「聖女」の逆後宮
ヒロインの立場を奪われ攻略を失敗させられた可哀想な少女。少女の「ゲーム」は終了してしまった。
約束されていたはずの幸せを奪われ暗闇に堕ちた少女は絶望に打ち拉がれた。
──漸く見つけた──
──お前こそ探していた我が聖女──
──我が身に相応しい──
その声は恐ろしくも甘美に漆黒の世界に響いた。
そして少女は漆黒の声に導かれ新しい国で再び「ゲーム」を始めた。
そう、強くてニューゲーム。この「ゲーム」は最初から最強なのだ。
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「ふふ。やっぱり私の「もの」は取り返さないとね」
フリーダ王国王宮の一角。「聖女」の離宮でハリアード王国から連れて来た者達を見下ろした少女は満足気に笑う。
悪役なんかに丸め込まれ「ゲーム」の通りに動かなかった愚かな奴ら。見捨てても良かったが彼らは元々「ヒロイン」のものだ。自分のものを取られたままなのはどうしても許せなかった。
少女は眠る彼らの額に触れ、一粒の種を置く。それは置いた瞬間に芽を出し彼らの内部へと根を張りながら溶け込んで行った。
「記憶の種。本当、良いものをくれたわね」
──お前は我が聖女──
──我が身──
「はいはい。その為にはあんたは私を守らなくちゃいけないのよ」
少女は内部からの声にクスクスと笑い返す。
悪魔。とでも言うのだろうか。少女を「我が聖女」と呼ぶそれは「ヒロインを災厄に変える」存在。
けれど少女はその悪魔の力を利用する事にしたのだ。
──そう簡単に「災厄」になってやるものか。
初めて悪魔の声を聞いた時の恐怖はもう微塵もない。悪魔は自分の為に少女を守るのだから上手く煽ててその力を使わせれば良い。
「聖女様、そろそろご用意を」
「今行くわ」
少女は頭を下げる水色の少女をチラリと見て「ふふっ」と笑う。
空のような水色の髪に太陽のような金色の瞳。名前はカレン。
聖女の離宮で少女を除いた女は彼女一人だ。
フリーダ王国に着いたその日。確信を持って覗いた教会に居た彼女を見つけ、少女はすぐに自分専属の侍女に取り立てた。
それから少女は侍女となった彼女を連れて街を歩き、フリーダ王国王子達との「出会いイベント」を起こして「聖女」と呼ばれるようになった。
そう、少女はカレンを知っていた。カレンと行動すれば「イベント」が起きる事を分かっていた。
カレンは続編の「ヒロイン」なのだ。
「ねえ、カレン。二人の時はランゼって呼んでと言ってるでしょう?」
「そんなっ畏れ多い⋯⋯です。孤児の私を聖女様のお側に置いてくださるだけで身にあまる事です」
羨望の眼差しで頬を染めるカレンにランゼは優越感に浸る。
流石続編のヒロイン。ランゼと同じ、いや、続編のデザイナーのおかげかランゼより僅かに可愛らしい。
だが、そんなものに気後れするランゼでは無い。間違ってもカレンが本物の「ヒロイン」だと知られないよう近くに置き、暗い色のメイド服を着せ髪型は一つに纏めさせるだけ。普段は伊達眼鏡をかけさせて地味であるようにカレンに指示した。
「ここは男性が多いでしょう? カレンに何かあったら私は悲しいわ。だから、普段は自分の美しさを隠すのが一番安全なのよ」
カレンは憧れるランゼの言葉に疑問を持つことも逆らうこともしない。
ランゼとカレンの関係は「ゲーム」の通り。
違うのは続編の「ヒロイン」がカレンではなくランゼだと言う事だ。
ハリアードでは悪役のキャラスティが「ヒロイン」を乗っ取った。ランゼが続編の「ヒロイン」になって何が悪い。
続編は「災厄」を討つ為に「ヒロイン」は攻略対象者達と旅をするがそんな事をする必要はない。
ランゼは「災厄」になるつもりがないのだから討つ対象は存在しないのだ。
