう。あの子達の帰る場所は私達の元なのです」
高々と掲げられたワイングラス。
微かに震えているのはセレイス公爵も同じようにレイヤーを心配しているからだ。
ジャスティンが同じくグラスを掲げると、オラトリオ、ロナウドがそれに続いた。
──どうか無事に帰っておいで──
ジャスティン達はグラスを煽り、其々の娘達、彼女達を待っている王子様達の無事を祈った。
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ガラガラと回る車輪とカポカポと鳴る蹄。
辻馬車は南へと向かう。
王都から東西南北へ走る街道はセレイス公爵家の事業によって整備され、少し前の荒れた道とは見違えていた。
「まだ全部繋がっていないけどね」
窓から道の出来具合を満足気に眺めたレイヤーは「テラード様とキャラのおかげ」と笑う。
セレイス公爵家で街道整備の計画が上がった時、レイヤーは「前世」の様な歩きやすい道を作りたいのだと話を持ちかけてきた。
正直キャラスティには「道」がどんなもので整備されていたのかは分からなかったが、テラードが「石灰石と砂と水、海水から「にがり」を作り混ぜ合わせればセメントが出来る」と教えてくれたのだ。
ただ、初めて作るものだ。大量生産にはリスクがある。
キャラスティはならば今まで通りに石を並べ、石の間にセメントを「つなぎ」として使ってみてはどうかと提案して出来上がったのがこの街道の「道」だった。
「少しずつ「前世」で当たり前だったものが使えるようになると良いなって思うの」
「便利だったものね。ねえ、アイランドの子達、彼らなら叶えてくれるんじゃない?」
アイランドのセト、ハカセ、ミリアの姿を思い浮かべ、キャラスティは「そうね」と笑う。
「キャラ、体調は大丈夫なの?」
リリックが心配気に覗き込み労るようにそっと手を添えたのはキャラスティの右腕。
本当は「聖夜祭」で受けた火傷はまだ時々ヒリヒリとする。
「もう大丈夫。だって、寝込んでる場合じゃ無いもの」
「無理はしないでよ? 絶対一人で抱えない事!」
「勿論。リリーとベネ、レイを頼りにしてる」
キャラスティ達は王命を受けてフリーダ王国へと向かっている。
アレクスとレトニス達が攫われたあの夜の出来事はキャラスティに衝撃を与え暫く放心状態だった。
漸くキャラスティの心が動き出してから数日後、王宮から召集を受け国王より王子達奪還の命を受けた。
「レオネル殿下と落ち合うのは途中の町だったわね。ふぁあ、着くまで寝ようかしら」
「私も眠くなってきちゃった⋯⋯着くまで寝るわ」
「もう、リリーったら、実は私も」
レイヤーの欠伸にリリックとベヨネッタがつられると三人はウトウトと船を漕ぎ出す。その長閑さにキャラスティはくすりと笑い、外の風景へ視線を向けた。
夕方に着くであろう中継の町。
そこでキャラスティ達はレオネルと合流し、侍女へと身分を変えてフリーダ王国へ入国する。
──ただの旅行者としてもフリーダ王国へ渡る事はできるが王宮まで辿り着くにはレオネル殿下の従者である方が入り込みやすい──
これはエミールの言葉。
万が一に備えてエミールはキャラスティ達がフリーダ王家へ入り込んでいる間に出兵の準備を整えるとも言っていた。
ただし、それは最後の手段。
戦争になる前に囚われのアレクス達を取り戻す事がキャラスティ達の使命だ。
「危険な事をお願いしていると分かっています。貴女を駒の様に使う冷酷な男だと思っていただいて構いません」
珍しく弱々しい笑みで詫びるエミールにキャラスティは首を振って「有難いです」と答えた。
キャラスティは元々自分が彼らを取り戻しに行くつもりだった。レトニス達はフリーダ王国の王子セルジークに攫われたが、その後ろで糸を引いているのはランゼなのだからキャラスティが行かなければならない。彼女と決着を付けるのはキャラスティがしなくてはならない事。
しかし、それをする為の力も立場も無いキャラスティ。
ダリオンから命を受ける事、エミールに指揮してもらえる事はとても有難い事なのだ。
「それに、今はエミール様の「婚約者候補」です。未来の旦那様になるかも知れない方の為になる事は喜ばしい事ではないですか?」
「やあ、キャラスティも言うようになったね」
好きな人が他に居る。それでもエミールはキャラスティを婚約者候補のままにしている。
それはキャラスティがエミールに頼り易くする為なのだと今なら分かる。
信頼出来る国王夫妻、頼れる婚約者候補、頼もしい友人達⋯⋯帰る場所。
──私は幸せね。必ず、レト達を取り戻して⋯⋯決着をつけなきゃ。
辻馬車は小休止を入れながら南へ進む。
少しずつ決意するにはちょうど良い速さだとキャラスティも小さく欠伸を零し、温かい微睡へと落ちた。
予定より少し遅れて到着した中継の町は突然訪れたフリーダの王子のもてなしで賑わっていた。
キャラスティ達はその人波に紛れレオネルの侍女として合流したのだった。




