特訓します
──キャンッ──
──タンッ──
騎士の訓練場に例えるのが難しい弦音が響いた。
信じられないものを見ていると息を飲んだ騎士達の視線の先には一人の少女が上下非対称の竹弓に矢をつがえ、的を定めながらその弦を引き絞る姿。
少女が定めを決めその手を離すと、矢は一直線に的へと吸い込まれた。
──キャンッ──
──タンッ──
二本目の矢が的を射った。三本目は的の僅か右に外した。四本目、見事に命中。
四本撃ち終えた少女が開いた身体を整え一礼し、ほっと息を吐くと途端に騎士達から歓声と拍手が巻き起こり少女は恥ずかしそうにはにかんだ。
「何? 何? 凄いじゃないの!」
「昔⋯⋯「前世」で弓道やっていたの」
「やだっカッコいい! 私はボクシングよ」
「なんか分かる気がする⋯⋯強そうだもん」
「もちろん強かったわよ! ふふっ」
「キャラにこんな特技があるなんて知らなかった」
「フリーダの「破邪の弓」を模して作った弓、こんないとも簡単に扱うとは⋯⋯」
レトニスが唖然とする隣でシリルは「信じられない」と何度も呟き竹弓の弦を弾いた。
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レオネルが語ったフリーダの「聖女」伝説。
古代フリーダ王国では暗雲が立ち込め人々は飢えと病に苦しんだ時代があった。すわ滅亡かと誰もが悲嘆に暮れていたある日。一人の女性が弓と矢を携えて現れた。
女性が弓を暗雲が覆う天へ向け、黄金の矢を放つと断末魔の叫びが響き、国を覆っていた闇が晴れ陽の光が降り注いだと言う。
「当時は写し絵など無かったからな。これは伝わるマーナリア様のお姿を肖像画にして写し絵に撮り直したものだ」
聖女マーナリア。彼女の姿は残されたがその素性は全く分からないのだそうだ。
「それから⋯⋯マーナリア様が残したと言われている手紙がこれだ。我が国の言語でもハリアードの言語でもない。もちろん近隣諸国にもこんな文字はなかった⋯⋯何が書かれているのか未だ解明されていないんだ」
レオネルがページを開くとマーナリアが残したと伝わる手紙の写し絵。これも原本を撮り直したもの。
そこに書かれた文字にキャラスティは息を飲み懐かしさにマーナリアの文字をなぞった。
──私は貴女の世界に生まれ変わった。でも、貴女には会えなかった。けれど私は貴女が大切に思うこの世界を生きて旅立つ。そしていつかどこかで貴女とまた出会いたい。もし、貴女がこの世界に生まれ変わる事があるのならこの手紙が貴女に届きますよう。まだ始まらないその日。いつか始まるその日。貴女が幸せになれるよう。私の「希望」を貴女に託します。マナの大好きな「お姉さん」へ──
「マナさんも来ていたんだ⋯⋯」
「これはキャラとテラード様が言っていたマナちゃんからの手紙なのね」
「ああ、でも⋯⋯マナちゃんは時代が違ったんだな」
「っ! お前達はこれが読めるのか!?」
涙ぐみ頷くキャラスティにレオネルが目を見開き「信じられない」と呟いた。
「なんて事だ⋯⋯ハリアードに聖女と聖人が居たなんて」
「聖女ならキャラじゃないかな。マナちゃんはキャラに託したんだし」
「レイ⋯⋯面白がらないで」
「そうだな聖女にはキャラ嬢が合ってるな。島でも「聖女」だったのだし? 似合ってたよなあ」
「テラード様⋯⋯あれは忘れてください」
ニヤリとするテラードが何を思い浮かべているのか分からないほど鈍感ではない。
島で洗脳され煽られ滑稽にも「黒き聖女」だと思い込んでいたキャラスティ。その時に着ていたのは深いスリットの入った黒いドレスだった。
「似合ってたよねえ。僕ああ言うデザイン好きだよ」
「ああ、まあ少し足りないものがあったが」