「今日のパーティーではアレクス様達を連れて来た功労者セルジークと踊るわ。「中庭での語らいイベント」をやろうかな」
セルジークで「中庭での語らいイベント」を起こすなら彼のイメージカラー赤のドレスだ。
セルジークの弟、第二王子のハルトールは青。宰相子息のレオンは黄色。伯爵家嫡男のアダムは緑。騎士団副団長のラファルは紫。
ランゼの記憶では冒険者をする事が全面に出された続編は前作「恋ラプ」よりもパラメータ管理が甘くなっていた。攻略対象者達の色を身に付け好みの言動をするだけでサクサクと攻略は進んだ。
──こっちの「ゲーム」は簡単でいいわ。
思えば「恋ラプ」は面倒なゲームだった。
攻略対象者の好みに合わせた選択肢を選ぶだけでは好感度は上がらず、彼らに対応したパラメーターを上げなくては「イベント」が起きなかったのだから。
それに比べて続編は攻略対象者の好みのものを身に着けているだけで「イベント」が発生し、好感度が勝手に上がってくれた。
おまけに今は「災厄」の悪魔が付いている。
ランゼの「祝福」は悪魔のおかげで強力な「魅了」の力となったのだ。
ランゼはその力を使い、王子達を陥落させてからは見目の麗しい者達を聖女の離宮へと集め、「聖女の逆後宮」を作り上げた。
そう、ここにいる男達は全てランゼのもの。
難点は女には魅了が効かない事。
けれどそんなものはランゼにはどうでも良い事だ。
先日、この国の王妃がやって来たがランゼが集めた男達に払わせた。それはそれはとても気分の良いものだった。
──それに、ふふ。あたしは「聖女」だもの。
フリーダ王国の最上位「聖女」。その「聖女」に全てが平伏す。最高だ。
「聖女様、男爵様のお食事はいかがなさいますか」
「⋯⋯、いつもの通りにして」
嫌な存在を思い出させられたとランゼは内心舌打ちする。
セプター男爵。彼は今この離宮の最奥に軟禁している。
うろつかれてハリアードの追っ手に捕らえられたら面倒だから連れて来ているだけ。
ハリアードを追われてから結局何の役にも立たない親ならもう必要がない。
「お父様とお母様に「いつものもの」をお出しして差し上げて」
「はいっ」
これからランゼはパーティーだ。彼らにも同じものを出し、あの二人が好きな酒を飲ませてあげれば大人しくしているだろう。
ゆっくりと心ゆくまで、心が壊れるまで⋯⋯大好きな「サイミン草」に溺れれば良い。
カレンに準備させた赤のドレスを纏い、ふんわりと結い上げられた髪型にランゼは満足してクルリと回る。
「いつに増してお綺麗です」
「ありがとう。カレンの腕が良いからよ」
もっと心酔すれば良い。もっと崇めれば良い。
ランゼはニコリと笑い「貴女は私の特別」だとカレンの耳元で囁けば彼女は頬を赤く染め瞳を潤ませた。
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ドサリ。
積み上げた本が崩れ落ちた音にハッとしてセルジークが顔を上げた。
「兄上、少しお休みになってください」
これからまた「聖女の宴」があるのだから。
そう口には出さずに目を細めた弟にセルジークは乾いた笑顔を返した。
「時間が惜しいんだ。私は⋯⋯とんでもない事をしてしまったのだ」
「兄上⋯⋯大丈夫です。母上が、動いてくれています」
セルジークには「聖女」の言葉に操られ、意思とは反対に身体と口が勝手に動くその苦痛の記憶が残っている。
何故、こんな事になってしまったのか。
自分が起こしてしまった罪。このままではフリーダ王国とハリアード王国の間に争いが起きてしまう。
「彼らは、どうしている」
「まだ目覚めてはいないようです。兄上お願いですから休んでください」
差し出されたホットワインを口にしてセルジークは目を閉じる。自分達がこんな状況になってしまったのは「ブローチ」を身に着けた不思議な少女に出会ったあの日からだ。
その「ブローチ」はこの国では特別なものに良く似ていた。それを見た瞬間、何故かその少女が「聖女」だと思い込みこの城へ連れて来てしまったのだった。
「私は、レオネルを狙ってしまった。ハリアード王国からアレクス王子達を攫って来てしまった⋯⋯」
「兄上の本心ではありません。勿論、僕達の意思でもありません!」
「しかし、誰が分かる? 私達が私達でないと」
ランゼの瞳を見てしまうと自分が自分でなくなる。
瞳を見ないようにしていても与えられる「言葉」に逆らうことが出来ないこの身を誰が信じてくれるのか。
「レオネルは分かってくれます。ハリアード王国でレオネルが無事であると分かったのですから⋯⋯希望はあります」
「ハルトール⋯⋯しかし⋯⋯」
互いが正気である時、こうして話はできるのに。
何も答えが出せない悔しさは募るばかりだ。
「いくつもの文献を調べたが何も見つからないんだ。ランゼの持つ瞳、ランゼの魔性の力。それに対抗するものが見つからないんだ」
フリーダ王国の古代史を睨み、セルジークは悔しさに拳をテーブルに打ちつけた。
国に暗雲が立ち込めた時「聖女」が現れる。そんな伝説に縋っても何も見つからなかった。
唯一「聖女が災厄」を討つと言われる国宝である「破邪の弓」が希望をもって存在するがその使い手は現れていない。
「聖女」だけが引けると言われるその弓。ハミルネ王妃は引けなかったのだ。
ハミルネ王妃が「聖女」には違いないのだが、弓が求め、弓が認める「聖女」ではないからだと古代研究者が言っていた。
だが、ハミルネ王妃が引けなかった事に安堵していた。たとえ弓を引けたとしても狙うのは「聖女」ランゼ。「聖女」である王妃が「聖女」を討つなんて事はこの信仰の国フリーダ王国ではあってはならない事なのだから。
「希望はあるのだろうか⋯⋯」
ふと、セルジークの脳裏にハリアード王国で出会った少女が浮かぶ。
レオネルの手を取ってくれた紫紺色の少女。
おぼつかないダンスにはにかむ笑顔が一転し、恐怖に震えた表情にセルジークは胸を締め付けられた。
「聖女⋯⋯」
彼女はキャラスティと名乗っていた。けれどセルジークにはもう一つの名前が重なって聞こえたのだ。
「サクラギ」。不思議な音を持つその名前を。
「サクラギ⋯⋯、サクラギ⋯⋯!」
セルジークは崩れた本の山を書き分け、一冊の本を取り出した。
綴られた大聖女マーナリアが残した功績と言葉。その中で見た記憶がある。ページを捲る気が早るがセルジークは一文字一文字慎重に追う。
「兄上、何を⋯⋯」
「──あった!」
まさかとは思う。信じられない事でもある。しかし、今まさに自分に信じられない出来事が降りかかっている。
ならば信じてみたい。この出会いは必然だったのだと。
キャラスティ・ラサークと名乗ったハリアード王国の少女。一見取り立てて目立つものを持たない彼女には別の名がある。そして、その名はマーナリアにとって最も重要なもの。
指先を震わせながらセルジークは読み進める。それはマーナリアが信仰している「女神」の記述だ。
見つけた。胸を高まらせるセルジークの中で確信に変わる。
彼女は「破邪の弓」を引く事が出来る。
セルジークの指がその「女神」の名前をなぞる。そこには「サクラギ」と確かにそう書かれていた。
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月明かりと小さなランプの光だけの部屋。
冷えた空気を揺らす風に乗って聞こえる微かな音楽。
まだ覚醒しない頭を持ち上げた彼らは辺りを見回して心臓を跳ねさせた。
「お目覚めをお待ちしてました」
暗闇に佇む影がその姿をランプに浮かばせる。
それはゆっくりと頭を下げる水色の少女だった。