「シリル、今更だがお前時々破廉恥だな」
「ち、がうっ! 一般論だろ!」
「あらあ? どんなデザインなの? 残念だわ。私も見たかったなあ」
意地悪な笑みでリリックがキャラスティを小突く。
そんなリリックにキャラスティはあのドレスは島に置いてきて良かったと乾いた笑いを返した。
黒歴史。とまでは思わないが色々と恥ずかしい思い出が詰まる一品でもあるのだ。
「リリーに見せてあげようよ。持って帰って来てるから」
「なんで!? なんでレトが持ってるの!?」
「え? 当然だよね? 島を出る時ミリアさんが持たせてくれて俺の部屋のトルソーに飾ってあるよ」
「⋯⋯レトニス様のその性癖、シリル様よりタチが悪いですね」
「ブラントは見ちゃダメだからな」
若干引き気味に表情を引き攣らせたブラントに構う事なくさも当然の事だと微笑むレトニスの言葉にキャラスティも頬を引き攣らせた。
あれだけ捨てるかアルバートの所へ持っていってくれと言ったのにまだ手放していないのか。
プルプルと震えるキャラスティを流石に気の毒に思ったリリックとベヨネッタが「⋯⋯レトで本当に良いの?」と、苦笑で問いかける。
良いわけがない。
今までの栞や蝉の抜け殻、新しく加えられたドレスそれらのキャラスティコレクションはなんとか受け入れられる範疇。妄想の暴走は個人的に楽しんでいるのなら気付かないふりをすれば良い。
囲うための家は無理だ。あれは早々に用途変更をお願いしたい。
そして、トルソー。どんな風に飾っているのかキャラスティが勇気を出して聞いてもレトニスは頬を染めて「恥ずかしい」と言い、その内容を教えてはくれなかった。それで確信したのだ。トルソー自体、服飾を生業とする自分達には身近なものでもレトニスは本来の使い方以外をしていると。
それはいくら好きでも到底受け入れ難いものだ。
「思い直した方が良い」そんな事が浮かぶキャラスティの心情を知ってか知らずかレトニスはレオネルの本のページを捲り「あっ」と声を上げた。
レトニスの指がトントンと叩く写し絵。それに見覚えがあった。
「⋯⋯ブローチ」
「ああ、これはマーナリア様が身につけられていたブローチだ。今は行方知らずになっているが「聖女」の証だ。このブローチがマーナリア様を守っていたと言われている⋯⋯そう言えば、あの女。これと似たブローチを着けていたな」
フリーダの王太子は「ブローチ」を持つランゼを「聖女」だと連れて来たのだと言う。
ランゼの「ブローチ」はすり替えた物だ。しかし一見で本物か偽物かは分かるはずがなく、その為に易々とフリーダ王宮へ入り込ませてしまったらしい。
「このブローチは今、俺の元にあるぞ」
「なんだと!? 「聖女」と「ブローチ」がフリーダではなくハリアードに⋯⋯これはマーナリア様のお導きなのか」
レオネルが右手を胸に当て、左手で拝む仕草をして感動を表す。フリーダは信仰の国。マーナリアは彼らにとって信仰の中心なのだろう。
キャラスティ達は顔を見合わせ改めてブローチの写し絵に視線を落とした。
片翼の形に宝石を散らばらせられた「ブローチ」。本物はテラードの元、こちら側にあるのにランゼはフリーダの王子達を籠絡している。
それはつまり「ブローチ」を必要としない力がランゼに宿っている可能性が高いと言う事。
そんな力にどう対抗すれば良いのか。そもそも対抗できるのだろうか。
対抗できたとしてもそれを倒すと言う事は嫉妬と憎悪に染まり災厄となったランゼの命を奪う事になるのではないか。
そう思い至ってキャラスティは身震いする。
同じ考えに至ったのであろうレトニス達もコクリと喉を鳴らした。
「キャラスティ! いや「聖女」様! どうか我が国フリーダを助けてください!」
キャラスティの前にレオネルが傅き懇願する。
その真剣な表情に応えられるのなら応えたい。しかし、キャラスティは何の力もないただの人間。レオネルの言う「聖女」ではないのだ。
それに、この手がランゼの命を奪う。その事に恐怖を感じずにいられない。
「姉様「聖女」とはなんですか?」
「マーティン⋯⋯私、は⋯⋯」
青ざめたキャラスティの手にマーティンが小さな手を重ねた。柔らかく温かいマーティンの手。
もしも。ランゼの災厄が広がりマーティン、両親、祖父母に及ぶとしたら──。
キャラスティはレオネルが言うような「聖女」ではないが守りたいものはある。これまでもそうだった。
断罪を恐れてはいたがそれは自身だけの事ではなく家族に害が及ぶ方をより強く懸念していた。
しかし、これまで成り行きが多かったとは言えレトニス達を信じると決めてから「断罪」は怖くなくなった。
彼らを見回してキャラスティは思う。次はマナに託された「希望」を信じてみたい。
「殿下、「聖女」と言われても私には特別な力はありません。私がどこまで出来るか分かりませんよ」
「⋯⋯分かっている。だが、僕様はマーナリア様がキャラスティに託した「希望」を信じたい」
レオネルもマナの「希望」を信じると言った。
ならばキャラスティはランゼに立ち向かわなくてはならない。
「前世」から続くランゼとの因縁があるのだから。
「私も「希望」を信じます」
「キャラ! 何をするのか分かってる? もしかしたらランゼさんを⋯⋯」
「うん。分かってる。だから、私じゃなきゃダメなんだと思うの」
リリックが表情を歪めた。キャラスティがランゼの命を終わらせる。そんな事を背負わせたくないとその表情が語っている。
キャラスティはニコリとリリックに「大丈夫」だと笑い返した。
「大丈夫だよリリー、キャラ一人に背負わせないよ」
「そうだな。キャラは俺たちが守ろう。いや、守るさ」
レトニスとアレクスの言葉にテラード達も頷く。
「私も! キャラ一人が犠牲になる必要はないわよ。自己犠牲は許さないからね」
「ええ、私も一緒に背負うわ」
「ありがとうレイ、ベネ」
キャラスティは不安に崩れそうな顔を彼らに見せないよう努めて笑顔を作る。
夢のようにレトニス達を傷付かせたくはない。同じくリリック達もだ。だが、これはキャラスティとランゼ、サクラギとアイミ其々が決着をこの手で付けなくてはならない事なのだ。
賑やかに決起する友人達。キャラスティは彼らに見えないよう決意する。誰一人絶対に傷付けさせないと。
「弓を扱うなら練習しないとならないわね」
やる気を見せるかのように「よしっ」と気合を入れたキャラスティに一同が微妙な表情になる。
そう、キャラスティは運動と言うものが悉く鬼門だ。それは誰もが目にして知っている。
「⋯⋯明後日の方に飛びそうだな」
「あっ! 失礼ですねシリル様。弓は自信があるんです」
キャラスティは「破邪の弓」に似た上下非対称の弓を用意して欲しいと言い、数日後、出来上がった弓を試し撃ちしたいと騎士団の訓練場にてその腕前を披露した。
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練習を終えたキャラスティは差し入れされた果実水を手にしてほっと一息吐いた。
「前世」から見てもかなり久しぶりではあったが魂が繋がっているからなのか感覚をしっかりと覚えていた。
弓道の型は戦闘には向いていない。弓道は己と向き合う武道。サクラギはずっと自分の弱さと弓道を通して向き合って来たのだ。それをキャラスティは引き継いだ。
人の顔色を窺いながら色々諦めていたキャラスティは今回ばかりは諦めてはいられない。逃げない為に一番の敵は自分自身なのだと弓を引きながら己の心と対話した。
「でも、この引き方だと隙が出来るね。キャラが引いている時の対策を練らなくてはならないな」
「相手の動きが予想できないんだ。自由度の高い防御方法を考える必要がある」
シリルと話し込むレトニス。二人に有り難くも申し訳なくも感じてキャラスティは眉を寄せる。自分の為に危ない事をさせたくはないのに彼らの力を頼る事は避けて通れない。
険しい表情をしてしまっていたのだろうキャラスティは不意にぷにゅりと頬を摘まれ瞬きを繰り返した。
「そんな顔しない。キャラが決めた事は誰も止めないわ。だから私達が決めた事もキャラは止められないわよ」
「レイ⋯⋯」
「さあ、次はフリーダの勉強よ。ちょうどアレクス様も迎えに来たわ」
訓練場の入り口で手を挙げるアレクスとレオネルが姿を見せている。
中庭での話し合い以降、キャラスティは「聖女」となる為の特訓をそれぞれから受け始めた。
シリルとレトニスからは弓。付き添いはレイヤー。
アレクスとレオネルからはフリーダの歴史。付き添いはベヨネッタ。
テラードとユルゲン、ブラントからは体力作り。付き添いはリリック。
自分の為に申し訳ないと恐縮する度に「相変わらずだ」と笑う彼らに救われる。「あまり卑屈になりすぎると怒るからね」とリリックに戯けられて曖昧になるのもいつものこと。
性格は変えられないが自分の為に動いてくれる彼らの想いを裏切りたくはないとキャラスティは今できる事の一つ一つと向き合う。
キャラスティは自身が一人では何も出来ないと知っているのだ。
「キャラスティ! 今日は僕様の家族の事だぞ。フリーダ王家をしっかり学んでくれ」
「はい。よろしくお願いします」
誇らしげに胸を張るレオネル。彼の為にもキャラスティは笑顔でいなければならないと笑顔で答えた。
「エミールから連絡が来た。聖夜祭には帰るそうだ」
「良かった⋯⋯無事に帰って来れそうなんですね」
季節はもう聖夜祭の時期。本来なら穏やかに過ごせる時期ではあるが今年はそうは行かない。キャラスティ達はエミールが帰還次第、レオネルと一緒にフリーダへ旅立つ予定になっているのだ。
「⋯⋯聖夜祭かあ。今年もドレス姿見られないのかなあ⋯⋯」
「レト、今はそんな事言ってる場合じゃないでしょう」
「だって去年は断られた。今年は見たかった! ああっ! 見たかった!」
「お前、取り繕わなくなったな⋯⋯」
頭を抱えたレトニスは心の叫びを上げてはたり、と顔を上げた。
何故か瞬きを繰り返し「そうか」と一言呟いたレトニスは緩む口元を隠しもせずにニンマリとする。
「キャラ、弓の特訓時は「あのドレス」でやろう。「聖女」としての気持ちも高まるよ。ね? いい考えだ」
「⋯⋯、⋯⋯⋯⋯嫌」
「⋯⋯そんな冷静に拒否られるとは思わなかった」
キャラスティはまだ許していない。手放すと約束したのに未だ手放していなかったトルソー。
それを手放すまではレトニスの要望には一切応じてあげるつもりはない。もちろん、一日一回の懐抱も保留だ。
「好きって言ってくれたのに⋯⋯」
「それはそれ。これはこれ。さあ、アレクス様、レオネル殿下参りましょう」
キャラスティはレオネルの手を引いてアレクスを急かす。
ふと、アレクスの表情が曇ったように見えた。
「アレクス様? どうかしました?」
「あ、いや⋯⋯キャラは⋯⋯」
言い淀むアレクスの歯切れの悪さにキャラスティは首を傾げた。
「アレクス様! 至急王宮へお戻りください!」
「何事だ」
「はっ! たった今シラバート伯爵より早馬が到着いたしました──」
駆け込んで来た騎士。
彼の口から紡がれた内容にその場の空気が凍り付いた。




